フルダイブ型VRゲームは無理だと思うが・・・
脳波や脳埋め込み型センサーを使ったゲーム操作は、すでに現実のものとなっている。
NeuroSkyやEmotivのようなヘッドセットは集中度からゲーム内の物体を操作し、Neuralinkはサルにピンポンゲームを、麻痺患者にカーソル操作を行わせることに成功している。
この事実だけを見れば、「脳とコンピュータをつなぐ技術」はもはやSFではなく現実だと言いたくなるかもしれない。
しかし、これらの成功例には共通する重要な制約がある。
それは、読み取っている情報が「大まかな意図」の域を出ないという点だ。
レースゲームで曲がる、迷路で進む方向を選ぶ、カーソルを上下左右に動かす――これらは、選択肢が数個から十数個程度に限られた、いわば「粗い」信号処理で成立している。
これに対し、フルダイブ型VRでアバターを現実の身体のように動かすには、桁違いの精度が要求される。
たとえば人差し指を曲げる動作と中指を曲げる動作は、脳内では隣接した、しかし異なる神経回路によって制御されている。
人間の手だけでも、数十の筋肉と、それを支配する膨大な数のニューロンが関与しており、日常的な動作(物をつまむ、文字を書く、表情を作る)は、この極めて高解像度な信号のリアルタイム処理によって初めて成立している。
現在の非侵襲型センサー(頭皮の上から測定する脳波計)は、頭蓋骨や髪、皮膚を挟んで脳活動を大まかにしか捉えられず、指一本ごとの意図を識別することすら困難である。
Neuralinkのような侵襲型であっても、現状の電極数は数千程度にとどまり、これは人間の脳が持つ数百億のニューロンと比較すれば、ごく限られた範囲の情報しか拾えていないことを意味する。
つまり、「進む・止まる」といった粗い出力はできても、「現実の身体と寸分違わずアバターを動かす」ために必要な、桁違いに高密度な信号の識別・処理は、現在の延長線上には見えていない。
仮に、センサー技術が飛躍的に進歩し、指一本一本の動きどころか、全身の筋肉の微細な信号までも脳から正確に読み取れるようになったとしよう。
それでもなお、フルダイブ型VRの実現には、もう一つの根本的な壁が立ちはだかる。
ソフトウェア側の限界である。
ゲームというものは、本質的に有限のプログラムの集合体である。
キャラクターがジャンプする、物を掴む、殴る――こうした動作は、あらかじめ開発者が用意した関数やアニメーション、当たり判定として実装されて初めて成立する。
物理演算エンジンにしても同様で、一見自由に見える挙動も、実際には「こう動いたらこう反応する」というルールの近似計算にすぎない。
想定外の状態に入ったとき、キャラクターが壁をすり抜けたり、身体が奇妙な方向にねじれたりする、いわゆる「バグ」が発生するのは、プログラムが用意していなかった状態にシステムが陥った証拠である。
これに対し、現実の人間の身体が持つ自由度は、理論上ほぼ無限に近い。
関節の角度、筋肉の収縮の度合い、力の入れ方や速度の組み合わせは、無数のパターンを取りうる。
この「無限に近い現実の動き」を、ゲーム側があらかじめ「有限のパターン」としてすべて用意しておくことは、原理的に不可能である。
どれほど選択肢を増やしたところで、それは依然として有限のリストであり、リストの外側の動作を取ることはできない。
つまりここに、二重の壁が存在することになる。
第一に、脳の信号を現実の身体の動きと同じ解像度で読み取るセンサー側の壁。
第二に、たとえその信号を完璧に読み取れたとしても、それを受け取って現実と同じ無限の動作として再現するソフトウェア側の壁である。
フルダイブ型VRが乗り越えるべきハードルは、片方だけでも極めて高いにもかかわらず、実際にはこの二つが同時に、しかも独立した困難として存在しているのである。
ここまで論じてきたように、フルダイブ型VRの実現には、少なくとも二つの根本的な壁が存在する。
指一本の動きすら正確に読み取れないセンサー技術の限界、そして現実の無限に近い自由度をあらかじめ有限のプログラムとして用意することのできないソフトウェアの限界である。
技術的に冷静に見れば、これらは近い将来に解決されるような性質の課題ではないだろう。
それでも、一人のゲーマーとして白状すれば、心のどこかでこう思わずにはいられない。
「生きているうちに一度でいいから体験してみたい」と。
思えば、かつて「不可能」とされていた技術が、時代の想像を超えるかたちで実現してきた例は少なくない。
数十年前には、ポケットに収まる端末で世界中の人々と瞬時に顔を見て話せる未来を、多くの人が本気で信じてはいなかったはずだ。
フルダイブ型VRが乗り越えるべき壁は、それらとは比較にならないほど高い。
それは間違いない。
しかし、その高さそのものが、挑戦する価値の大きさを物語っているようにも思える。
センサーの精度も、ソフトウェアの表現力も、AIという新しい変数を得て、これまでとは異なる速度で進化を始めている。
理屈の上では「不可能」と結論づけながらも、心のどこかで「それでも」と期待してしまう――それもまた、ゲームというものが与えてくれた、一つの夢の見方なのかもしれない。
実現するかどうかは、正直わからない。
けれど、もし自分が生きている間にその扉が少しでも開くのなら、真っ先にその世界に飛び込んでみたいものだ。
現実的な価格であるのならば。
長らく文章を書く習慣から離れていたため、リハビリ感覚でAIに書いてもらいました。便利過ぎるので今後もAIを使おうと思います。なお、感想に返信は致しませんのでご容赦下さい。




