その4
【next】へ行くと、社長の渡瀬さん自ら出迎えてくれた。
「おはようございます、渡瀬さん。メイさんは来てますか?」
「……それが、メイは断るって言ってるのよ。理由を聞いても言わないし…何かあったの?」
渡瀬さんは困惑したような顔だ。
「はあっ?」
俺は仕事ということを忘れて声を上げた。
「何かって…昨日の撮影は大成功です。だからわが社は、メイさんと契約することに決めたんです…彼女はどこにいるんですか?俺が説得します!」
「たぶん、まだ家にいると思うんだけど…」
そう言うと携帯を取り出した。
「……ダメだわ、携帯にも出ない。あの娘ってば何考えてるのかしら」
「俺、彼女の家に行ってみます。」
契約書を抱え【next】を出ようとすると、渡瀬さんに呼び止められた。
「朝倉君!あの娘が断るって事は、きっと何か理由があると思うの。お願いだから無理強いだけはしないで」
俺を見上げている、渡瀬さんの表情は真剣だった。
「大丈夫です。きちんと話をして、納得させた上で契約してみせます」
そう言うと彼女のマンションへ向かった。
俺は渡瀬さんから聞いた、彼女の部屋の前で一つ深呼吸をした。
(冷静になれ…絶対感情的になるな)
自分自身に言い聞かせる。
インターフォンを押そうとした時、表札に目が留まった。
--麻生--
(麻生って言うのか。メイの名字)
そんな事を考えながらインターフォンを押す。
(……はい?)
インターフォン越しにメイの声が答えた。
「【グローリー】の朝倉ですが…事務所へ行ったらまだ自宅ということでしたので、突然で失礼かと思いましたが、契約書を持って参りました」
「……ごめんなさい。今回の話はお断りします。帰って頂けませんか」
しばらくの沈黙の後、メイが静かに答えた。
(馬鹿か…この女!せっかくのチャンスを棒に振るのか!)
俺は努めて冷静を装って扉の向こうへ話し掛ける。
「これは君にとっても【next】にとっても大きなチャンスなんだぞ!それを渡瀬さんに相談もせず、君の一存で勝手に決めていいのか?…とにかく、部屋に入れてくれ。きちんと話を聞いてから決めても遅くはないだろう。俺だってこのまま『はい、そうですか』とは帰れない!」
どの位の時間が経っただろう。もう無理かと思った時、カチリと鍵が開く音がして、ゆっくりと扉が開いた。
メイは俺の顔を見ようとせず俯いていた。
「勝手なのは充分承知してます。社長にも申し訳ないと思ってる。だけど、この仕事を受けたくないの」
「理由は…何?」
俺は仕事という事を忘れ、咎める様に聞き返した。
「……それは…あ、ちょっと!」
言葉を探している彼女を押しのけると強引に部屋の中へ入った。
彼女の部屋はワンルームで、キッチン、リビングとパーテーションで区切った奥が寝室になっているようだ。
「とりあえず、契約内容を聞いてから決めてもいいんじゃないか?君も会社の不利になる様な事はしない方がいい事はわかるだろう」
リビングにあるソファに勝手に座ると、俺は目の前のテーブルに契約書を広げた。
彼女は立ったまま、その契約書を見つめている。
「座れば?」
俺がそう言うと、彼女はしぶしぶといった感じで向かい側に腰かけた。
「で、理由は何?【アンジェリア】の専属モデルだ。普通のモデルなら二つ返事でOKするはずだ。それを断るというなら、納得いく理由が聞きたい。君の事は俺が吉澤主任から一任されている。契約出来ないなら俺だって主任を納得させなければならないんだ。理由を聞く権利はあると思うけど?」
「……あなたは私が【アンジェリア】のモデルになるのは嫌なんじゃないの?」
メイは俯いたままこちらを見ようとしない。
「ああ、最初はね」
俺の言葉にメイの肩がピクンと動いた。
「だけど昨日の撮影の時の君の仕事ぶりは凄いと思った。そして…」
無言になった俺に、彼女はここに来て初めて顔を上げて俺を見た。
「…今日、会社で昨日の写真を見たんだ。その時『【アンジェリア】のモデルは君だ』と思った」
「唯香さんもいるじゃないですか…」
「確かに唯香も契約しているけど、雪村さんの言ったとおり君の方が【アンジェリア】のイメージに近い。さすがデザイナーは凄いよな、一目で見抜くんだから」
俺が明るく言うと、メイはまた俯いた。その目線の下に契約書を差し出す。
「とりあえず読んで、それから決めても遅くはないだろう」
メイは契約書を受け取るとその内容を読み始めた。
とりあえず、一息つくと俺は部屋の中を見回した。
女の子らしいピンクのカーテンがかかっている。壁にコルクボードが掛けられていて、そこには写真が沢山貼られている。
俺はついソファから立ち上がると、その写真の前に近づいた。
どうやらモデル仲間と撮ったらしいスナップ写真が所狭しと貼ってある。メイは写真の中で楽しそうに笑っている。それを見て俺も微笑んでいた。
するとスナップ写真の中に色あせた写真があるのを見つけた。何気なしにその写真を手に取った俺は固まった。
そこに写っていたのは楽しそうにこちらを見ている、日に焼けた浅黒い肌の少女と少し太っている少年だった。