6 妹の本性
私、エヴァンジェリン・ジョンソンの人生は終わったはずだった。
けれど、気がついたら、ジョンソン公爵家で使っていたのと遜色ない最高級の寝台の上にいた。
「……ここは? 私は、いったい?」
今私が身に着けているのは最後の記憶にあるドレスではなく寝間着だ。これまたジョンソン公爵家で与えられていたのと遜色ない上質な生地と仕立ての物だ。ただし、ジョンソン公爵家で着用していたのは私の好みとは程遠いシンプルなものだったが、今は私好みのレースとリボンがついた可愛らしいデザインのものだ。
「気がつかれましたか? お姉様」
聞きなれた可憐な声が傍らから聞こえて驚いた。
「……マリア?」
妹、マリアことマリアジェーン・スミスは、ベッドの傍に置いた椅子に腰かけ、今まで読んでいただろう本を膝に置いている。
自分と全く似ていないが紛れもなく両親を同じくした妹、今では私の唯一の肉親。
妹のはずだ。最後に会った時と外見は何一つ変わっていない。
だのに、私は、今目の前にいる妹に違和感を覚えた。
「ここは、天国でも地獄でもなく地上のスミス伯爵家の別館です。『死んだ』あなたをジョンソン公爵家にいる私の部下がここに運んだのです」
マリアのこの言葉は、寝起きで呟いた私の疑問への答えだと分かった。
だが、この答えは、私に更なる疑問を抱かせた。
「……『死んだ』私?」
戸惑う私に構わず、マリアは話を続けた。
「ちなみに、あれから三日経ちました。成人男性なら二十四時間で効果は切れると聞いていたのですが、あなたには多大な効果を及ぼしたようですね。目覚めないのかと心配していましたが、目覚められてよかったです。体調はいかがですか?」
最後の科白も表情も姉を心配し気遣う妹のものだ。
けれど、私は目の前の妹に先程の違和感以上の得体の知れなさを感じていた。
それは、目覚めた私に投げかける妹の言葉の数々に疑問を持ったからだけではない。
生まれた時から知っている、両親に溺愛され姉の物を何でも欲しがる愚鈍な妹。
それが、私が知る妹、マリアジェーン・スミスだ。
けれど、今目の前にいる少女は、女は――。
「……マリア」
「はい。お姉様」
マリアは、にっこりと笑っている。誰もが見惚れるだろう愛らしい笑顔。私が見慣れた妹の笑顔。
呼びかけたものの、何をいうべきか、分からなくなった。
私のよく知る妹、その姿も表情も、何一つ変わっていないはずだのに――。
「どうされました? お顔の色が真っ青ですわ」
マリアの白魚のような指が伸ばされる。
「ひっ⁉」
顔に触れられそうになった私は小さな悲鳴を上げていた。
唯一の肉親、生まれた時から知っている妹、小柄で華奢で、誰がどう見ても無力な少女。
普通であれば、そんな彼女に恐怖を抱くなどありえないのに――。
「……お姉様」
私の反応にマリアは困ったような顔になった。
「……私、生きているのね」
先程のマリアの話で、あらかた見当はついているが、私は確認した。話すのは気を紛らわせるためでもある。黙ったままマリアと対峙するのは気まずい以上に、恐怖に呑まれそうになるのだ。
「はい。あなたが飲んだというか、飲まされたのは毒ではなく一時的に仮死状態になる薬です。だから、紛れもなく今ここにいるあなたは生きていますわ」
あの場にいなかったはずのマリアが、どうして私が「薬を飲まされた」事を知っているのか、もう私は疑問にも思わなった。
「……あの薬は、あなたがジョンソン公爵家の私の侍女に渡したのね?」
先程マリアは「ジョンソン公爵家にいる私の部下」と言った。それは、つまりジョンソン公爵家で私に仕えていた侍女は元々マリアの部下だったのだ。
何らかの理由でジョンソン公爵家を探るために部下を送り込んでいたのか、それとも、ただ単に姉の嫁ぎ先だから動向を知りたかったのか。
「ええ。まさか毒の入手を侍女に命じるとは思いもしませんでしたが、お陰で、確実にあなたの手に仮死薬が渡ったのは助かりました」
「……あの女がカップを入れ替える事が分かっていたようね」
「彼女でなくても、突然正妻からお茶を振舞われたら不審に思ってカップを入れ替えるくらい誰だってしますよ。そんな事も分からなかったのですか?」
最後の言葉は、はっきりと嘲りがあった。いつもの見た目通りのふわふわした印象からは想像できないマリアの発言だった。
それに、むかつくとか違和感を抱くよりも、私は納得していた。
これこそがマリアの本性なのだと。
起きてからずっと妹に感じていた違和感。
両親に甘やかされ、私の物を奪うばかりの愚鈍な妹。
だが、それは、ずっとマリアが私や世間に見せていた偽りの姿なのだ。
今こうして私が違和感を感じている姿こそが妹の本性だ。
――あの方のほうがあなたよりもずっと上だ。
あの時は納得できずに憤ったが、ノアは知っていたのだ。
妹のこの姿を。
だからこそ、妹のほうがスミス伯爵家の当主に、自分の主に相応しいと言ったのだ。