トンネルを抜けるとそこは——。終
「何もないな」
トンネルも半ばを過ぎた辺りで、カリーナが立ち止まってそんなことを言った。
その声音に落胆の色はない。
「ああ、ないな……」
割とさっぱりした様子のカリーナに反して、俺は少し落ち込んでいた。
ようやく悠々自適な生活に戻れるかもしれないと思ったのに、オカルト的な何かが見つかるわけでもなくここまで来ても、何かが起こる気配もない。
トンネルはただのトンネルであった。
涼子さんめ……などと、的外れな不満を空想上の涼子さんを責めてみても、このやるせなさはどうにもなりそうにない。
本当にどうしようねこれ。どうやったら隣で呑気に俺のスマホを弄っているアホを帰せるのだろうか。探りが浅かったのか? トンネルを調べようとした矢先に、降って湧いたように告げられた「狭魔トンネル」のオカルト話を鵜呑みにし過ぎていたのだろうか。
待てよ、あの話しぶりだと、出口付近まで行かないとハッキリしないんじゃないか?
まだ諦めるべきではないのでは……?
「よし、先に進もう。出口まで行ってみれば何かわかるかもしれん。行くぞ、カリーナ」
「……いやもう戻らないか? ほら、出口って意味じゃどちらも同じだろうし」
「……お前、本当にやる気ないよな」
自分のことだぞ。もっと興味持てよ。
「ダメだ。とりあえず、向こうの出口まで向かってみるぞ」
帰れないと、俺もそうだがカリーナだって困るはずだ。
こいつの魔法は確かに便利だが、何せ、こっちの世界に彼女の身分を証明するための物はない。元の世界と比べると格段に生き難いだろうし、実際に、魔法を使って何かしようものなら、間違いなく問題になる。
大昔ならともかく、現代の社会というのはそういった話題がネットに一度でも上がれば、急速に広まっていく。
この世界の人間ですら、生き難いと感じる世の中なのに、機械が発展していない異世界人が、この世界に放り投げられたらまともに生きて行くことなんて出来ないだろう。
実験体エンドとか、人道的に無いと思いたいが、そういう可能性だって無いわけじゃない。
俺だって、いつまでも面倒を見てやれるわけでもない。というか、婆さんの遺産を食いつぶしながら生活しているので、家計は火の車だ。親からの仕送り何てないしな。バイトは論外だ。人と関わりたくないし、働きたくない。
そういえば忘れていたが、この状況、家族になんて説明すりゃいいんだろうね。
両親がうちに来ることはないだろうが、姉さんはフラッと現れそうで怖いんだよな。
「……ともかく、さっさと帰って貰わなきゃ困んだよ、こっちは」
色々な考えをその一言に凝縮して、言ってやるとカリーナは諦めたように、
「……仕方ないな」
と言って、一先ずの納得を示した。
「じゃあ、行くぞ」
意思の統一が出来たところで、再び歩き始めようとした時だった。
「龍二、足音だ」
カリーナが、突然そんなことを言い出した。
「……足音? 車じゃなくてか?」
ここに来るまでに何度か車とはすれ違った。
最初は、その音におっかなびっくりだったカリーナも次第に慣れて、反応もしなくなっていたし、聞き間違いということはないだろうが、念のためにそう訊ねた。
「ああ、クルマじゃない。人間の足音だ。数は三つ」
「よくわかるな……」
「基本だ」
事も無げに言ってのけるが、別に基本ではないと思う。知らんけど。
「いくら徒歩通行が許されてるって言っても、わざわざトンネルの中歩く酔狂な奴もいるんだな」
「いや、私達だってそうだろう……いや、何故徒歩なんだ? 誰でも買えるんだろう?」
「誰でも買えるつっても、学生が気軽に買えるほど安くもないんだよ。維持費だってかかる」
ただでさえ、家の維持費がかかっている現状で、大して遠出をするわけでもないのに、車なんぞ不要だ。
そんなことに金を使うぐらいなら、一月に買う本の量を倍にするわ。
「なるほどな……確かに、あれだけの乗り物だ。私の世界に持ち込んだら、いくらになるか見当もつかないのだから、気軽に買えるものでもないのか……」
「そういうこった」
別に買えなくはないんだけどな。金はあるし。
「と、龍二……もう少しですれ違うぞ」
「別にその報告いらなかったんだが……」
酔狂だとは言ったが、どうせ、肝試しで来た大学生とかだろ。ちょうど夏場だし。
そう考えれば、特別怯む理由もないので、どんどんと先を行くことにして歩いていると、程なくしてカリーナが言っていた三人組の人影を見つけた。
こういう時って、軽く会釈した方がいいのか? わからん。
わからない時は何もしないのが、一番いいので、そのままスルーして進もうとすると、正面から歩いてきたガタイのいい中年の男が、こちらを見て、目を見開いた。
「あ? 誰かと思ったら神室の坊ちゃんじゃねぇか」
「……はい?」
急にかけられた声に、咄嗟にそんな間抜けな声を出すと、彼の斜め後ろを歩く線の細い小物顔の男と、小柄なメガネの男の瞳が鋭くなる。
それを無視して、改めてガタイのいいやつに視線をやると、数えるほどしか見たことはないが、確かに覚えのある顔がそこにはあった。
「長岡さん、でしたっけ?」
「おう、覚えてたか。久しぶりだな、二年ぶりぐらいか?」
強面な顔を崩して、人好きのする笑顔を浮かべた中年の男。長岡さんはそう言って、こちらへと近づいて来る。
彼とは接点らしい接点は、葬式の一度きり。いくら共通の知人がいるとはいえ、こっちの方が忘れられていると思っていたし、忘れていて欲しかった。
二度と関わることなどないと思っていたんだけどなあ……
「俺の記憶が正しいなら、祖母の葬式以来ですね」
「それであってるが……お前、どうしたってこんなところに来てやがる」
「あー、そちらこそどうして?」
「質問を質問で返すんじゃねぇよ、と言いたいところだが、組長の命令でな。この辺りを見て周ってんだよ」
「なるほど」
失踪事件が立て続けに起きている現状を危惧して、このトンネルに入る車を確認したり、怪しい人物がいないか見回りをしていたりしていたということだろうな。
目的は違うが、彼らも概ね俺達と同じく「調査」をしていたようだ。
そう一人で納得していると、長岡さんが眼光を鋭くして、こちらを見つめてくる。
「……で、どうしてここにいる? ここ最近は物騒だから、女連れで変なところに出歩くのは感心しねぇな」
比較的善良とはいえ、裏社会の人間に感心だのなんだの言われたくない。
「腹ごなしの散歩、つっても、説得力ないですかね」
「話す気はねぇってことか?」
それを言われると弱いな。
正直に答えたところでというのはもちろんのこと、ここで答えないというのも状況的によろしくはない。後ろで俺を睨む男二人なんか、俺が適当にはぐらかしたりしたら、すぐ手を出してきそうだし。こちらがパンピーである、ということを考慮すれば、そんな早まったことをしないだろうが、威圧感だけで正直ちびりそうだ。
かと言って、嘘を言っても涼子さんに伝われば、確実に見抜かれるだろうし。どうしたもんかね。
「おい、龍二。知り合いか?」
俺がこの場を切り抜けるべく思考を巡らせていると、さしたる緊張感もない様子で、俺の隣にいるアホエルフが、そんなことを聞いて来た。
「知り合いってほどじゃねぇよ。顔を知ってるだけだ」
「それを知り合いって言うんじゃないのか?」
もっともな意見だが、今はやめてくれませんかね。
「悪いがお嬢ちゃん、少し黙っててくれねぇか。俺は、そこの坊ちゃんと話してんだよ」
「む……」
凄む長岡さんに、何か言い返そうとするカリーナを手で制す。
恐らく「三、四十年しか生きてない小僧にお嬢ちゃん呼ばわりされる覚えはない」とか言おうとしたのだろうが、それを言われると、色々と面倒臭い。
普通なら緊迫するような場面なのに、いつも通り過ぎんだろ。強者の余裕かよ。
だが、助かった。
平素と変わらない彼女の様子には呆れたが、そう内心で感謝する。
改めて、この場での最適解を考える。答えはすぐに出た。
「長岡さんたちに話す気はないです」
「あァ? じゃあ、誰になら話す気があるんだ?」
「組長と話をさせてください」
言い切ると、長岡さんの後ろの二人が怒ったようにこちらへと詰め寄ろうとする。
しかし、それは他でもない長岡さんの手によって止められた。
「すまねぇな、新米なんだ」
「気にしてないです」
明らかな下っ端に目くじら立てるほど、俺は器量の狭い人間じゃねえよ。
「そうかよ」
苦笑すると「お前みたいなのが、組長の横に居てくれると安心なんだがな」と恐ろしいことを言った。
「ヤクザになる気はないですよ、俺は」
そう言って断って見せると、長岡さんは頭を軽く掻いてため息交じりに言った。
「知ってる。そもそも、お前を勧誘なんてしたら姐さんが黙っちゃいねえさ」
それでも、言っておきたかったんだよ、と長岡さんは困ったように笑ってから、元の厳めしい表情に戻り、言った。
「話はわかった、話しつけてやるから明日は家に居ろ」
「ありがとうございます」
「こっからだと、引き返すと遅くなっちまうだろうから、向こうの出口まで行って下まで降りたら、タクシー呼んで帰りな。金は……」
「いらないです。有り余ってるんで」
「……ったく、可愛くねェガキだ」
余計なお世話である。
「じゃあ、気を付けてな」
そう言って、俺達の来た方へと去って行く長岡さんたちを特に見送ることもせず、俺が歩き始めると、しばらくしてからそれまで黙っていたカリーナが口を開いた。
「なあ、何だったんだあいつら」
「……あー」
当然の疑問に、なんて答えたもんだろうかと悩むのも束の間。
どうせ明日話すことになるわけだし、今話しても同じだろう。
「あいつらは、アレだ。ヤクザっていう、いわゆる裏社会の人間ってやつ。そういうのそっちの世界にもあっただろ?」
「ああ、どうりで柄が悪そうな連中だと思ったらそういうことか。だが、何故お前にそんな奴らとの付き合いがある? そういうタイプではないだろ」
「別に付き合いがあるわけじゃない。お互いに知ってはいるって程度だよ、さっきのあの人とは」
「ナガオカ、というやつとはそうなんだろうが、それだけでは組長というのが、組織の長という意味であれば、お前の要求がすんなり通った理由に説明がつかないだろう?」
彼女その言葉を否定せず、肯定もせずに、トンネルの出口に向かい歩みを進める。
「よって、組織の幹部もしくは長そのものと、お前は何らかの繋がりがある。違うか?」
「さあな、別に繋がりってほどの物はないと思うぞ」
はぐらかす意図はなく、ただ本気でそう思ってそんなことを言った。
いくら考えても、今の俺とあいつにあるのは、繋がりと言えるような、繋がりではないのは本当だ。むしろ、その状態が好ましいのだとすら思う。
決して、相容れることのない世界の住人同士。それが健全な状態というもので、だというのに、巡り巡って関わることになってしまうのだから、始末に負えない。
そんなんだから、俺とあいつの関係性について話すのなら、答えなんてものは、やはり一つしかないのだ。
「ただの腐れ縁だよ」
出口までたどり着いても、やはり何も起こらないことに密かに落胆しながら、俺は本日二度目になるその言葉を何処にでもなく、放り投げた。