犬がすっかり兄弟になりまして・9
「ねえ、天道くん。猟友会入んない?」
突然藍沢に言われ、航は「はあ?」と間抜けな口を開けた。
「若い人の間で狩猟が流行ってるっていうから手ぐすね引いて待ってるんだけど、なっかなか若い人が来なくてさ~。天道くん、実家こっちあるしさ、これからもたびたび来るんでしょ?おじさんたちとひと狩りしようぜ!」
どっかで聞いたようなことをガッツポーズで藍沢が言うが、航は冷静に断った。
「嫌です」
「なーんでよ~」
拗ねたように藍沢は言うが、ちっとも可愛くない。
「血とか苦手です」
「またまた~。火事場であれだけ大活躍だったくせに~」
ニヤつく藍沢に航は舌打ちする。
「あれは緊急事態だったからできたんです。それに血は出てませんでした」
「あれだよ。銃とか使わなくてもわな猟とかあるよ。血は出ないよ」
あんまり、と藍沢は小声で付け足す。
「それでも最後に仕留めなきゃ駄目でしょう。無理です」
「おじさんたちがやってあげるからさ」
「猟に参加する意味ないじゃないですか」
「若い人の力が必要なんだよ~」
「野生動物怖いです。無理です」
嘘だった。そりゃあ人並みに野生動物には危険を感じるし、動物を仕留めるのは覚悟のいることだとはわかっているのだが、それ以上に航には恐怖するものがある。
果たして猪や鹿は、きちんとそれに見えるのか、それともヒトに見えるのか。
もし万が一ヒトに見えた日には、罠にかけるどころか銃で撃つなどもってのほかである。まずできるわけがない。かといって、撃てないとためらっていては、ヒトに見える猪に突進され弾き飛ばされ、絶命の危機があるのだ。猪なんか探しに行けるわけがない。ヒトに見えるかどうかわからないが、会わないなら会わないで一生を済ませればいいだけの話である。わざわざ危険を犯す必要はない。
「ちぇー。天道くんが猟友会入ってくれたら、この家良い休憩所になると思ったんだけどなあ」
唇を尖らせる藍沢に目的はそれかと睨みつけて、再度聞こえるように航は舌打ちした。
「ねえねえ、今度いつ来るの?おじさんたちもその日に来るから」
もう来なくていいですと藍沢たちを送り出し、暗くならないうちに残りの草取りを済ませ、帰る前に散歩を済まそうとリクとカイを近所へ連れ出した。
広い田んぼや畑に囲まれた長閑な風景である。航が子供の頃とあまり変わりはない。ひと頃は離農する人も増えたが、最近はこの土地の農作物が全国的にも有名になり、新たに就農する人も増えているという。畑の合間に見える家も、航が見知った人が今も住んでいるかどうかわからなかった。
「リクくん!カイくん!」
不意に後ろから声をかけられ振り返ると、恰幅の良い中年の女性が、これまたずいぶん恰幅のいい若い女の子をベビーカーのようなものに乗せていた。
航にはわかる。あのサイズの女子があのサイズのベビーカーに乗るわけがない。あのサイズでなくても成人女子がベビーカーに乗るわけがないだろう。
「何犬だ?」
女子から目を離さずリクとカイに訊くが、ふたりは航を無視して女子に駆け寄った。
「かなでちゃん!」
ベビーカーに乗ったままの「かなでちゃん」と抱き合って頬を寄せ合い挨拶を交わすと、次にベビーカーを押していた女性にリクとカイは抱きついた。
「あ!こら!」
航は慌てたが、女性は一歩よろめいただけで、しっかりとふたりを抱きとめた。
「まあまあまあまあまあ!ひさしぶり!あいかわらず懐っこいわねえ!」
女性はよしよしとリクとカイの頭を撫でるとふたりの手を離した。
「すみません!」
リクとカイの足型の付いた服を見て航が謝ると、女性はぱんぱんと泥をはたき落としながら豪快に笑った。
「だーいじょうぶよ!犬の散歩のときによそ行きなんて着てる人いないんだから気にしないの!それより、もしかしてリクくんとカイくんのお兄ちゃん?」
『お兄ちゃん』と呼ばれたことに航はちょっと笑った。子供の頃代々の犬たちを散歩しているときも『おにいちゃん』と親にも近所の人にも言われたし、最近も美馬に兄弟のようだと言われたことを思い出す。誰にもリクとカイがヒトの姿に見えてるわけでもないのに、航と犬たちは一緒に暮らしているだけで『兄弟』認定なのだ。
「最近リクくんもカイくんもお散歩で会わなかったから心配してたのよ~。お兄ちゃん、帰って来てたのね。なに?お父さんとお母さん、ご旅行か何か行かれてるの?」
ああ、と航は思った。田舎の『近所』は広い。この辺で散歩をしているとはいえ、事情は伝わっていないのであろう。
「半年ほど前、両親は事故で他界しまして……」
「え」
女性は目を見開いて絶句した。航の偏見かもしれないが、声の掛けられ方から本当は話好きな陽気な人なのだろうと思った。そんな人から言葉を失わせたことに、航はなんだか申し訳なさを感じた。
「いえ、もうきちんと送り出して、家の方も落ち着いてますんで……」
女性はがしりと航の手を握ると、目にいっぱい涙をためてうんうんと頷いた。
「……ごめんね……、なにも言ってあげられなくてごめんね……、辛かったね……、がんばったね……」
「いえ、あの……」
航は戸惑ったが、見ると『かなでちゃん』も思いつめた顔でベビーカーの中から手を伸ばし、リクとカイを抱きしめていた。
「リクくん!カイくん!」
また誰かの呼ぶ声がする。顔を上げると向こうから60代くらいのニット帽を被った小さめのご婦人が、ちゃんちゃんこを着た厳しい顔つきのおじさんと走って来ていた。
「よかったー、元気にしてるね!?」
ご婦人はリクとカイの顔を順にぐりぐり撫でまわすととても心配な顔で言った。そして航の方を向くと丁寧に頭を下げた。
「このたびはご愁傷さまです……」
「あ、ご丁寧に……」
航も頭を下げる。
「いやもうなんか全然姿見かけんくなったけん、どがんしたっちゃろうと思ったら、お父さんとお母さんが大変なことになっとるっていうけん、もうびっくりしてさ。それもあればってん、リクくんとカイくんなどげんしたっちゃろうって心配しとったら、なんか近所の人が『お兄ちゃんが来て連れて行った』っていうけん、どげんしとっちゃろう、ちゃんと可愛がってもらいよるっちゃか~って心配しよったばってん、なーん、よー肥えてからあんた」
ご婦人は笑いながらなおもぐりぐりとリクとカイを撫で繰り回す。そしてご婦人の手からするりと抜けると、今度は厳つい顔のちゃんちゃんこのおじさんとしっかりと抱きしめ合った。
「タロも寂しかったねえ。よか遊び相手がおらんごつなってねえ」
『タロ』と呼ばれた厳ついちゃんちゃんこのおじさんは力強くリクとカイの肩を叩いて頷いた。
「ありがとうございます!」
リクとカイは姿勢を正して頭を下げる。なんとなく力関係がわかった航であった。
その後もおじいさんと陽気な成人男性のコンビ、航の両親と同じくらいの年齢のご夫婦とガタイはいいがオタクっぽい青年ご家族に声を掛けられた。
両親には犬友がいっぱいいたんだなと嬉しく思う反面、どっちが犬でなんという犬種なんだろうと航は冷静に考えていた。頼りのリクとカイは久しぶりの再会に喜ぶばかりで、からっきし航を無視していたので。
両親だけではなく、リクとカイにも犬友はいっぱいいたのだなとなんとなく航は安心した。