「穴の底へ」
~~~~~ラクシル~~~~~
雨が降っている。レヴンドール大森林に雨が降る。
バチッ、バツバツッ。
強い雨が屋根を打つ音で、ラクシルは目を覚ます。
「……」
屋根といっても、屋根の形を成していない。かつて壁だったものとかつて屋根だったものが、結果的に雨滴を防いでいる。ラクシル自身には、雨を避けるつもりはなかった。言いつけられた通り、自分の部屋だったところにいるだけだ。
「……アメ」
上を見上げれば、遥かな高みに地上の縁が見える。
見渡せば、辺り一帯に村だったものの残骸が広がっている。水車の名残り。牛舎の名残り。村人の息吹。彼女の足跡――。
昔、そこには村があった。魔女カイの治める村があった。いまはもうない。
妖精王アードバトンによって結成された討伐隊とカイとの争いは、この地を歪に歪め崩壊させた。戦いの最中、直径300メートルもの大穴が開き、ラクシルは村ごと穴の底に落ちた。
――以来、迎えも追手も来ない。忘れられた穴の底の廃村で、長い時を過ごした。
そもそも感情の薄いラクシルは、そのことを気にしたことはない。カイの残した命令通りに大森林を巡回し、怪しい者がいれば一撃を加え速やかに離脱し、情報を収集するだけの変わらない日常を送っていた。
クオーン、クオーン。
悲しげな鳴き声が聞こえる。
反響が廃村に響く。
「チッ……チッ……」
ラクシルの呼ぶ声に反応して、一匹の犬が姿を表した。
毛並みも牙も、瞳の色までも黒い犬。闇に溶ければどこにいるかもわからなくなってしまうような幽霊犬。敵意はないようだった。黒い瞳をまっすぐに彼女に向け、歩いてくる。
「チッ……チッ……」
ラクシルは犬の名を知らない。名前をつけるという発想もない。呼び声と個体名が一緒になっているが、指摘する者も当然いない。
「チッ……チッ……」
呼ぶと犬が近づいてくることは知っていた。尻尾を振り、喉を鳴らし、ラクシルの脚に体を擦り付けてくる。それが親愛の情であることまでは、彼女は知らない。
クウ……?
犬が、何かを感知したように空を見上げる。
「……マタ……キタ?」
ラクシルもまた、犬と同じように空を見上げる。雨に煙る廃村の中、敵の侵入を察知する。
~~~~~ハチヤ~~~~~
ラクシルを倒そうとするPTに、のんびりとした戦闘は許されない。範囲魔法の重爆や物理スキルの畳み掛けで一気にやるか、運を天に任せて状態異常魔法を重ね掛けるか。
いずれにしても、最大の難関はラクシルの速度と回避能力だ。半端な速度では追いつかないし当たらない。ならば、何がしかの手段でラクシルを足止めするか、必ず通る地点を予測して、あらかじめそこに魔法を打ち込んでおくしかない。
足止め案は割と早くに廃れた。ラクシルを足止めするためにわざと細い道にプレイヤーキャラを密集させたり、逆に他のモンスターを誘い込んで密集させたりしたが、ラクシルは軽やかにジャンプして躱してしまう。
そもそも「待つ」ということはFLCにおいてもっとも危険な行為である。1秒先すらわからない妖精たちの行動が、過去幾多のPTの心を折ってきた。
となると通過地点を予測するしかないのだが、基本的に神出鬼没で、斥候や忍者などの探知を得意とする職業でも知覚できないレアモンスターの彼女の出現位置や通過ルートを予測することは不可能だった。偶然に火線が重なったPTもいたにはいたが、寝落ちやら凡ミスが重なって、結局彼女のHPを削ることは出来なかった。
歴戦のPTの足元にも及ばない俺たちには、力ずくでの討伐など夢のまた夢だ。でもひとつだけ、俺たちには有利な点があった。それは、ラクシルの出現位置もルートも、すべてが俺に収束することだ。
「だからと言ってこれはねえよなあ……」
毛長牛に跨り、俺を置いて先に行くメンバーをうらめしい気持ちで見送る。
「悪いな。ハチヤ」
「じゃあなー。ハチコ―」
「バイバイ!! お兄ぃ!!」
「森を抜けたら大きな街があるんだっけ? どんなキャラがいるのかしら!! 楽しみね、ふくちゃん!!」
「あんたはもう少し俺に気を使えよ!!」
挨拶もなしに、というよりは俺の犠牲などなかったかのようにふくちゃんのほっぺをもみしだいているモルガン。
「ははは、まあしょうがないよ。ハチ」
コルムが爽やかに笑いながら俺の肩を叩く。
「このミッションはオレとおまえにしか出来ないことだ。他のみんなを巻き込むことはできない」
「そりゃそうだけどさ……」
俺はため息をつく。
狙われているのは俺だけなのだから、じゃあ俺が餌になればいいじゃんというイチカの指摘はまったくの正論だ。狙われていない者同士でPTを組んで、とにもかくにもレヴンドール大森林を突破。残された俺とコルムは、ラクシルにやられる前にバクさんの極限状況強制転移で「上手いこと」ラクシルの追撃も届かないエリア境界に飛ばされることに賭ける。あとはそこから走るだけ。
しかし、同エリア内のどこに飛ばされるかわからない危険な迷惑スキルをこんな風に使う日が来るとは思ってなかったぜ。まあ何回やれば上手くいくのかはわからんけども……。
ドドドドド……
土煙を上げ、枝や葉を巻き上げ、ラクシルが樹間から飛び出してくる。
「コロス……コロス……」
無表情のまま、歪みない殺意を向けて疾走してくる。
「ちぇ、今日も変わらずお元気ですこと」
あらかじめ削っておいたコルムのHPバーは、すでに半分を切っている。バクさんが心配そうに主を見つめ、コルムは泰然として腕を組む。
「さ、ひと思いにやってくれ」
介錯を乞う武士のように堂々としている。男らしい。
「悪ぃな。コルム……」
成り行き上しかたないとはいえ、友達を斬るってのは気分の悪いものだ。いつもなら茶化してくるルルも、今日ばかりは神妙な顔をしている。
「わかってるさ。気にすんな。ハチ」
微塵の動揺もないコルムは、笑顔のまま俺に背を向ける。
「――悪ぃ」
俺は目を瞑り、剣を振りかぶった。
――ブゥウウウン。
転移のエフェクトが俺たちを包み――気が付いた時には辺りの景色は一変していた。大森林には違いないが、生えている木々の幹の太さが違う。直径1メートルはあるんじゃないかっていう巨木ばかりだ。フィールドモンスターもレベル帯が明らかに強く、ただの移動ですら危険を伴う。
マップを開くと、ちょうどど真ん中に俺たちを示す光点が表示された。
「……深部か?」
だとすると、ちょっと厄介なことになる。毛長牛を呼び出して(世界中どこにいても、呼べば応えて走ってくる。超いじましい)移動をしたとして、この位置からラクシルを振り切ってのエリア超えは難しい。向こうはどこにいてもこっちの位置を特定出来る上にあの速さだ。
「……んー、これはちょっと厳しいかもな」
コルムは頭をかく。バクさんはコルムの脚の間に首を突っ込みながら、回復魔法でコルムのHPを回復している。
迷惑スキルの発動は、エリアチェンジをしない限り連続では行われない。つまりもう、転移することは出来ない。
そうこうしているうちに、遠くの木が倒れる音が聞こえた。藪をかき分ける音や、無数の鳥の羽ばたく音が聞こえてくる。
「……さすがの速さ」
ラクシルの執念に呆れながらも、何かないかと繁みをかき分けた俺の目に、そいつは飛び込んできた。
「……あ」
「うん? どうしたハチ」
追いかけて来たコルムに、俺はそいつを指し示す。
「穴だ」
「……ああ。……あ。これってあれか? 魔女カイの集落」
「うん。『遥かな底の名もなき村』だ。俺も来たのは初めてだ。なあ、これ下まで何メートルあると思う……?」
「うん?」
不思議そうに首をかしげるコルム。
穴の底は果て無く深く、雨のせいもあって霞んで見えない。
「高さだよ。高さ」
「ええー? そりゃあかなりのもんだけど何メートルかまでは……」
「……あるじ様。まさか……」
横でルルが絶句する。
「そのまさかだよ。俺たちにはラクシルを倒せる実力はない。だが重力は味方だ。あらかじめ狙いどころさえわかっていれば――」
そこへラクシルが突っ込んでくる。わき目もふらず、「真っ直ぐに」俺に向かって。
俺は穴の縁に立って、ラクシルに向かって手を広げた。
「ウェルカムラクシル。そしてさよならだ――」
タン。――と後ろにステップを踏んだ。




