「幕間:彼女の涙」
~~~~~当麻加奈子~~~~~
くしゃくしゃに丸められて捨てられた花束を拾って、加奈子は病室を後にした。
彼女には会えなかった。会わせてもらえなかった。いつものように母親が入口に立ちはだかって、優秀な警備員のように面会を謝絶した。
いつものことだった。月に一度、加奈子は病室を訪れ、そして必ず追い返される。
5月の終わりだった。開いた窓から吹き込んでくる風は暖かだが、ノースリーブのワンピースを着るには時期尚早だったかもしれない。剥き出しの腕をさすりながら、加奈子はひとりごちた。
眼鏡を外してコンタクトにして、髪を後ろにひっつめる。装飾品はゼロ。化粧もなし。ワンピースの色もおとなしい紺色。清潔かつ穏やかに、けど根暗には見えなそうなギリギリのライン。口調は柔らかく表情は努めて真摯に。まるで教職課程のお手本のように――好印象を与えるように。
精一杯造った自分がしかし、受け入れられることはなかった。
それはそうだろう。たとえば加奈子があの母親だったとして、娘をあそこまで追い込んだ女を会わせるわけがない。
――謝罪? 反省? 笑わせるな。
――死ぬまで悔やみ続けろ。
きっとそう思う。
ふう……、ため息をついて、加奈子は足を止めた。人気のない薄暗いリノリウム張りの廊下に佇み、軽く眉間の皺を揉む。
「……あら」
気がつくと、待ち合い室の片隅に見慣れた少年の顔があった。
ピンピンと毛先が刺さりそうなほどに尖った短髪、人なつっこい焦げ茶色の瞳。スポーツも勉強も得意ではない、元気なことだけが売りの少年が、長椅子の背もたれに思いきり背をもたせて呆けている。ため息などついて、宙に視線をさ迷わせている。
「珍しく萎れた顔してるじゃない」
「え……誰?」
本来の加奈子は、地味で根暗な教室での姿とは違う。温室育ちの令嬢で、顔立ちも整い所作も優雅で、誰もが認める淑女だった。今はその片鱗しか見せてはいないが、それでもこうして世間慣れのしていない青少年の度肝を抜くぐらいのインパクトはある。
「失礼ね。普通担任の顔忘れる?」
「――当麻先生!? マジすか……うわぁ、なんちゅーか、一瞬でも格好いいと思ってしまった自分が恥ずかしいすわ」
「……改めて失礼ね。あんた、先生をなんだと思ってるの」
「正直に言っても大丈夫ですかね……?」
「最高裁まで闘う用意はあるわよ?」
「じゃあやめときます。えっと……今日は随分とイメージが違いますね。大人の女って感じすよ」
「一応オブラートには包んでくれてるみたいね……まあ、たまにはそんな日もあるってことよ」
「……あ、誰かのお見舞い……ですか?」
「他の何に見える?」
「プロレスラーが花束贈呈の時にやる、花束での殴り合いみたい」
「ああ……」
加奈子は手元で花束としての原型をとどめていないそれを見つめ、納得した。
「先生は悪役だからね」
「ヴィラン?」
「プロレスでいうなら悪役。演劇で言うならヴィラン」
「はあ……なんで演劇?」
「プロレスは可愛くないからね」
「そりゃそうですけどね。先生、昔は演劇でもやってたんすか?」
「子供たちを集めて児童演劇やるのが夢だったのよ」
「……その夢、叶わなくて良かったっすね」
ふん、鼻を鳴らすと、加奈子は周囲に視線を走らせる。
「……摩耶ちゃんの付き添い?」
「……あげませんよ?」
すかさず釘を刺す蜂屋。
「――あっははは……」
予想外の返答に、加奈子は思わず笑ってしまった。脱力して肩を竦め、蜂屋の隣に腰かけた。勢いで肩がくっつくと、蜂屋は少年らしく顔を赤らめて動揺した。
(……あら初々しい反応)
すぐに立ち去ろうと思ってたけど気が変わった。ぽんぽんと肩を叩くと、少年はわかりやすく唾を飲み込んでいる。
「別にとって食いはしないわよ。そうかそうか、蜂屋くんはしっかりお兄ちゃんしてるんだ?」
「しっかりしてはいないですよ。辛うじて、です。俺がいたからあいつの具合が良くなるわけじゃないし、相変わらず学校も不登校気味だし。正直、俺があいつを甘やかしてるだけなのかもしれない……」
「ふうん……」
行動や発言から幼く見られがちだが、この年頃の男の子としては、蜂屋の内面は年齢はかなり老成しているほうだ。周囲の誰も、それを認めたがらないというだけで。
「なかなか青春してるわねえ。若人よ」
「せ、先生こそ、今日は随分まともじゃないですか。いつもそうしてりゃ人気出るのに」
「褒めてんだか貶してんだかわからないんだけど……」
「最大限褒めてるつもりです」
「あらそう、とりあえずは喜んでおくわ。これ以下は無いという意味だとしても、ありがとう」
わざと憎まれ口を叩いてるのは照れ隠しなのだろうか。おかげで話しやすくて、なんでも話してしまいそうになる。
「でもいいのよ。人気なんてなくたって。教師は指導要領に乗っ取って、無駄なく大過なく、年ごとに生徒を送り出せばいいの」
「……それって、花束と関係あります?」
内緒話のように声のトーンを下げる蜂屋。
「あるけど教えてあーげない♪」
「なんすかそりゃ……」
「大人の悩みの相談に乗ろうだなんて、あんたら子供にゃ荷が勝ちすぎるってことよ」
「そうかもしんないすけどね……」
蜂屋は、「はは」と力なく笑い、しばらく迷ったあとにこう切り出した。
「……じゃあ俺のほうの相談に乗ってくださいよ」
「ほーう? この私に相談するなんて、よっぽど追い詰められてるのねえ」
「自分で言っちゃいますかね……。あ、でも。お願いだから他の誰にも言わないで下さいよ?」
加奈子はおとがいに指をあて、いたずらっぽく振る舞った。
「どうしよっかな~?」
「じゃ、やめます」
「あ、冗談冗談。誰にも言わないから相談して!! 人の苦しみが私の生きる糧なの!!」
「正直すぎてなんつうか……もういっそ霞でも食べて暮らしててくださいよ」
胸の前で両手を合わせて懇願する加奈子にちょっと引く蜂屋。
「……あのですね。まず質問なんですけど。先生って友達に目の前で泣かれたことあります?」
「あるけど、女の子ってけっこう泣くからねえ」
「う……そうなのか。あーでも、普段は絶対泣かないようなヤツなんすよ。強くて輝いてて、自分が正義だ!! 自分について来い!! そういうようなヤツなんすよ」
「そのコが泣いた?」
「……はい」
「仲の良い友達?」
「仲良いっつーか……良かったっつーか……」
蜂屋は言葉を選ぶように目をさ迷わせた。
「わかんないんです。今や友達か知人かもわからない。……ただ、昔はいつも一緒だった。一緒にいることが当たり前すぎて、ほとんど空気みたいなもんだった。――あ、そうか……」
ぽつりと蜂屋がつぶやく。
「……ルルみたいなもんでした」
「ルルちゃん?」
「ええ。もちろん妖精って意味じゃなくて。相方というか、仲間というか、同胞というか。どこへ行くにも一緒で、何をするにも一緒で……友達とか親友とか、一言では片付けられない存在だった。とてつもなく大事な存在だった」
「そのコが泣いた」
「ええ。俺、実は今日色々あって……他の友達と遊んでた。そのことをあいつは知ってた。急にそいつとの仲を取り持つようなことを言い出して……。なんか……泣くんですよ。――そんなことされたらさ。俺もう、どうしていいかわかんなくて……」
自分自身が泣きそうな顔になる蜂屋。
「どうして一緒じゃなくなったの? ケンカ?」
「ケンカ……? いや……どうだったかな……。当時は、摩耶の具合が最悪に悪かった時期なんです。日1日と悪くなっていくようで、そのまま死んじゃわないかと心配で心配で。俺は摩耶に付きっきりで……。他のものは一切目に入らなかった。あいつはお節介なヤツなんで、色々と俺にアドバイスをくれたり発破をかけたりしてくれてた。たしか……。なんだかその辺があやふやなんすけど……」
「ふうん……」
加奈子は目を細める。
「本人に聞けばいいじゃない」
「出来たら苦労はしないすよ!!」
「だって、家が隣の幼馴染みでしょ?」
「そりゃあ……ん? えうっ!? なんで……!?」
驚いて口をぱくぱくさせる蜂屋。
「そのコって小巻ちゃんでしょ? わっかりやすいヤツめ」
「そんなにわかりやすいすか……!?」
ショックを受けた顔。
「伊達に教師やってないわよ」
まだ立ち直れていない様子の蜂屋の頭をコツリと叩くと、加奈子は自嘲気味に笑った。
「ま、なんちゃってだけどさ」
すると蜂屋はムッとして、
「そ……そんなことないすよ」
「ありゃ、デレ期かな? でも残念。せめてあと2年若返ってから出直しなさい」
「それ物理的に無理じゃないすか!! つーかデレてねえし!!」
強く否定する蜂屋の様子がおかしい。笑える。――抱きしめたくなる。
「今日の先生は本気で先生っぽいから言ったんですよ!! ちょっと、笑わないでくださいよ!!」
「いーや。私は自分本位に生きる女だからいいのよ。相手のことなんて気にしない。気遣わない。常に自分。それが私」
「本当にひでえ俺流だなおい!?」
「――あら、調子が出てきたみたいじゃない」
計画通り、の余裕の笑み。
「手のひらの上だったー!? 大人怖えぇー!!」
あーもう、と髪をかきむしる蜂屋。
「――で、結局のところ俺はどうしたらいいんすか!?」
「結論は同じよ。本人に聞くしかない」
「だからそれは……っ」
「いーじゃない」
加奈子は微笑んだ。それは今までの笑みとは違った。人を食ったようなものでも、自嘲気味なものでも、苦笑いでもない。ただ静かな絶望を孕んでいた。
「聞ける相手がいるんだもの。手の届くところにいるんだもの。……それだけで、死ぬほど幸せでしょうよ」
「……!!」
はっとして彫像のように固まった蜂屋の胸を小突く。
「甘えてんじゃないわよ若人。友人が泣いてたらどうするか? そんなの他人に聞いて決めるようなもんじゃないでしょうが。どうしたいのか。あんた自身の胸に聞きな」
盛大なブーメランだと知っていながら、加奈子はその言葉を投げずにはいられなかった。




