61 脱線事故
群馬に来てから大分経つが、まだ、群馬で食べたことのない名物、名産。行ったことの無い名所もある小岩剣。
(かと言って、一人で行くのも良いけど、出来れば―。)
皆で行きたいと思ったところで浮かんだのは、ディスタント・ムーンの玲愛の姿だった。
彼女の事は気になる。
気にはなっているのだが、自分の方から歩み寄る事は出来ない。
それに、小岩剣の本命は加賀美咲だ。
だが、加賀美にはこのところ、会えていない。その分、玲愛と会う事が多くなっていた。
(俺、どっちなんだろうな。加賀美さんより、玲愛さんの方が好きなのかな。)
アパートの来客用の駐車場に誰かの車が入ってくる音が聞こえた。
エンジン音でどこの誰か分かった。
最も、駅から離れ、貨物駅が近く、県道沿いでバスもあるが本数の少ないこのアパートは、家賃は安いがアクセスが悪く、不人気のアパートであり、8部屋あるアパートの住人は小岩剣の他には、3部屋しか埋まっていないし、そこに住んでいる住人は、持っていても軽ワゴン。なので、少しばかり派手なエンジン音を立てる車で来る奴は、小岩剣の関係者以外に無い。
そして、「たたたっ」と軽くスキップするような足音でも、誰か分かった。
一瞬、火を止めて、玄関の鍵を開けて、ドアを蹴り開ける。
「空いてますよ。」
「ビックリしたぁ。いきなり蹴り開けられたから。」
玲愛がドアの向こうでひっくり返りそうになりながら言った。
「って、ああ夕飯作ってたんだ。ゴメンゴメン。」
「手抜きの冷凍チャーハン葱増し。一応、玲愛さんの分、追加で作りますよ。」
「えっ悪いよそんな。」
(夕食時にやって来ておいて、何が「悪いよ」だ。だったら、下仁田ネギと上州和牛持ってきて、すき焼きでも作りやがれ!)
と、思った小岩剣だが、玲愛が何か作ろうとして、材料を持って来ているのに気付いたので、それは口に出さない。
最初に作っていた分を一旦別の皿に載せ、追加で玲愛の分を作る。
「出来た。食いますか。」
「あっありがとう。」
薄暗く、時折、踏切の音と入換する貨物列車の音と、行き交う僅かな車の音の他は、虫の声が聞こえるこの部屋に、玲愛が来ると少しだけ活気のような物と、人の温もりのような物が生まれる。だが、玲愛が小岩剣の住まいに来る時はロクなことにならない。
先日も、職場で「女作ったのか?」といじられたし、かと思えば、コンドームを貰うハメになり、一つしかないニトリの三点布団セットで同衾するハメになるし、嫌なら一応は絨毯を敷いてあるが床へ直に寝るしかない。
「チューニングについて、どうするか決めた?」
と、玲愛が切り出す。
「一応、方向性は決まってます。」
どうやら、玲愛は小岩剣のS660のチューニングについて聞きに来たらしい。日奈子は玲愛に話さなかったか、或いはまだ聞いていないのだろうか。
「やるところはどこ?AK50?それとも、ホワイトレーシングプロジェクト?」
「うっいやっそのぉ―。」
「AK50は、外車とか変なマニアックな車メインだから、S660のチューニング実績はね。S800のフルレストアをした実績はある。」
「S800ってえっと―。」
「ダムサンにも来ることある、クラシックカーよ。S660やS2000が出るずっと前に販売していた、Sシリーズの車。」
いわゆるエスハチと言う奴だとは分かった。
このエスハチの実績はあるから、ウチに任せて欲しいと言っているらしいが、エスハチとエスロクでは、全然違うだろう。
「なぜ、あんな安い値段でS660をチューニングするのですか。」
「それは―。」
玲愛の目が泳いだ。
どんな理由か知らないが、既にマルシェで頼んでしまっている以上、もう引き返すつもりはない。
「知り合い割引?ってやつ。」
と、玲愛は言った。食べ終えた皿を洗おうと、小岩剣が立ち上がると「それは私がやる」と言って、玲愛が皿を奪い取って洗い物を始めた。
灯りは付くのだが、やはり薄暗い蛍光灯の着いたシンクに向い、洗い物をする玲愛の後姿。そして、洗い物をする音だけが、無音の慎ましやかな部屋に響く。
「本当は、これで恩を売って私の、いや、私達の物になって欲しい。」
と、玲愛が切り出した。
「私、自分の気持ちが最近、何が何だか解らなくて―。ワンコ君のことが好きだから―。既成事実作るなり、恩売るなり、無理矢理にでも、私のチームの物にしたいって―。私って、ワガママよ。ワンコ君に死んだ妹を重ねて、真相言ったら壊れるのが怖くて言えないし、それで、日奈子や恵令奈にも、私のワガママに付き合わせちゃって―。」
北国の雪景色の中のような白い肌に、着ている青白い服が擬態しているように見える玲愛が、震えながら言った。
「別に。自分だって、昔はそうでした。青森で、結婚を約束した相手がいたのですが、会えない日が多く、その寂しさを埋めようと、周囲の人を利用して、その間に列島地震やらいろいろあって、会えないどころか自分はどこの誰かって記憶まで消えてしまい、探し回っていざ、再会したら、もう別の人に取られ、そっぽ向いて、苦しんで、また再会したら、なんてことしてくれたんだって。」
「お互い、辛いね。」
「ええ。自分は、最低な男です。」
交代で風呂に入った後、玲愛は明日仕事の小岩剣に気を使って、床で寝て、小岩剣は自分の布団に包まる。
翌日の仕事の休憩時、マルシェから連絡があり、部品がまもなく貨物列車で運ばれてくるとのことだ。
マルシェに限った話ではないが、車のパーツのような大きな物、大量の荷物を長距離輸送する場合、長距離トラックではなく貨物列車で運ぶ事がある。
鉄道貨物輸送は機動力こそトラックに劣るが、圧倒的な効率性を持っており、大量輸送や高速性では圧倒的に勝る。
500キロ以上の長距離輸送となると、貨物列車の方が経費が安くなる。
また、最大600t以上の大量の貨物を機関車1両で輸送出来る事で、発生する温室効果ガスの量も極めて少なく、トラック輸送と比べると13分の1、船舶輸送と比べても半分と、一般的に考えられる輸送法の中で最も少ないとされている。
尚、JR貨物の鉄道コンテナ輸送は個人でも利用でき、マルシェに送られてくる小岩剣のS660のパーツも個人利用にあたるが、個人利用の場合、JR貨物に直接話を持って行くのでは無く、JR貨物に出入りする業者(利用運送事業者)に発送人(出発地)から出発地の貨物駅までのトラックと貨物列車と到着地の貨物駅から荷受人(到着地)までのトラックの手配を要請する事になる。
倉賀野駅で、HD300に到着した貨物列車に連結して、それをまた、倉賀野貨物ターミナルまで引っ張ってくる。
「昨夜は楽しかったのか?」
と、年の近い先輩誘導員が無線で言う。
「踏切良し。」
「どうだったんだ?」
「停止位置は何処ですか?主線ですか?着発1番線ですか?」
「なあ、聞かせろよ。」
やけに問いただしてくるこいつは、未だチョンガーの童貞野郎。
仕事中にエロ話させようとするのだから、未だにチョンガーのクソ童貞なのだということは、いろは坂の猿でも、ヒガハスの幼稚園児でも分かるだろう。
「そういう話は後に願います。停止位置誘導願います!」
イラついている小岩剣。なぜなら、もう貨物駅を視認しているからだ。
「話してくれないと誘導しないよぉーだ。」
「誘導願います。」
「嫌だねぇー。嫌だねぇー。」
ポイントを視認した。
どうやら着発1番線で変わりないようだが、確認しなければ危険だ。
もし、違えばそれが原因で脱線事故のような重大事故に繋がりかねない。
「真面目に答えてください。着発1番線に入線で変更ないですね!?」
「しょうがないな。いいよ。」
「停止位置誘導願います。」
「それはどうしようかなぁ。」
真面目にやれと小岩剣は思う。
引込線内でも、脱線事故等の重大事故は、列車の運行に影響を及ぼしかねないし、下手をすると、国交省の監査の対象になってしまう。
構内で待っていた別の誘導員が誘導に加わったため、そちらの誘導に従いながら、列車を停止位置に持って行く。
そこから、コンテナヤードまで入換る際、やり取りを見ていたベテラン誘導員がしびれを切らして、それまで列車を誘導していた奴を、HD300から引きずり降ろして、誘導に加わった。
コンテナヤードへ列車を入れるため、一度、入換線を小岩剣のアパート横まで走り、そこからバック運転の押し込みでコンテナヤードに入れる。
だが、変だ。
「運転士!非常停止願います!」
と、誘導員の無線が飛んできたが、こちらはマスコン(車で言うアクセル)を操作したら変な音がしたのでおかしいと思い、直ぐマスコンを切ってブレーキをかけた。
(なんだなんだ)と思っていたら、誘導員から無線。
「最後部車両で脱線です!」
「えっ!?」
貨物ターミナルに詰めていた人が次々に現場へ向かう。
「自分はどうすれば―。」
「列車は動かすな!警察!」
脱線現場は、着発1番線から、北側のコンテナヤードへ入るためのポイントだったが、ここのポイントが完全に切り替わっていないために、脱線したのだ。
そして、ここのポイントを操作したのは、さっきの童貞の先輩誘導員だった。
警察の事情聴取で、やはり小岩剣がエロ話をしてくれない事に腹を立ててのいたずらだったらしい。
「ふざけるな!」
と、小岩剣がHD300の運転室のドアを蹴飛ばし、珍しく激怒。
この影響で、高崎線の倉賀野行き貨物列車が途中駅で抑止(運転見合わせ)となってしまい、旅客列車や安中貨物、首都圏発の新潟方面行き貨物列車の一部ダイヤにまで影響を及ぼしてしまった。
更に、とばっちりで、小岩剣まで謹慎を喰らってしまった。
勤務と警察の事情聴取、更には国土交通省やJR貨物等の役人の事情聴取を終えて、やっと帰宅。
(やっぱり、人を利用した罰ってもんが当たったのかなぁ。)
と、思いながら、絨毯を敷いた床に倒れ込んだ。
どれくらいそうしていただろうか。
マルシェからの電話で、目が覚めた。
「悪い知らせだ。」
と、電話口の向こうの霧降。
「お前の頼んだブツ、貨物列車の脱線事故で今日来るはずだったんだけど、明日になりそうだ。」
「そう、ですか。自分が、脱線事故を起こしたせいですね。」
「ニュースで、状況と概要は知っている。お前のせいじゃねえよ。」
霧降は慰めた。




