26 秩父サーキット
「お前を拒絶した、あの蒼いS660は一昨日、秩父に旅立って行ったよ。」
霧降要が言う。
三条神流はBRZの前に乗ろうとしたS660を思い出す。
「あのS660の引き取り先は、ホワイトレーシングプロジェクトって言う、根っからのレーシングショップだ。近所の商店街の商業車や地元のタクシーも入ってくるけど、基本的には、スポーツカーやチューニングカーを相手にしている。それも、モータースポーツで走る人が中心で、ストリート系はそんなにやっていないらしい。」
「そうか。出来りゃ、奴に乗って欲しかったのだが、だとすると、つるぎが行ったところでー」
「門前払いが関の山だろうな。」
坂口拓洋のS660は、ADMやサンダーバーズの物とは比べ物にならない程、厳ついスタイルをしている。
一応、S660と分かるが、フロントはホンダツインカム。リアはバックヤードスペシャルのエアロで武装している迫力の姿だが、初めて見ると一瞬、別の車かと見間違えてしまう程だった。
着いた場所は、秩父ミューズパークの中の一画。
だが、素人目に見てもそこが何かは分かった。
サーキットだったのだ。
「お前、走ってみるか?」
坂口拓洋は聞くのだが、その中に「走るよな?」と言う圧を感じてしまい、「はい」と言ってしまった。
「なら、ライセンス講習を受けないといけねえ。俺が講師であるから、話は楽だ。こっちこい。」
拓洋は言いながら、最近新しくなったらしいプレハブ小屋に案内し、そこの一画にある教室で教鞭を取る。
サーキット走行に関するルール、旗の説明をして、講習料金の請求だ。
小岩剣は(なんで無理矢理受けさせといて払わせるんだよ)と思いながら、千円払う。
「後、走行料金は1枠2000円。何枠行くよ?」
「いっ1回で結構です!」
小岩剣は言いながら、走行枠の時間を確認すると、準備を始めたが、ヘルメットやグローブが無い。
「レンタル料金は不要。」
と、拓洋がヘルメットとグローブを持ってきた(半袖半ズボンは走行不可の場合あり)。
だが、今度は飛散防止テープが無い。
「100円。」
と、拓洋は養生テープを渡す。
そして、走行枠開始ギリギリの時間になって、ピットに向かう。
その後に拓洋が付いていた。
コースインの時間になった。
小岩剣は、ビクビクしながら、N‐ONEをコースに入れる。
その背後に、拓洋のS660が居るのだが、それが威圧的に感じていた。
走行時間は20分なのだが、その走行枠が5分程経過したあたりだった。
拓洋がいきなり追い抜いて行った。
小岩剣としても、必死になって走っていたのだが、呆気なくぶち抜かれた挙句、15分程経過したあたりで拓洋のS660がまたも背後にいたのだ。
そして、またも呆気なくぶち抜かれてチェッカーフラッグが振られた。
パドックという場所に戻る。
「どうだ?初めてのサーキットは?」
「―。速いですね。拓洋さん。」
「違うね。何がどう違うのか、見せてやりたいんだが。」
拓洋は何か言いたげだった。
「指導料金は幾らですか?」
「N‐ONEを俺が走らせ、お前が横乗りの場合は500円。S660の助手席にお前が乗る場合も500円。両方なら750円だ。プラス、走行料金な。」
小岩剣は、
(なぜこう、金を取りまくるのだ?JRの特急料金だって、こんなポコポコ取らねえぞ。)
と思ったのだが、拓洋はそれを察した。
「何かを学ぶ。何かを手にするためには、必ず代償は付きまとう物だ。俺のこのS660だって、NSXだって、どれだけ代償を払った事か。世界を広げるために、どれだけの代償を払っただろうか。それでも、俺はまだ、こいつでチェッカーを受けたことのない場所がある。二度も行って、二度とも惨敗に終わった。その間に、いろいろ失い、そして、得られた物がある。でも、まだ、たどり着けず、越えられない壁がある。サーキットで走るって事は、そういうことだ。だが、公道で、サーキットでやるようなことをやった場合、それ以上の代償を支払うハメにだってなるのだよ。」
「―。」
小岩剣は千円札を一枚、拓洋に渡した。
「お釣りは結構です。教えてください。」
「いいだろう。」
拓洋はN‐ONEの運転席に乗る。
小岩剣は助手席だ。
次の走行枠の料金も、小岩剣が払った上で、拓洋がN‐ONEを走らせる。
「まず、N‐ONEについてだが、まず、この車は4WDだと聞いたけど、基本的にはFF車だ。エンジンが前で、フロントタイヤが駆動する。頑固なアンダーステアとの格闘になる。アンダーステア傾向が強いって事は、曲がりにくい。おまけに車高が高い分、遠心力が強く、こう、強引に曲がると遠心力で車がおっとっとってひっくり返りそうになる。そして、FFなので、いっくらアクセル踏んでもなかなか加速しない。なぜ、FFの加速が鈍いのか?貨物列車を想像してみると分かりやすい。貨物列車は基本、機関車が貨車を引っ張る。動力は一番前にしか無く、後の貨車は機関車に引っ張られる。なので、機関車は貨車を引っ張る分、力を出さなければならないが、貨車は引っ張られるだけなので、なかなか加速しない。FF車もそうだ。前は駆動しても、後が駆動しないので、前輪が後輪を引っ張る格好になる。この車は4WDだから、多少マシではあるけど、エンジン自体のあまりパワーが無いので、ほとんど変わりなし。むしろ、4WDは低速で大きな舵角を切って曲がろうとすると、前輪はブレーキがかかったような状態になるにも関わらず、後輪はトラクションをかけ続けるので、リアから車を押し出そうとし続けてしまい、タイトコーナーブレーキング現象が発生し、余計に曲がりにくくしてしまう。なので―。」
拓洋はいきなり、変な挙動を出すと、タイヤを「ギャァーーーーッ!」と派手に鳴らす。
「4WDドリフトと言って、こう、フェイントモーションを使って無理矢理、ドリフトさせて曲げてしまってもいい。だが、これが限界だ。これ以上行くと、ひっくり返る。S660に乗り換える方が早いぞ。」
それでも、2周程、タイムアタックをやった。
そして、今度は、拓洋のS660の助手席に乗るのだが。
「うっ狭い。」
と、思わず言ってしまった。だが、これは失礼に当たると思い、すぐに謝る。
「別に謝ること無いよ。事実だから。」
と、拓洋は言った。
拓洋が走行料金を支払った上で、走行開始。
「S660はエンジンやミッション等の重要部品はN-ONEと同じ物だが、なぜこの狭さで、なぜこの形か、教えてやる。まず、何かおかしいと思わないか?」
「えっえっと、あっエンジン音がやけにうるさい?」
「ああ。理由は、エンジンが後ろにあるから。車を構成する物の中で最も重い物。それは、エンジン。そのエンジンが、車のちょうど中央に搭載してある。そうなると、重量バランスがとてもいい。バランスが良いということは、特に、コーナリング性能が良いということでもある。」
と、拓洋は言いながら、走り出す。
走り出してみた途端、N‐ONEとまるで違うと感じた。
車高が低く、更に軽くて、コーナリング性能も良いとなれば、コーナーを独楽のようにクルクルと曲がって行く。
走行終了後、タイムを見てみるがまるで違う。
(軽だけど、このS660は違う。N‐ONEでは出せないだろう。)
と、小岩剣は思った。




