対話編:他思想との衝突 ――「降りられなさ」をめぐる思想的対話――
本章では、本稿の立場を自己完結的に擁護するのではなく、
主体性・責任・AIをめぐって既存の有力な思想と正面から対話させる。
目的は優劣を決することではない。
それぞれの思想がどこで「降りられるか」、
そして本稿がなぜそこでは降りられないのかを明確化すること
にある。
1. リベラル責任論との衝突
――主体=選択可能な個人という前提
相手の立場
リベラル思想において主体性とは、
• 自律的に選択し
• その選択の結果に責任を負う能力
である。
ここでは、
• 責任は「選択と結果の因果関係」に基づき個人へ帰属される
• 判断能力が十分であれば主体性は成立する
• AIも高度化すれば擬似的主体として責任を担いうる
という前提が置かれる。
主体性の成立条件そのものが問われることは少なく、
問題は「能力の不足」へと還元される。
この思想の“降り口”
• 選択肢が与えられていなかった
• 判断能力が制限されていた
これらは責任軽減、あるいは免責の理由となる。
本稿との衝突点
本稿において責任とは、
選択の正当性ではなく、
結果と共に生き続けざるをえない持続
である。
決定的なズレ
リベラル責任論では、
「選べなかった」ことは降りるための理由になる。
しかし本稿では、
選べなかったとしても、
その結果が生んだ関係からは降りられない。
主体性は能力ではなく、
降りられない関係に留まり続ける出来事
である。
2. 功利主義・AI最適化思想との衝突
――責任=結果の最大化という合理性
相手の立場
功利主義およびAI最適化思想においては、
• 正しさは結果の総和で評価される
• AIは偏りなく最適解を計算できる
• 責任とは「最良の結果を出す設計」にある
ここでは、
意思決定主体の同一性は副次的である。
この思想の“降り口”
• 結果が良ければ、過程は問われない
• 最大化が達成された時点で問題は終わる
本稿との衝突点
本稿では、
責任は結果の評価ではなく、
結果が生んだ関係を引き受け続ける時間
である。
決定的なズレ
功利主義は、
より良い結果が出た瞬間に降りられる。
しかし本稿では、
結果がどれほど良くとも、
その結果と共に生き続ける時間は消えない。
AI最適化は「終わらせる思想」であり、
本稿は「終わらない出来事」を引き受ける思想である。
3. 実存在主義との衝突
――主体=決断する存在という緊張
相手の立場
実存主義において主体とは、
• 投企し、決断する存在
• 決断から逃げられないことが人間の条件
• 主体性は決断の瞬間に極まる
とされる。
この思想の“降り口”
• 決断したこと自体が主体性の達成となる
• その後の結果は二次的とされうる
本稿との衝突点
本稿では、
主体性は瞬間であるが、
責任は決断後に始まる時間
である。
決定的なズレ
実存主義は、
主体性を決断の瞬間に集中させる。
しかし本稿では、
決断後に逃げられない関係の中に
留まり続けることこそが核心
である。
主体性は、決断では終わらない。
4. ポストヒューマニズム/拡張主体論との衝突
――主体は分散するという誘惑
相手の立場
ポストヒューマニズム的立場では、
• 主体は人間に限定されない
• 技術・環境・AIも行為主体である
• 責任はネットワーク全体に分散される
とされる。
この思想の“降り口”
• 誰も単独で責任を負わない
• 責任は拡散し、希薄化する
本稿との衝突点
本稿も責任の分配を認めるが、
降りられない重さそのものは消えない
とする。
決定的なズレ
拡張主体論は、
分散によって降りることができる。
本稿は、
分散してもなお、
誰かが降りられないまま残る事実
を問題にする。
5. なぜ本稿は降りないのか
これらの思想はいずれも強度を持つ。
しかし共通点がある。
それらはすべて、
どこかに降り口を持つ思想である。
• 選択できなかったなら降りられる(リベラル)
• 結果が良ければ降りられる(功利主義)
• 決断した時点で降りられる(実存主義)
• 分散すれば降りられる(ポストヒューマニズム)
本稿は、
主体性と責任を「解決の概念」から引き剥がし、
生き続けてしまうという事実の記述へ引き戻す。
主体性とは、
降りられない関係に立ち上がり、
責任とは、
そこから逃げずに時間を生きること
である。
この地点において、
本稿は最後まで降りない。




