「終わりの始まり」
~~~~~蜂屋幸助~~~~~
携帯から女の子のアニメ声が聞こえるという局地テロは、それから数分の間続いた。ボリュームを下げても自動で最大まで上がり、電源を切っても勝手に起動するというほとんどウイルスのような鬼畜仕様は、電源パックを抜くところまでいってようやく収まった。
その間、ルルは「ちょー、やめ」とか「殺す気ですか!!」とかさんざん騒いでいたが、俺もまったく同じことを叫びたかった。いやまじで、クラスメイトの視線が痛いです。
俺のクラスは比較的オタク文化には寛容なほうだが、それでも受け入れない層は一定数いるし、そういう奴に限って発言力は強い。
「……死ねばいいのに」
心折れそうな声で刺してくるのは、隣の席の吾妻小巻だ。くせ毛のショートカットをぐしゃぐしゃかき回している。明らかにイライラしている。怒ってらっしゃる。
こいつは家が隣の幼馴染で、昔からことあるごとに俺とセット扱いされてきたせいか、俺がバカをやるのを異常に嫌う。やれ服装が乱れてるとか、こんな問題も解けないのバカとか、せんせーこいつ寝てますとかとか、常にアクションが攻撃的だ。「いつも明るく朗らか」で「クラスのムードメイカー」のくせに、俺にだけはかくも厳しい。
まあ、今回ばかりはさすがに旗色悪いみたいなので黙っておくけどさ。
「放課後、生徒指導室に来るように」
当麻先生に言われ、俺はその日の放課後、初めて生徒指導室を訪れた。そこはいわゆる説教部屋で、問題を起こした生徒に教師が怒鳴り付けたりネチネチお小言を言うためだけに作られた部屋だ。
帰宅部で、成績も中の中くらいで、いじめたこともいじめられたこともなく、友達……はお世辞にも多いとは言えないけど、それなりに普通の中学生活を送ってきた俺がお世話になるとは夢にも思っていなかった。
「うわあ……」
スチール机を挟んでパイプ椅子がふたつという刑事ドラマの取調室を想像させる殺風景な部屋に、先生だけがいた。
当麻可奈子、春に着任したばかりの新任教師であり我が担任である。
20代前半のはずだが若さを感じない。化粧っ気のない顔に地味な紺のスーツ、黒ぶちメガネはいつもレンズが汚れていて、なんか女子を感じない。教科は俺の好きな現国だが、抑揚もなく棒読みでつまらない。先生の手にかかると宮澤賢治もお経にしか聞こえない。イーハトーブが墓地みたいに思えてくる。
万事につけ控え目で暗い先生がどんな説教をするのか、クラスでは密かに盛り上がっていた。「頑張れよー」なんて声もあったが、暗に俺を揶揄してるような雰囲気があって、なんの慰めにもならなかった。
ほんと、これからの俺はどんな扱いを受けるんだろう。
俺が席に座ると同時に、先生が戸を締め切り鍵をかけた。
……ん? 鍵?
勧められるまま椅子に座って、ふと気づいた疑問に首を傾げる。
パワハラだセクハラだ、人権がどうこう男女がどうこうと騒がしい昨今、女性教師と男子生徒がふたりきり(逆もまたしかり)になるのはいかがなものかと、うちの中学でも問題になっていた。
解決方法として呈示されたのが、「ドアは開放状態」というものだったはずなのだがこれは……。
振り返ると、当麻先生がドアを背に腕組みしている。顔をうつ向け、表情はうかがえない。
「先生……」
「蜂屋幸助くん」
「あ、はい」
先生の声が緊張している。なんだ、説教とかキャラじゃないことしてるからか?
「……どこのアプリなの?」
「はい?」
「さっきの声よ。ボリュームを下げても電源を切っても無理やり立ち上がってきた。その都度セリフまで絶妙に変えて。あれじゃあまるで……」
「や、それは。俺にもなにがなんだか……」
「……わからない?」
先生のトーンが下がる。部屋ごと冷凍庫にぶちこまれたような錯覚を覚える。背筋に寒気が走る。
「え、ええ」
「――見せて」
「え」
「見せなさい」
「や、だめですよ。あれはちょっと……っ」
恥ずかしい。
てか、ある意味俺の煩悩の塊だから、人に見せられるもんじゃない。妖精に「あるじ様」なんて呼ばせてるとこ見られたくない。
教室に戻ったらなんて呼ばれるかすら怖い状況なんだから、ほんともうやめて下さい。
俺が椅子ごと下がると、先生は下がった分以上に詰めてきた。
「ちょ」
顔が近い声が近い息がかかる目がマジすぎて超怖い。この人なんでこんなにマジなんだ!?
「だめですってだめですって!!」
「お願い!! ほんのちょっとでいいから!!」
「先っぽだけでいいからみたいに言うな!!」
携帯を巡ってもみくちゃになる俺と先生。しまいにはバランスを崩し、ふたりとも床に倒れた。
ガシャン!!
生徒指導室に響いてはならない音が響く。
「捕った!!」
「捕ったじゃないですよ!! なにやってんですかあんた!! 泥棒ですよ泥棒!!」
誇らし気に俺の携帯を掲げる先生に、俺は全力で突っ込む。
先生は携帯の電源を入れ、一心に画面を見つめている。おいなにやってんだやめろ。
「――ぷはあっ!! 死ぬかと思った!!」
立ち上がると同時にルルの声。液晶の中で胸に手を当て、息を荒げている。
「もーっ!! ひどいひどい!! ひどいですよあるじ様ぁ!! いきなり電源切って!! 目の前真っ暗になったじゃないですか!!」
ぷんぷんと異議を申し立てているルル。しかし相手が俺でないことを知ると、
「――ありゃ、あるじ様が女体化しちゃった」
とぼけた言葉を発した。
「するか!!」
「あ、あるじ様だ。ひゃっほ~い」
能天気に手を振ってくる。
「……せんせ?」
先生はルルを見つめたまま微動だにしない。呼吸することを忘れているのか、ほんとに1ミリたりとも動かない。
「……ん~?」
状況がわからずにルルが首を傾げる。
傾げすぎてバランスを崩し、勢いで横に1回転する。
ズッキューン。
そんな音がしたのは気のせいか?
「……!!」
ぐらりと先生の体が傾く。そのまま止める間もなく床に倒れた。
「おい!?」
あわてて覗きこむと、鼻から血を流しながら目を閉じている。気絶しているわけでも寝ているわけでもなかった。世にも幸せそうな顔で、口元をむにゅむにゅ動かしている。
「ああ……眼福……」
ドンドンドン!! ドンドンドン!!
騒ぎすぎたせいか、生徒指導室の戸が忙しなく叩かれる。
「ちょっとあんた!! なにしてんの!!」
げ、この声は小巻!?
「なんでもないなんでもない!!」
慌てて声を張り上げる。この状態を――つまり俺と先生が床で折り重なるようにしていて、先生の着衣に乱れがあって、鼻血まで流して恍惚とした表情を浮かべているのを見られるのは非常にまずい。世間的に倫理的にまずい。まずいことは一切してないのに、圧倒的な罪悪感のある不思議。
「なんでもないわけないでしょ!! なんで鍵なんかかけてんの!!」
「それは先生が!!」
「先生がそんなことするわけないでしょ!! あんた密室でいったいなにを――は!?」
「やめろ!! へんな想像をするな!!」
「へんな想像ってなによ!! あんたこそなに考えたのいま!! モザイクかけなきゃいけないような卑猥なこと考えてたんでしょ!! まったく、夜な夜なあんたの部屋から叫び声が聞こえてくると思えば、あんな妖精にあ、ああああるじ様なんて呼ばせて!! この変態!! エロむっつりスケベ!!」
「ばかやめろ!! それ以上は黒歴史になる!! ほんとごめんやめてください!!」
「ええいうっさい!! いいから開けろ!!」
ガタガタと戸が揺れる。このままだと鍵はともかくとしても、戸がレールから外れる。
「無理だから無理だから!! いまはまずいって!!」
力ずくで開けられないように、逆側から力を籠める。
「何がまずいのよ!! 見られちゃまずいものでもあるの!? そういや先生は!? 先生の声が聞こえないけどどうしたの!?」
「……お、俺は悪くないぞ!?」
「あんた……!!」
小巻がしばし絶句する。
「違う!! いまお前の頭にある想像を捨てろ!!」
「――そんなことしてたの!?」
「どこまで考えてたんだー!?」
「いいから開けろー!!」
「なにこれ……なによこれ……?」
「だから入れたくなかったんだよ……」
携帯を抱きしめながら床の上をぐるぐる悶絶してる先生を見て、小巻も絶句していた。
先生の歴史を端的に説明すると、声優オタクから(ルル役の声優が好きだったらしい)可愛いもの好きへと派生して色々と取り返しのつかないことになり、現在に至るらしい。結果的に2次元以外には興味がなくなり、自分の外見にも他人にも気を使わなくなったのだとか。
んで、ルルにハートをガッチリ掴まれ、アプリの名前を聞く⇒携帯強奪というすさまじい思考経路を経たと。
うんダメだなこの人。
「……ごめんなさい取り乱してしまって。トキリン(河野時子という声優の人)の声を聴くともう条件反射で……」
正気を取り戻した先生は正座して謝っていて、結果的に立場が逆になっている。怒られる側だった俺としては非常に助かる。まあもともと俺のせいじゃなかったんだけど。
「はあ……まあいいんですけど……。あたしはてっきり、こいつが先生にとんでもないことをしでかしたんじゃないかと思って……」
「いらぬお世話だよ!!」
「いや、そもそもはあんたが悪いんじゃない。あんな痛アプリ入れちゃって、なにあれ、目覚まし? ポストペット? あんなの入れてるやつ、性犯罪者予備軍と思われてもしょうがないでしょ」
「だーかーらー、それも俺の知ったことじゃないっての!! こいつが急に」
携帯の中のルルは、「ん? ルル? ルルの出番?」となんだか嬉しそうに自分のことを指差している。
「勝手に出てきたんだよ。俺がどうこうしたわけじゃない。こんなアプリを入れた覚えもないしな」
「竹の子じゃあるまいし、勝手に生えてくるわけないでしょ。ほらあれじゃないの?あんた怪しげなサイト見てウイルスでももらったんじゃないの? あー……と、あんたのやってるゲーム。FLCだっけ? あれもなんだか怪しげだしさあ」
「あーあーああー!! ひどい!! FLCは健全安心。ご家族のだんらんをぶち壊さない優良ゲームですよ!!」
なんとも素早いレスポンスに、小巻の肩がびくりと跳ねる。
「すごいわね……ほんとにトキリンがリアルタイムでしゃべっているみたい」
先生が顔を寄せると、携帯の中のルルが一歩引く(携帯は取り返した)。どうやら怖い人だという印象を与えてしまったようだ。
「FLCは中に人がいるみたいに妖精が喋るのが売りなんで……。でもここまで喋るのはちょっとな。携帯まで出張ってくるってのも正直考えられない」
「なんで受け入れ体制整えてんのよ。あるわけないでしょ。2次元よ2次元。作り物よつ・く・り・も・の!! あんたは騙されてんの。不正アプリなの、ウイルスなの。わかんないほどバカなの?」
「いやだってさ。いままでもそういう疑惑あったし。考えてみりゃFLCの妖精って会話レベルが高すぎるんだよな。ボケもツッコミも効くし、リアクションもいちいち細かいし、なんとお悩み相談までしてくれる。中に人がいるんじゃないか。ゴーストが囁いてるんじゃないか。とかとか、いろいろ俗説はあってさ。で、俺はこう思ってたんだ。こいつは電子の妖精なんじゃないか。あっちの世界でこいつは本当に生きてて、だから心が通うんじゃないかって。もちろん願望もあったけど……でも、こうして願いがかなって嬉しいよ」
「あるじ様……」
「あんたって……」
たぶん違う意味で絶句しているルルと小巻。
「じゃ、じゃあやっぱり生きてるの!? FLCをやればトキリンと一緒に冒険できるの!?」
「先生落ち着いて。こんなやつのいうこと……」
「出来るよ!! ルルと一緒に最終クエストをクリアしよう!!」
突如ルルから飛び出した言葉に、俺は首をかしげる。
「最終クエストってあの超高難度クエだろ? どうしたんだ? ルル。おまえ、いままでそんなにクエにこだわりなかったじゃないか……」
「――ぐすっ。あるじ様ぁ」
いきなり涙ぐむルル。
「もうすぐFLCが終わっちゃうんだよー!! もうあるじ様と会えなくなっちゃうんだよー!!」
携帯から飛び出し両手を広げて抱きつこうとするかのようにアップになるルル。だがもちろんそんなことは出来ず、液晶にぶつかったようなリアクションをとる。昔のギャグ漫画みたい。
「……終わる? なに言ってんだよルル。FLCはどんなに過疎化しても最後の一人がプレイしている限り運営終了しない宣言してたじゃ……」
「経営悪化で会社がなくなっちゃうんだよー!! 身売りするんだけど、購入側はもう続ける気がないんだよー!!」
「な……!!」
突然のFLC終了宣言。それは、俺たちの濃ゆい濃ゆーい1年の始まりだった。