犬がすっかり兄弟になりまして・45
「で、鍋ですか?焼肉ですか?」
嬉々として訊く航に、藍沢は半目になった。
「天道くんて意外と割り切り早いよね」
「肉は寝かせた方が美味いから、今日は内臓だけだよ」
言いながら橋本は小さめのナイフで猪の首を刺し、血を抜き出した。その間に車に戻り、プラスチックの橇やビニール袋などを取って来た。放血が終わるとビニール袋に猪を入れ、橇に乗せたら下の川まで引っ張って行く。航は手伝おうとしたが「ダニがうつると危ないから」と、リクやカイたちと共に追い払われた。
川の水で猪を洗い、腹を開いて内臓を取り出していく。ただ切り取るだけではない、細かい工程をいくつも挟んだ手早い作業に航はくぎ付けになる。
洗われ、いくつものビニール袋に詰められた内臓と腹の中が空っぽになった猪を再び橇に乗せて、さあ帰ろうかと橋本は腰を伸ばした。
「凄いですね……」
もっと気の利いた感想を航は言いたいが、凄いしか出てこない。
「気持ち悪いとか可哀そうとか思わなかった?」
笑いながら橋本に言われ、航は首を横に振った。
「とんでもない!なんか、改めて命を食べてるんだなあって気がしました」
航は猪に視線を落とした。
「ありがたいですね」
「はしもっちゃーん!」
車を取りに行っていた藍沢が戻って来た。少し上から手を振っている。
「焼いてやるから、俺んちおいで」
「ありがとうございます!」
航は橋本と反対側のローブを持つと、上へ向かって一緒に引き上げた。
「そういや橋本さん」
ふと思い出して航は訊いた。
「レオパルトが橋本さんのこと『ソウカン』って呼んでましたけど」
何が『ソウカン』なんですか?と続けようとしたら、橋本がとてつもなく無表情な目で航を凝視していた。
「……レオが言ってたの?」
「え、は、はい」
なんかまずいことでも言ったのだろうかと航は若干焦った。
「仁さんじゃなくて?」
「いえ、レオパルトが……」
いや、待てよと航は焦りながら思った。もしかして、やっぱり犬と話せるということを橋本は信じていないんではなかろうかと。しかもなんだか『ソウカン』と呼ばれることをあまり好ましく思ってないような風情であると。ということは、これはレオパルトが言ったと知ったらレオパルトが怒られる案件であって、別にレオパルトはわざと航に橋本さんが『ソウカン』あると教えたわけではないので怒られるのは忍びないわけで。ここはひとつ怒られようがシバかれようがなんとも思わない藍沢さんにひと肌脱いでもらった方がよいのではないかと、航は瞬時に計算した。
「いやっ、あれ?藍沢さんだったかな……?だったような……」
しきりに首をひねる航を眺めたあと、ふたたび無言で橋本は歩き始めた。
橋本の家は県境近くの山の中にあった。ひとりで住んでいるという。
「女房は子供と一緒に街中で暮らしてる」
「そりゃー、女の人は便利なところの方がいいよね」
藍沢が笑いながら言い、おじさんだって週末だけでいいもんこんなとこ、と付け加えて橋本に蹴られていた。
普段は猟友会の面々や知り合いが集まったりするらしい。山奥なのに全然静かじゃないんだよねと橋本も藍沢も笑っていた。
解体作業はなかなかの重労働だというのに、橋本も藍沢も手際よく猪を吊るし、皮を剥ぎ、捌いていった。橋本がさらに細かく切り分けて、真空パックにして冷蔵庫にしまっている間に藍沢が火を起こして肉を焼く準備をし始めた。
「天道くん、これ乗っけて」
橋本に渡されたバットの上の肉を網に乗せる。
「これが心臓。こっちが肝臓。これはわんこ用の肉。わんこの分は熟成させなくてもいいからね」
藍沢の説明にリクとカイが目を輝かせる。
「あと、はい、これ。なんだと思う?」
藍沢がアルミホイルに乗せた、ごく少量の白い柔らかそうなものを網に置いた。
「白子……?ですか?」
言いながら山の中で?と航は疑問に思う。
「脳みそだよ」
橋本がにやりとして言った。
「えっ!?」
航は思わずのけ反る。
「これぞジビエの醍醐味だよ。焼けたらすぐ食べないと美味しくなくなるからね。いい?3分以内だよ!おじさんが、せーのって言ったらすぐ食べるんだよ!いい!?すぐだよ!速攻だよ!よそ見してる暇ないよ!せーのだよ!ほら構えて!3,2,1!せーの!」
「まだだよ」
身を乗り出そうとしたところを橋本に遮られ、航は藍沢を睨む。せっかちだなーなどと藍沢は笑い、焼けた肉から犬たちに振る舞っていた。
どれもこれも航は初めて食べるものだった。やはり食べ慣れている肉より獣臭かったが、不味いとは思わなかった。さっきまで生きていた命を、ありがたく頂いているとつくづく感じた。
でも脳みそはもういいかな、と思った。
帰るころにはすっかり暗くなっていた。
車を置いている実家にいったん送ってもらうため、下の大きな道へ出る。右折する前に、運転していた藍沢が道の向こうを目で指した。
「ここ左折したらもう隣の県なのよ。あそこがリクくんとカイくんが最初に行ったっていう動物病院なんじゃないの?」
見ると動物病院という文字の剥げかけた看板がかかった薄暗い建物がある。外灯は点いていないので営業していないことはわかるが、室内の電気は一か所薄暗く灯っていた。
「あれ。誰かいるんだ」
閉院したと言っていたからてっきり誰も住人はいないものと航は勝手に思っていた。だから2番目に行ったという病院にリクとカイの話を聞きにいったのだが、こんな事なら直接ここに聞きに来ればよかったと航は思った。
「どうする?行ってみる?」
気にはなったがもう終わった話である。事件も警察が解決してくれるだろう。
「いえ。大丈夫です」
とは答えたものの航はなんとなく気になって、通り過ぎてもまだ病院から目が離せなかった。




