25 再びの秩父
翌朝、小岩剣は、朝食を御馳走になると、N‐ONEのエンジンをかける。
玲愛は見送る。
「また、来てくれる?」
「玲愛さんの事、気になってはいます。なので、声をかけていただいて、予定が会えば。」
と言った後、
「あんなこと言っておいて都合がいい奴だと思いますが、自分こそ、玲愛さんの所に今後、会いに来てもよろしいでしょうか?」
と言った。
「ムイ・ハチーム・ミラ。」
と、玲愛は言う。が、それはロシア語で、小岩剣には分らない。
「ヤ・リュヴリューイワース。」
と、玲愛は微笑んだ後、また、
「ムイ・ハチーム・ミラ。」
と言った。
「いつでも来ればいい。私達は嫌わないから。」
と、日奈子は言う。
「何れにしろ、まずは自分がどうしたいかを考えて。もし、後で何かあって困るのは、自分自身だからね。」
と、恵令奈は言った。
そして、小岩剣はN‐ONEで出発した。
目指すは、秩父路だ。
(歩き続ける。それをやめたら終わり。今の俺には、何の取り柄もない。だったらせめて、あの人達のように、車を速く走らせて、あの人達の後ろをセコセコ歩くペットのようにはならない。あの人達に負けない物が欲しい。)
思いながらふと、小岩剣の姉のような存在であった年上の女性が、婚約して雪降る青森駅のホームに小岩剣を残して、婚約者と共に大阪へ向かう寝台特急「日本海」で行ってしまった光景が脳裏を過ぎる。
(俺が、子供みたいで、頼りない容姿だから、姉さんは俺を置いて行っちまったのかもな。)
と思うと、間瀬峠を越える。
武甲山を横目に走って秩父市に入り、ホワイトレーシングプロジェクトに到着する。
すると、横目に、蒼い眼差しのような物が入った。
チラリとそれを見てみると、拓洋と愛衣が車を洗車していた。
そして、それは、S660だった。
その、蒼い車体に、どこか懐かしさを感じた。
かつて、寝台列車が好きだった鉄道マニアの頃の血が騒いだらしい。
蒼い車体に、寝台列車の青い客車の姿を思い浮かべてしまったのだ。
「なんだ。また来たのか。」
と、拓洋が言った。
「今日は何の用だ?」
「その、早くなろうと思って―えっと、あの車は何ですか?」
それに答えたのは、愛衣だった。
「HONDA S660。だけど、これはただのS660ではない。S660ModuloX。HONDAの純正アクセサリーメーカーである、ホンダアクセスが作成した高性能モデルで、最初から、Moduloのパーツを組み込んであるハイグレード車よ。これは中古車として販売する車でね。言い値で値段は決まってないんだけどねぇ。」
「ああ、そうなのですか。えっとちなみに相場ですとやっぱり150万以上は、ですよね。」
「さっきも言ったけど、言い値よ。カーボンニュートラルがどうしたこうしたって話になってんじゃん?だから、S660もどうなるか分らないから、おいそれと販売する値段を決めるに決められないんだよ。」
愛衣は頭を掻きながら言う。
「俺ならいくらでも出して買ってもいいんだが―。」
拓洋も腕組みしながら言った後、ここに来るまで、この車がどんな経緯を辿ったかを話す。
どうもこの車は、オーナーに恵まれてないようだ。
最初のオーナーは酒の飲みすぎで死亡。
次のオーナーは女遊びが過ぎ、借金抱えて夜逃げ。
その次は、身体に合わないと言い手放した。
そして、流れに流れて秩父のホワイトレーシングプロジェクトに流れ着いてきたというわけだ。
「この車の事を考えると、「どこまでも走りたい」「走り続けたい」って意志を持った人に買ってもらいたいなぁ。俺が買ったところで、ドナー車になっちまうのが関の山だろう。」
と、拓洋は言った。
2番目のオーナーがECUとマフラーに手を加えたらしく、ECUはT.M.WORKSのレースチップ。マフラーはKLCのマフラーカッターを装備している。
なので、そのままでもノーマルより圧倒的に性能が良いModulo Xなのだが、それよりも僅かだが高性能である。
にも関わらず、オーナーに恵まれないので、その真価を発揮できないままで居るのだ。
愛衣がこの後、この車の洗車後の水切り走行に出掛ける。
が、拓洋は小岩剣に何かを体験させようと考えている。
そして、どこかに連絡すると、
「おい。速くなりたいってな。サーキットを走ったことあるか?」
と聞く。
「いいえ。」
「なら、ちょうどいい。ちょっと、俺の車に付いてこい。」
と、拓洋は言い、自分のS660のエンジンをかけた。




