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ココロノツバサ - distant moon  作者: Kanra
第四章 月の出
38/78

36 慣らし

S660をお披露目しても良いと、坂口拓洋から許可を得たが、小岩剣は自慢しようという気持ちになれない。

購入後は、専ら秩父と往復する他、買い物等の日常利用程度にしか使用しておらず、思い切って攻め込んだり、走り込んだりしたのは、秩父の峠とモビリティリゾートもてぎであり、本来のホームコースである、群馬の道を走るのは、これが初めてとなるからだ。

いくら、勝手知ったる赤城山の峠道や、からっ風街道等の赤城南麓の道とは言え、過信して、せっかく買った車を壊したら目も当てられない。

仕事の明けの日、小岩剣はとりあえず、草木ドライブインへと向かう。

自宅アパートの駐車場を出て、一方通行の道で、岩鼻小学校の外周を一周して、県道に出て、国道へ出て、前橋方面へ向かう。

前橋市内を走っていると、カムリのタクシーが対向車線を走ってくるのを見付けた。

(桜にNの行灯。あれは松田さんのタクシーかな?)

と思ったが、案の定。

松田彩香の乗務するタクシーだった。

一応、パッシングして見たのだが、松田彩香は気付かなかったらしい。

それを追うように、同じ行灯を付けたジャパンタクシーがやって来た。

それは三条神流のタクシーだったが、こちらは客が乗っていた。

赤城道路を走り、そこから、からっ風街道に入る。

だが、普通に走っているつもりが、速度計に目をやると、N‐ONEで走っていた時のスピードを上回っていた。にも関わらず、安心して走れる。

なので、徐々に、調子に乗ってしまいそうになるが、それを抑える。なぜなら、調子に乗って攻め込もうとする気持ちを上回る物が、小岩剣を襲っていた。

(すげっ。こりゃ、まるで空飛ぶ円盤だ。慣れて、完全に自分の物に出来るまで、どれだけかかるんだろうな。慣れるには、やはり走り込み続けるしかないってことだな。拓洋さんだって、毎日走っている。あの、秩父の峠を。俺は勤務上、毎日は出来ないが、走り込む時間はある。ならば、走れる限り走らなければ。)

からっ風街道を東端まで行くと、そのまま、梨木温泉を経て、草木ドライブインなのだが、そうはせず、一端、三夜沢交差点付近まで戻って、もう一度ここまで戻ってくることにした。

高速コーナーが多く、スピードレンジも高く、走りやすい、からっ風街道を少しでも多く走って、車に慣れようと思ったからである。

三夜沢交差点付近でUターンして、改めて草木ドライブインに向かう。

前に、トロ臭いトラックが居る。

からっ風街道は追い越し可なので、追い越そうとする。N‐ONEでは、この追い越しすら少し難儀したのだが、S660は難なく追い越してしまった。

トロいトラック一台追い越すだけでも、小岩剣はN‐ONEとS660の性能差に圧倒されてしまった。

からっ風街道から、梨木温泉へ抜けるが、この間にも、ダウンヒルの短い峠区間がある。

グイッと、ステアリングを切ると、まるで、独楽のように、クルクルと軽快に、コーナーを抜けて行く。

短い峠はあっという間に終わり、梨木温泉の宿の前でUターンしてもう一度峠区間を走る。

梨木温泉からのヒルクライムだ。

N‐ONEでヒルクライムをアタックすると、エンジン音がうるさい割に遅いため、ADMやサンダーバーズと一緒の場合、最後部にされていた。だがS660は、そのN‐ONEとは比べ物にならない程、ハイペースでヒルクライムを終えてしまった。

梨木温泉から、国道122号に向かうワインディングロードを走り込む。

聞こえてくるのは、エンジン音の他に「シューシュー」という、空気の音。

最初は何の音か解らなかったが、これは、ブローオフの音で、ターボ車に初めて乗った小岩剣が初めて聞いた音だった。

国道122号に出るが、水沼で対岸道路に向かう。

対岸道路から、国道122号の方に目をやり、用水路から排水される滝を横目に走ると、農地に入ろうとしている軽トラを見付けたので、減速する。が、

「ドッカアァーーーーーンッ!!!!」と、派手なクラッシュ音と共に軽トラから積荷の水タンクが落下した。

「ちっ!ミサイルだぜ。」と、ハザードランプを付けて徐行で通過するが、落下した水タンクの泥水が路面を濡らしてしまい、それをどうしても跳ね上げてしまう。

再加速しながら小岩剣は洗車のことを気にかける。

今まで、N‐ONEでは気軽に洗車機へ入れられたのだが、S660はオープンカーで、洗車機に入ることは出来ないからだ。

対岸道路から、草木ダムを渡って、草木ドライブインに到着する。

薄暗い食堂で、よもぎうどんで昼食にしながら、自宅近くのコイン洗車場を調べる。が、今度は、洗車用具を持っていないため、コイン洗車場に行っても、洗車が出来ない。

「後先、考えないで行動するから、こうなるんかなぁ。」

小岩剣、溜め息。

「アレっ!?」と、驚いた顔をし、隣りでも「ええっ!?」と驚いた顔をしながら小岩剣に近付く人影。

「ああ、そのS660、俺のですよ。」

と、答えながら(ああ、両毛連合の方だ。名前忘れたけど。)と思う。

「N‐ONEどうしたの?」

「いやぁ、ちょっとウロウロ散歩していたら、思わぬところに思わぬ物が転がっていたんで、勢いそのまま、N‐ONEと交換する格好で、買っちまいました。」

「エッヘヘヘヘッ」と笑いながら言った小岩剣だが、両毛連合としてみれば、一番、S660に縁が無いと思っていた奴が、不意を突かれるようにS660を買っていた上、それは、ただのS660ではなく、ハイグレードモデルのModulo Xとあれば、たちまち噂になるだろう。

夕暮れ時の解散時、両毛連合は桐生のカフェに行くと言うが、その誘いを断り、小岩剣は別に寄り道して帰ることにした。

出発直前、小岩剣は玲愛に連絡を入れ、ログハウスに向かう旨を伝え、桐生へ向かう両毛連合に続いて草木ドライブインを出発した。

群馬のS660乗りではかなり早い両毛連合の石井と小原目だが、その2人について行けている。

(だって、あの2台が行けるペースなら、こっちだって同じ車だし、行けるってことでしょう?)

と、小岩剣は思ったのだが、向こうは「まさか」と言っていた。

(いきなりこんなペースでついて来れるのかよ。)

と、石井は思い、小原目もまた、

(ほほう。センスあるじゃねえか。なら、もう少しペースを上げると、どうなるかね。)

と思ったが、その直前、前を走るダンプに追いついてしまい、それで終了だ。

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