休憩
三題噺もどき―よんひゃくななじゅうなな。
真っ青な世界が広がる。
心地のいい波の音がスピーカーから流れている。
それだけで、別世界に入り込んだような気分になれる。
「……」
1人でここに来ることがあるとは思わなかった。
甥っ子でも誘えばよかっただろうけど……まだそんな気分にもなれない。
それでも、家にこもっているのもなんだかなぁとなったので。
少し遠いところにある、馴染みの水族館に足を運んだ。
「……」
平日ということもあって、周囲に人はほとんどいない。
少し遠くにカップルらしい若者がいるが、スピードがかなり速いので、早々に離れることになりそうだ。まぁ、それでいいのだけど。
仲がよさそうで何よりだ……。
私もあんな風にここに来たことあるはずなんだけどなぁ……。
「……」
目の前には巨大な水槽がある。
この水族館の最初の目玉展示というやつだ。
入り口を入ってすぐこの景色が広がると、いろんなものが吹き飛んでいく気がする。
思わず立ち止まっても無理はない。
「……」
ぼんやりと暗いここでは、海の青さが一際輝く。
私が立っているはずの床も、真っ青に染まる。
視界一面に広がる青。
悠々と泳ぐ生き物。
「……」
塊で泳ぐ光があれば、羽を広げて泳ぐ者もいる。
底のあたりで眠っているものや、洞穴の中に隠れているのもいた。
その中で、ひときわ目立つのが、巨大な彼だ。
「……」
かなり長い期間ここで暮らしているはずだ。
私が幼い頃からいたような気がする。
何十年もここに居て、人々に見られていたんだろう。
「……」
彼は―大きな鯨は、小さな瞳で何を見てきたんだろう。
楽しそうにはしゃぐ子供や、カメラを構える写真家もいたかな……あぁいや、最近は皆が皆レンズを向けただろうな。他にも仲のよさそうなカップルとか水槽の中を見るのもそこそこに通り過ぎる人も居ただろう。
本物の海と違って、狭いこの水槽で、何を。
「……」
大きな水槽の上のあたりを泳ぐ鯨。
少し上の方にいるから、見上げる姿勢にならないと彼の姿は見えない。
首のあたりが少しズキズキとしだした。
それでも尚、私はなぜか目を離せなかった。
悠々と泳ぐその姿に、思わず見惚れてしまった。
「……」
「……」
「……」
「……」
「うわぁすご~い!!」
「―――!!」
幼い子供の声が響いた。
びくりと思わず体が跳ね、首の痛みが走った。
「……った」
思わず漏れたうめきが子供の親に聞こえてしまったのか、静かにしようねと子供を諭していた。あぁ、申し訳ない。ここで私があまりにぼうっとしていただけなのに。
首さすりながら、水槽の中に視線を戻す。
子供ははしゃぎながらも、先程よりは静かに水槽を眺めている。
ずっと上にいる、鯨を見上げている。
「……」
思わず綻びそうになる頬を抑えながら、家族の後ろを通っていく。
マスクをしているけれど、どうしてもにやけるのは隠したくなるよな。
……やっぱり今度甥っ子も連れてこよう。
きっとあの子も、ここを気に入る。
「……」
それから、ゆっくり歩みをすすめながら。
この別世界に浸った。
カラフルなものも居れば、そうでないものもいる。
夜行性なのか、眠っているものもいたし、揺れているだけのものもいる。
それぞれがそれぞれに生きている。
「……」
野生ではなく、管理されたものだけど。
この限られた世界で、生きている。
彼らにも彼らの苦悩があったりするかもしれないけど。
それでも、ここに居る限りは生きている。
「……」
こんな、幼なじみとのあれこれだけで、何日もグダグダしている私と違って。
その日その日を、生きている。
ずるずると、何年も引きずるようなやつがいるんだと言ったら、笑うかもしれないな。
なんだか、私も馬鹿馬鹿しく思えてきた。
「……」
確かに、思い煩っていたかもしれない。
けれど、何年も諦めずにいただけで、何もしなかった。
それならもう、いっそやめてしまえばいいのだ。
幼なじみというだけだ。あの子にとっては尚更。
なら、忘れる必要はないけど、少し距離を置くのはすべきなんだろう。
案外、そのためにあの子はこの間会いに来てくれたのかもしれない。
私の為に、距離を置こうよと、いうことかもしれない。
「……」
うん。
もう、そういうことにしてしまおう。
私もいい加減引きずるのは止めなくては。
「……」
全部を見て回ってから、最後に水族館に併設されているカフェに寄った。
ここにある檸檬スカッシュは思い出の味だった。
あの子が飲んでいたやつだけど。
「……すっぱ」
よくこんなの飲めたな。
お題:檸檬・鯨・幼なじみ