7 あなたは私の最高のお姉様(玩具)ですわ
「……私、世間では死んだ事になっているのかしら?」
マリアは「死んだあなた」と言った。それは、ただ単に仮死薬を飲んだ事を指すだけではないだろう。息を吹き返すのを待つだけならジョンソン公爵家に置いておけばいいのに、わざわざ縁を切った私を実家に戻したのだから。
「ああ、それくらいは、お分かりになるようね」
……この子は、わざわざ私を馬鹿にする応答をしなければ気が済まないのか。
黙って睨みつける私に、マリアは、ただ微笑みを返した。一見可憐な微笑みだ。けれど、なぜだろう、私は絶対的な強者の余裕を感じて、何をしても無駄なのだという無力感を抱かせた。
夫の愛人も外見と中身が大違いな女だったが、マリアは、それ以上に底知れなさや得体の知れなさを感じさせるのだ。
「……死んだ私を連れてきて、どうするつもりなの?」
「どうする? いいえ、どうもしませんわ」
マリアは、きょとんとした顔だ。それは、幼げで可愛らしいものだが、今の私には、ただただ気味が悪かった。
「……どうもしないって」
マリアの発言が理解できない。
縁を切り、世間では死んだ事になった姉を実家に戻して、この子はいったい何をしたいんだ?
「私は、ただ、お姉様に私の傍にいてほしいだけですもの」
「は?」
私は思わず間抜けな声を上げていた。
目覚めてから聞いた妹の発言の大半が理解できなかったが、今のは、その中でも最たるものだ。というか、むしろ理解するのを心や頭が拒んでいた。理解してしまったら駄目だと本能的に分かってしまったからだ。
「お父様やお母様、ジョンソン公爵のように、領地経営をしろとは望まない。ただ傍にいてほしい。私の願いは、それだけですわ」
――戻ったあなたを待つ未来は、それはそれは悲惨なものになるでしょうから。
思い出したのはノアの言葉だ。
「……ただ傍にいる。それだけなの? あなたが私に望むのは?」
「ええ。別に、私は、あなたで肉欲を満たす気はありませんよ。禁忌だからとか同性だからとかではなく、私、そういう事が本当に煩わしいので」
淡々とした言い方だからこそ、それがマリアの本心だと分かる。私は内心安堵した。どうやら最悪な事態は回避できるようだと。……それが、どれだけ甘い考えだったか、後で嫌というほど分かるのだが。
「妹や他人を見下す顔も、両親に虐げられて悔し気な顔も、あなたの感情を映す表情、あなたの存在の全てが私を楽しませる。あなたは私の最高の玩具ですわ」
「お姉様」という言葉に「玩具」という言葉が重なって聞こえるのは、絶対に気のせいなどではない。
この子にとって私は姉ではなく、本当に「玩具」なのだ。
それに悔しいと思うより恐怖を抱いた。
実の姉を玩具扱いするその異常さに――。
「……両親を助けなかったのね」
確かに、私は使用人達に両親を助けるなと命じた。だが、この妹であれば、姉の命令など無視して両親を助けようと思えばできたはずだ。
また私の声に出さなかった疑問に気づいたのだろう。妹は先程と同じく淡々と答えてきた。
「助ける理由がありませんでしたから」
「私と違って、あんなに溺愛されていたのに」
「あんなの愛玩動物を愛でるのと同じでしょう。そんな愛など私は要らない。あなただって、そうでしょう?」
私は沈黙したが、それが肯定だとマリアにも分かっているはずだ。
「それに、権利ばかり享受して義務を果たさない貴族など存在する価値などありませんよ」
マリアが言っているのは、両親が家令と姉娘だけに領地経営を丸投げして遊び暮らしていた事だろう。
「同じ理由で、あなたの夫、もう元夫になりますね。彼も家令に見限られて、もうジョンソン公爵でなくなりました。彼もまた世間では死んだ事になっています」
「は?」
「それでも、あなたが愛する夫ですから、私が引き受けました。安心なさって」
言葉通り、安心させるように柔らかな微笑のマリアとは真逆で私は混乱していた。
「……ちょっと待って。訳が分からない。フェリクス様がジョンソン公爵でなくなった? そんな訳ないでしょう?」
私が世間で死んだ事になったのは百歩譲って認めるとしても、なぜ、フェリクス様まで死んだ事になったんだ?
フェリクス様に兄弟はいない。彼の子を宿した愛人はいるが、今現在、フェリクス様以外にジョンソン公爵家を継げる人間はいないはずだ。そんな彼をなぜ死んだ事にするのか?
「目の前で愛人を『殺されて』、彼、正気を失ったんです」
マリアが意味深に「殺されて」と言った事に、この時の私は気付かなかった。
「……あの女を殺したの?」
あの女を死なせないために仮死薬を用意したはずだ。だのに、なぜわざわざ殺したのか?
私の疑問を読み取ったのだろう。マリアは淡々と答えた。
「あなたが彼女に返り討ちに遭わないように、仮死薬を用意しただけですよ。彼女の生死は、どうでもよかったのですが、あなたが彼女を殺したがっていたから『殺した』だけです。ああ、ご自分の手で殺したかったのですか? だったら、勝手をして申し訳ありませんでしたわ」
言葉通り、申し訳なさそうにマリアは言ってきた。
両親を見殺しにし、愛人を殺そうとした私ですら、その様にゾッとした。
人を殺す事、殺させる事を、この子は本当に何とも思ってないのだと、改めて分かったからだ。
私は、今まで、この子の何を見てきたのだろう?
生まれた時から傍にいたのに、なぜ、気づかなかった?
この子の異常性に――。
「まあ、正気を失う以前から貴族としての責務を果たさない彼をアダムは見限っていましたから、どっちみち結果は変わりませんよ」
一家令が主人を挿げ替えるなどできるはずがないのだが、あのアダムならば可能だろう。
あのノアの実兄なのだ。自分に相応しくない主だと結論を出せば、どんな手段を用いても放り出すはずだ。
「……フェリクス様は、今どこ?」
とにかく彼に会おう。そして、今度こそ本当の夫婦として生きたい。
私は誰よりも彼を愛しているのだ。そんな私の愛で彼だって元に戻るはずだ。
私とフェリクス様は世間では死んだ事になったが、そんな私達夫婦をマリアが引き受けてくれたのだ。これからの生活に支障はないはずだ。
そんな私の前で、マリアは、ただ微笑んでいた。