「幕間:猛スピードで彼女は」
~~~~~イッチー~~~~~
「ごめん。俺……もう行かなきゃ……」
「え? ええっ? あ……なんか用事あった? こんな突然誘ってごめんね? わたし幸助くんの予定も聞かないで……っ」
「あ、いや違う。そういうんじゃなくってさ。涙と話してたら時間経つの忘れちゃってた。今日は摩耶の月一の診察日なんだ」
「摩耶ちゃんの……あっ、そうか。だから携帯ちゃんがいないんだ?」
「そうそう。摩耶の暇潰しにはあれ以上の適任者はいないからな。うるさすぎて周りに迷惑かも知らんけど」
ひひひ、蜂屋の笑う声が聞こえる。
「つーことで。じゃあな涙。今日は楽しかった。また誘ってくれよな」
「う、うん!! じゃあね、幸助くん!!」
「……」
自動ドアの開閉音を聞いてから、イッチーは席を立った。街に1軒しかないファミレスの、小高い間仕切り越しに聞こえていた通り、イッチーの隣のボックス席には涙がいた。
「はぁ~……行っちゃった~……」
実に残念そうにテーブルに突っ伏している。
「でも楽しかったなあ……」
うふふ、と小さく笑う。
「たくさんお喋りできたし……か、可愛いって言ってもらえたし。お世辞でも嬉しかったなあ……。最後に楽しかった、また、って言ってくれたし。……ふ、ふふふふふふふふふふ……っ」
「……」
無言で対面の席に座り、イッチーは涙を見ていた。喜びと羞恥に打ち震えている涙はなんというか壮絶に、
「うざい」
「――ひわあぁぁぁぁぁぁあ!?」
声をかけると、涙はおかしな声を上げて身構えた。
「かかかかかか、柿崎さん!? いつからそこにいたの!?」
「イッチーでいいって」
「い、イッチーさんはいつから!?」
「さんもいらん」
「は、はいぃっ」
びくびくっ、と一言一言に過敏に反応する涙。相手の反応を窺うような彼女の姿勢があまり好きではないイッチーだ。
「おまえさあ……」
言いかけて、ふと口を閉ざす。
こいつは本当に涙だろうか? 一瞬そんなことを考えた。
臆病。本の虫。格好はいつもブレザー。それは学校での彼女の姿しか知らないからだが、それにしても今日のイメージの変化は驚愕に値する。まるで別人のようだ。
黒パンストに白デニムのショートパンツ、スカイブルーのスニーカーでボトムスをアクティブに整え、トップスは女の子らしいフリル多めの赤い水玉のワンピース。唇には軽くリップを塗り、いつもはうざったいだけの前髪を固めてまとめてサイドに流し、造りのいい小顔をきちんと見せている。
天使爆誕。女神だと思ったら涙たんだった。涙たんだったら俺の隣に寝てるぜ? 写メがアップされたらそんなレスが爆速で付きそうな美少女がそこにいた。
「……おまえら、つき合ってんの?」
「つ――!!!!!!!!?」
いきなり顔を真っ赤にし、両手をぱたぱた振って勢いで半分残っていたオレンジジュースをこぼして慌てておしぼりで拭いたけど拭ききれない分が床にこぼれて店員を呼んでぺこぺこ謝り倒してなんとか落ち着こうとハンカチで口元を押さえようとしたけどそれが汚れたおしぼりでオレンジ成分がワンピースに付着してひと騒ぎして、ようやく納まった時にはなんだかんだ10分ぐらい経っていた。
「……つき合ってはないです」
「お、おう」
涙であることはイヤってほど確信出来たが、想像以上の反応にちょっと引くイッチー。
「きょ、今日はねっ。相談に乗ってもらってたの!!」
「相談ねえ……」
頬杖を突いて胡散臭げに目を細める。
「うん。わたしのママが……ていうか本当のママの話ではないんだけどっ」
「……なに。暗い家庭事情の話?」
「あああっ!? ち、違うの!! ゲームの話!!」
ぱたぱたと手を振る涙。
「わたしのママが……ああっ、これじゃまた同じだ。えーっと、えーっとね……!!」
要領を得ない涙の話を要約するとこうだ。
アールの妖精であるママの迷惑スキルが道化の嘲りだということが発覚した。これは簡単に言うと「うっかり八兵衛」みたいな能力だ。罠があれば踏んでしまうし、見つかってはならないモンスターがいれば音をたてて見つかってしまう。物語の道化役として、「やってはならないこと」をやってしまう、FLCで最も恐れられている能力だ。
ちなみにモルガンの妖精であるふくちゃんの迷惑スキルは小悪魔だ。小悪魔みたいな女の子、と言うがまさしくそれで、店に行けばおねだりし(値段交渉してくれる時もある)、戦闘ではまっさきに回復呪文や強化呪文を貰いたがる。しかもシステム的な強制力があるので、自分が意図していない魔法を使わされたり物理的に盾にされたりと、状況次第では十分に致命傷になり得るという、地味にうざったい能力だ。
いずれにしろ自分の妖精の能力が迷惑をかけるのは間違いない。それが涙には耐えられない。
「――で、どうしたらいいかなーと思って、幸助くんに相談に乗ってもらってたの」
「わざわざゲーム内でなくファミレスで」
「うん」
「学校帰りなのに家にいったん戻っておしゃれして」
「う、うん……」
「……相談?」
「……………………ごめんなさい嘘です。不埒なことも考えてました」
目をうるうるさせて謝る涙。
「迷惑スキルが心配っていうのは本当だけど、藍ちゃんに聞いたらとにかく機会を作ってふたりで会うのが一番だって言うからちょうどいいかなって。あ、藍ちゃんていうのはわたしの妹で……」
必死に説明している涙の横に、自分の分のグラスを持った女の子がひょいと腰かけた。
「あ、あたしです」
「おまえか」
「――ふぉぉああああ!? あ、藍ちゃん!? いつからそこに!?」
涙の隣のボックス席がイッチーで、逆隣が藍だったわけだ。
「……全部聞いてたのか?」
「そりゃあもう一部始終。お姉ぇがちゃんとやってるか心配ですから」
さすが姉妹、顔立ちは似ている。だが姉よりもおしゃれな服装で、メイクもばっちりキメている。おそらく初めてであろうイッチーのような人種にも、まったく物怖じしていない。
「まあ、姉よりもしっかりしてそうな感じではあるわな」
「よく言われます」
褒められることに慣れている藍は、姉とは違って、ちょっと褒めても微動だにしない。二コリと綺麗な笑顔を返してくる。
「ずっとそこにいたならとっととこっちに移動して来ればよかったんじゃねえか?」
すでに席を移動して自分の分のグラスとショートケーキを持ってきているイッチー。
「イッチー先輩が敵かどうか判断してたんです」
「先輩……まあいいか。んで、どうだったんだ?」
「敵じゃないです」
「……なんか含みがある言い方だなおい」
イッチーも顔の造作はいいほうだ。胸もあるし肉感的で、男受けが悪いわけでは決してない。さっぱりした男勝りな性格も、女の子っぽい性質を好まない男子には向くだろう。だがそれでも、今日の涙の出来には負ける。
「含みなんてないですよー。だってイッチー先輩、蜂屋先輩に興味とかないじゃないですかー」
「……ないけどさ」
蜂屋がどうこうではなく、男全般に興味の薄いイッチーだ。学校だって共学だし、道場にはたくさんのむくつけき男どもがいるが、好いた惚れたは一度もない。たまに告白されたり(どちらかというと女子からのほうが多いのはなぜだかわからない)もするが、心の琴線が動いたことはない。
今日だって、ファミレスにいたのは助っ人に行った先のバスケ部女子の打ち上げがあったからなのだが、大半を占めていた恋愛話の類には一度も口を挟めなかった。解散した後も残っていたのは精神的に疲労していたからだ。
「漢と書いて男って感じですもんねー。イッチー先輩は」
「……どっちかっつーとおまえが俺の敵なんじゃねえか?」
「やだなー仲良くしましょうよー」とニコニコ手を振って誤魔化す藍。
「んでんで、どうだったのお姉ぇ!? 告白出来た!?」
「こ……!? そ、そんなの出来るわけないでしょ!? おしゃべりしただけだよ!!」
「えー」
「えーじゃないよ!! 無理無理!! いまだに心臓がバクバク言ってるのに!! あ、でも!! でもね!! 可愛いって言ってくれたの!! 楽しかったし、また会おうって言ってくれたの!!」
「おお、それは次回もあるフラグだね!!」
「そ、そう!? そうかな!? 期待出来るかな!?」
「……面倒だから付き合っちゃえよもう」
「――イッチーさん!?」
「さんはいらねえっつーの」
「おおっ、味方ひとりゲットだねー!! お姉ぇ!!」
「オレの場合味方っつーか面倒なだけなんだが……」
大体さ、そう言ってイッチーは隣の間仕切りを手の甲で叩く。涙のボックス席の隣はイッチー。逆隣は藍。背中にあたる位置には――
「最大の敵はこいつなんじゃねえか?」
「な――!!!!!?」
すごい勢いで立ち上がったのはブレザー姿の小巻だった。
「あああああああんたいつから気づいて……!?」
「こ、小巻さん!?」
「……誰この人?」
いきなり見つかったことに焦った小巻は、顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせている。
「……おまえさ。ずっとこいつらの後ろ尾行してたろ?」
イッチーがずばりと核心を突く。
「オレ見てたもん。鞄で顔隠してるからなんだと思ってたらそういうことか。はいはいはい」
おまえさ、と小巻を指差す。
「ハチコーのこと好きだろ?」
「!!!!!!!????????」
ボン、小巻の頭が噴火した。
「――小巻さん!!!!!?」
「……わお、修羅場ー」
狼狽し赤面しくせ毛をかきむしり、とにかくどうしようもなくなった小巻は、ドタバタと通路を回り込んでイッチーの胸倉を掴んだ。
「あ、あああああああんた、適当なこと言うのやめなさいよ!! あたしがなんであんな……あんな……!!」
「じゃあなんで尾行してたんだよ?」
「あ、あれは!! あいつが涙さんに変なことしないか気になって!!」
「変なことして誰が困るんだ? むしろ涙は変なことされたそうにしてるんだぞ?」
「!!!!!!!!!?????????」
「わ、わたし!?」
自分を指さしてきょろきょろする涙。
「もう中2なんだからさ。おまえもいい加減ハチコー離れしたら?」
「だ……誰が……っ」
「いつまでも幼馴染のままではいられないんだぜ? コ・マ・キ・ちゃん?」
リズムをつけて頭を叩くが、小巻は反撃してこない。唇を噛んでうつむいて、肩を震わせている。
「………………………………………………………もん」
「あ?」
身体を起こした小巻が突然右拳を引いた。腰まで引き、突き出すと同時に捻りを加え、作用点に達する直前に拳を強く握る。
――ドスッ。
重い音が、イッチーの顔面のすぐ脇に突き刺さる。ソファの背もたれに拳が突き刺さり、ウレタン生地に皺が寄り焦げ臭い匂いが漂う。
(この体勢で腰入れた突きとかよく打てるなおい……)
当てるつもりがないのは知っていた。だが予想以上の威力に、イッチーの背中を冷たい汗が流れ落ちた。
「――なんだよ、やんのか?」
体を離し立ち上がった小巻を、イッチーが挑発する。
「やんないわよ!! 死ねバカ!!」
一気に吐き捨てると、小巻は鞄を抱えて逃げるようにファミレスを出て行った。
「だ、大丈夫!? イッチーさんっ」
「……うわーすごいね。女傑だねあの人」
店内の注目を一身に浴びながら、イッチーは黙ってショートケーキの苺を口に放り込む。果実の酸味に生クリームの甘みがほどよく絡んでいる。
「……ああそうだな」
手を見下ろす。指先まで震えている。身の内から湧き起こるぞくぞくするような感じは、これが快感なのだろうか。
(恋愛なんかよりはよっぽどこういうののほうが――)
「――好きだわ。オレ」
ぼそりとつぶやいた一言に、ふたりがなぜかどん引きする。
「い、イッチーさんてやっぱりそういう……」
「……こりゃあ本当に敵じゃなかったねー。ベクトルが真逆なんだもん」
「……ん? なんだおまえら?」
イッチーが訊ねても、ふたりは目を逸らして答えない。
「い、いいと思うよ。ね? イッチーさん。ふたりで頑張ろっ?」
「共同戦線になるかな? そっちはそっちでくっついてくれればいいもんね」
「だから何言ってんだおまえらは?」
~~~~~吾妻小巻~~~~~
走っていた。猛スピードで走っていた。イッチーの声が聞こえなくなるまで、小巻は走らなければならなかった。
――バレた。知られた。気づかれた。
イッチーの小馬鹿にしたような顔が脳裏にチラつく。
噂を吹聴するような奴ではない。長い付き合いで、それは知っていた。だけど絶対に気づかれてはいけない奴だった。
弱みを握られた今でも、自分は拳を振るえるだろうか。素のままの自分で、あいつの前に立てるだろうか。
「あたしは――」
つぶやいて足を止める。息は切れていない。陸上で鍛えた心肺は、この程度でへこたれない。
だけどたまらなくなって、小巻は膝をついた。膝小僧に乾いた土の感触がする。
気が付けば公園にいた。平日の学校終わりの午後。日はまだ暮れていない。
今夜の予定をどうしよう。約束を破るのは嫌いだ。だけどみんなの前に顔を出せる自信がない。
「あたし、どうしたら……」
胸を押さえる。こぼれてしまった感情を、どうにかしまうことはできないだろうか。もう一度、すべてなかったことに出来ないだろうか。
「おい、大丈夫か?」
「――!?」
いきなり肩を叩かれた。びっくりして立ち上がり身構えると、両手で顔をガードした蜂屋がいた。
「こ、幸助!? なんであんたここに!?」
「いやなんでっちゅーか……」
そういえば摩耶ちゃんの病院に行くのだった。ファミレスから全力で走り続けて、いつの間にか追い越してしまったのだ。
「――見ないで」
「え?」
「ごめん。見ないで……」
どうしてだかこぼれてしまった涙を見せまいと、小巻は顔を両手で覆う。
「な、なんだよ。大丈夫か? 具合でも悪いのか?」
心配した蜂屋が、優しく小巻の肩を抱く。
「や……」
蜂屋の手を振り払おうとしたが、体に力が入らない。自分の体を心配してくれる蜂屋の眼差しと体温が愛おしすぎて、動くことが出来ない。
ああ……。
体から、息がこぼれる。押さえ続けてきた感情が溢れそうになる。衝動に身を任せてしまいたくなる。
「あんたさ……」
「ん?」
「あんた……武田さんのこと好きなの?」
「はあぁ!?」
びっくりして体を離した蜂屋の服の袖を、逃がすまいと掴む。
「――答えて」
「え、いや、その……」
真剣な小巻の表情に呑まれる蜂屋。逃れられないと気づいたか、顔を赤くして、ぼりぼりと頭をかく。
「嫌い……じゃ……ない。どっちかと言うと……たぶん好き……かな」
「……うん……そうだよね」
服の袖を離し、蜂屋から距離をとる。
「武田さん……可愛いもんね……」
「……う、うん。そうだな。あー……でも別に俺は……」
「――協力してあげる」
「………………ん?」
うつむいたまま、軽く蜂屋の胸を小突く。
「あんたに訪れた最初で最後のチャンスなんだから。ちゃんと掴みな。あたしは……幼馴染として……」
応援してあげるから。
そう続けようとしたのに、涙が詰まって声が出ない。
「……じゃ」
かろうじて絞り出した音を無理やり言葉にして投げつけて、蜂屋に背を向けて走り出した。
「お、おい。俺は別に――」
蜂屋が何か言っているが聞こえない。聞きたくない。
走る。加速する。風になる。
心臓が脈打つ。体中に熱い血液を送り出す。
頬を伝う涙を風で吹き飛ばしながら、小巻は思う。
これでいいのだ。結局自分たちは、あの頃のようには戻れなかった。時間が無限にあるならやり直すことも可能だろうが、もう1年もない。あの世界が終われば、すべては終わる。だったらせめて、あいつが幸せになれば――
――たぶんすべてを、諦められる。




