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16 全てを捧げる

 そこで、マグダレナの人生は終わったはずだった。


 けれど、気が付いたら、あきらかに貴族の(やしき)だと分かる一室の美しい寝台の上にいたのだ。


「気が付いた?」


 聞き覚えのある可憐な声が傍らから聞こえてきた。


「マリアジェーン様?」


 マグダレナは驚いた。寝台の傍らに椅子に座ったマリアジェーンがいたからだ。


「……わたくし、生きていますのね」


 マグダレナは半身を起こしてマリアジェーンと向き合った。


「ええ。あなたに注射したのは、仮死薬、あなたがお姉様に飲ませたのと同じ物よ。あれから三日経っているわ」


「……アレは毒などではなかったのですね」


 彼女の姉、フェリクスの正妻がマグダレナに盛ろうとした物は、そもそも毒薬などではなかった。彼女が毒薬と偽った仮死薬が姉に渡るように仕向けていたのだ。姉を殺人犯にしないためではなくマグダレナの反撃を想定して姉を死なせないために、そうしたのだろう。


「……それで、どうして、わたくしを殺さなかったのですか?」


「良心が(とが)めたから」というのだけはないだろう。


 目の前の華奢で可憐な美少女が、その外見とは裏腹な酷薄で冷酷な本性を持っているのは、もう分かっている。


 公爵家に侵入し、公爵(あるじ)とその愛人を拘束までさせたのだ。フェリクスには殺すと告げておいて、実際は、そうしなかった理由が分からない。


「あなたが使えそうだから」


「使えそうとは、どういう意味でしょうか?」


 あっさりと告げられた言葉をマグダレナは理解できなかった。


「相手の好みを把握して自分とは真逆な女を演じられる忍耐力と演技力、命を狙われても慌てずに咄嗟にカップを交換した冷静に対処できる機転、おまけに、それだけの容姿。諜報員として使えると思ったの。このまま死なせるのは、惜しいとね」


「出会ったばかりのわたくしに、そこまで価値を見出してくださったのですか?」


 素直に嬉しかった。


 幼い頃から容姿を褒められたのは数えきれないほどある。言い換えれば、容姿にのみ、価値を見出されていた。


 容姿以外の能力に着目された事はなかった。マグダレナもまた一人の人間、一人の女であると、誰も考えてくれなかったのだ。


 フェリクスだとて、マグダレナの容姿にのみ惚れたから、演技に気づかない。


 けれど、マリアジェーンだけは、マグダレナの美しい容姿だけでなくフェリクスに対する演技や彼女の姉に対する対処で、その能力を見抜き、「使えそう」だと価値を見出してくれた。


「諜報員になりたくないのなら、それでも構わないわ」


「……そうなると、わたくしに待っているのは、死、でしょう?」


 考えるまでもない。


「使えそう」だから生かしてくれただけで、最初は殺す気だったのだから。


貴女(あなた)の期待に応えられる諜報員になりましょう」


 生きたいから、死にたくないから、諜報員になるのではない。


 元々、ただ生きているだけの人生だった。


 それが、初めて感情を揺さぶられる人に出会い、その人に価値を見出されたのだ。


 これ以上の幸福があるだろうか?


 それが、人としての道徳や倫理に背く道だとしても構わない。


 この命も、心も、全てを彼女に捧げよう。





 その後、世間的には死んだ事になったマグダレナは、玉のような男の子を産んだ。


 予想通り、腹を痛めて産んだ息子を見ても、全く愛情など()かなかった。


 だから、何のためらいもなく孤児院に送れた。


 こんな自分を母として育つよりも、血の繋がらない他人でも、愛をもって接してくれる人の元で育つほうが息子は幸せだろう。


 それが母としてマグダレナが息子にしてやれる唯一の事だ。


 もう息子の事は考えない。


 命も心も、マグダレナの全ては、マリアジェーン・スミス様に捧げると決めたのだから――。



 






 



 

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