「変わってる? 変われてる?」
~~~~~武田涙~~~~~
本が好きだった。活字が好きだった。紙面の中に潜り込むのが好きだった。行間が自分の居場所だった。
クラスメイトと話すのが苦手だった。何をしゃべっていいかわからなかったから。海外小説の女主人公のように軽妙で洒脱な会話を想像はしてみるけれど、うまくはいかなかった。もごもごと不明瞭なつぶやきになるだけだった。それが恥ずかしくて、いつしか自分から関わりを避けるようになった。
地味で根暗で本ばかり読んでる変なやつ。
そんなレッテルを張られ、からかいや嘲りの対象になった。掃除や日直のような雑事を押し付けられたり、人前で恥ずかしい質問をされたりということが数えられないほどあった。
ひとつひとつは大したことないけれど、積み重なると重く切ない。そのたびに涙はちょっとずつ心を閉ざし、さらに深く、本の中に引きこもっていった。
ある時から、流れが変わった。緩やかないじめはそれ以上エスカレートすることなく、潮が引くように涙の周りから遠ざかっていった。
FLCと出会ってからだ。蜂屋やイッチーや、プレイはしていないけれど小巻のような強い存在が、常に涙の側にいる。御守りのように騎士のように太陽のように、彼らは彼女らは、涙を取り巻く悪意を祓ってくれた。
「――ねえ、武田さん。あなた、自分を変えたくない?」
ある日、夕暮れの差し込む教室で、加奈子は涙にそう言った。
自分の言うことに従えば、絶対に状況は変わる。そのことをきっと彼女は確信していたのだと、今さらながらに思う。
そんな加奈子の様子がおかしい。
良い意味でだ。以前は抑揚のない声でぼそぼそと教科書を音読し、つまらなそうに板書しているだけだった。毎日のHRでも、一切の気負いを感じさせなかった。私は仕事としてここにいるだけです。口にこそ出さないが、無気力な表情がそう語っていた。
最近は、ちょっとずつだが笑顔を見せるようになった。かすかに眉を開き、口元を綻ばせるようになった。生徒を見る目も優しい。微細だが良い方向への変化は生徒たちにも概ね好評で、つられたようにクラスの雰囲気も明るい。
「なにか理由があるのかなと思ってたんだけど……。そうかぁ、自警団のみんなと関わるようになったのがよかったんだね」
にこにこと、自分のことのように微笑む涙。
「アニマルセラピーみたいなもんだな。弟子セラピーというか」
学校帰りのファミレスで、蜂屋とおしゃべりしていた。前と同じように、いったん家に戻ってから藍プロデュースの服に着替えてきた。花柄プリントのワンピース。7月に入り暑くなってきたので、丈は短めで肩が出ている。普段は絶対出さないような部分まで肌を晒すことに抵抗はあったが、「こんだけ攻めれば、どんだけ鈍感系でもお姉ぇの気持ちに気付くっしょ!!」と藍が自信満々に語っているのを聞いて気が変わった。今のところ、蜂屋に特別の変化は見られないが。
(ううぅ……全然気づいてもらえてる感じじゃないよ……。いつもと変わらないよ……。やっぱりわたし、魅力ないんだ……)
はふぅ、こっそりため息をついていると、携帯の中のルルと目が合った。
「――ど、どうしたのルルちゃん?」
明るくて騒がしいいつものルルではない。静かでむっつりしていて、その目には明らかな敵意がある。
「なんですか泥棒猫さん? あ、違った。泥棒さん?」
「全然言い直せてないよ!? そこ切り取っても悪い意味しか残らないよ!?」
「悪い意味で言ってるからいいんですー。敵に塩を送るつもりはありませんからー」
「て……てき……っ!?」
以前に蜂屋とファミレスに来た時は、ルルがいない隙をついてのものだった。後ろ暗い気持ちでいた涙は、どきりとして胸を押さえた。
「……なんだよルル。今日は妙に絡むなおまえ」
ルルはジロリと蜂屋を一瞥すると、
「ったくこのあるじ様は、どこまでも鈍感系主人公なんだから……」
忌々しげに毒づく。
「ちぇ、なんだよ。――ごめんな涙。こいつ、今日は機嫌が悪いみたいなんだ」
「う、ううん大丈夫だよ? ルルちゃんもきっと、わたしが突然誘ったから、戸惑ってるんじゃないかな?」
ね? ね? と目線でルルに和平条約の締結を求めるも、「……はっ」と鼻で笑われ一蹴される。
「ううぅ……」
取り付く島もない。ルルは涙の気持ちも狙いも察しているようだ。
「まあともかくさ、そんなわけで、先生はもう少し自警団のシナリオに掛かりきりになるから、俺たちは俺たちで、レベル上げがてらワイナールさん絡みのクエストをこなそうと思うんだ」
「……ワイナールさん? 酒場の店主の?」
突如出て来た名前に意表を突かれる。
「そうだ。ドワーフのワイナール・ヒムンダール。自警団がカロックの村の子供側NPC代表なら、ワイナールさんは大人側の代表でさ、お使い系のクエストにけっこうお得なのがあって……」
蜂屋という少年は、実に楽しげにFLCのことを話す。しかもいちいち説明が上手で、サービス精神旺盛で、相手を飽きさせない工夫をこらしている。
それはたぶん、他の人を前にしても同じなんだろうけれど。
(わたしにだけ特別に、だったらいいのになあ……)
涙は心からそう願った。
「わあ~、いい話だね!!」
蜂屋が先生から伝え聞いた話を聞いて、涙は俄然色めき立った。
「いいなあ~。好きな男の子がこっそり気を利かせてくれたんだ。アンバーちゃんは嬉しかったろうね~」
テーブルの上に身を乗り出し、自分で言って自分でうなずく。
「普段恋愛なんて歯牙にもかけないような男の子が勇気を振り絞って歩み寄ってきれくれたんだ。実は見てたんだよってアピールも含めて。いいなあ~。手探りしながら愛を深めていくのって王道だよね~」
「……お、おう。ずいぶん楽しそうだな、涙」
「そりゃあもちろんっ。恋話が嫌いな女子なんていませんから!!」
ぐぐぅ、と拳を握って力説すると、蜂屋はたまりかねたように噴き出した。
「……あ、あれ? わたし、そんなに変なこと言った?」
膝を叩いて目の端に涙を浮かべ、完全にツボに入っている蜂屋を前に、にわかに不安になる。
「はは……いやさ、いつもの涙とだいぶ違うもんだから。思わず笑っちまったよ」
「そ、そう? そんなに違う? ――あ、もしかして。お化粧が変!? 変な顔になってる!?」
涙はぺたぺたと自警団の顔を撫で回す。慣れないメイクなんかしてるせいで不安だったのだが、そのことだろうか。
「ん? あー、いやそれは全然。可愛くなってるよ、うん」
「かわ――!?」
ぼん、と噴火する涙。同時に周囲の席からガタガタと騒がしい音が聞こえてきた。
「……? なんだか周りがうるせえなあ……」
「あ、あわわわわわわわ……」
いきなり身の置き場がなくなった涙は、あわあわと身をくねらせた。嬉しくて恥ずかしくて、逆にどこかへ消えてしまいたかったが、逃げ場がない。
携帯に着信したメッセージをすがるように開くと、藍からの「逃げたら殺す」、という直截的な脅し文句が書かれていた。
「あ、藍ちゃん!?」
店内にいるのだろうか? 慌てて周囲を見渡すが、ボックス席の敷居があるので、当然のこと姿は確認できない。
「どうした? 涙」
「あ、ああううぅ。な、なんでもないのっ。うんうん。なんでもないったらなんでもない!!」
拳を握ってぶんぶかうなずいて、そうだ、今の「可愛い」だって別に他意があるわけじゃないんだ、と必死に自分に言い聞かせる。イタリア人の男性にとっては挨拶みたいなもんだっていうし。
「うう……」
「……なんだ今度は?」
「いや……、幸助くんがイタリア人の男性みたいに呼吸をするように女性を口説く人だったらやだなあと思って……」
「何いってんだおまえは!?」
「もう自分でもよくわかんないです……」
蜂屋の全力のつっこみに、目をうるうるとさせて頭を抱える涙。
「なんだかなあ……」
頬杖をついて半眼になる蜂屋。
「まあしかしほんとさ。違ってるし変わってるよ。おまえはなんというかそうだな……面白いやつになったよ」
「お、面白い?」
それは褒められてるのか貶されてるのか微妙なところだが。
変わっている、変化していっている、というのは嬉しいことだ。それは自分の殻を破っていっている、ということにも繋がるから。奇しくも当麻先生がそうであるように。
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「……くっそ寒い恋愛時空め。消滅すればいいのに」
そんなふたりのやりとりを眺めながら、ルルのぼやきはとまらない。




