第43話 フローラの決意
「……えっ!?」
俺の言葉に、クロエは目を丸くした。
「さいいんざい?」
クロエは首を傾げる。アルフォンスが続けた。
「うん、だからその……つまり……」
「え? あっ……!」
ようやく意味を理解したらしい。クロエの顔が見る見るうちに赤くなる。
「な、何よそれ! そんなの無理に決まってるでしょ!」
「お前が飲むわけじゃないんだからそこまで言う必要ないだろ?」
「う、うるさい! 男はこれだから最低なのよ!」
俺のツッコミにクロエは怒鳴り返した。
「僕は別に強制するつもりはないよ。薬草師として、効果と副作用を説明してそれでも飲むかはノエルに委ねようと思う」
「あぁ、それがいいな」
アルフォンスの提案に俺は頷いた。クロエも何とか納得したようで、ノエルの方を不安げながらも見つめる。
「私は試してみてもいいと思う。まずいと思ったら中和する薬もあるんだよね?」
「うん、あるよ」
アルフォンスが答えた。ノエルは頷く。
「なら大丈夫だと思う」
「わかった。じゃあ今度調合してみるよ」
「ちょっと待って、私は反対! ただでさえバカ乳は普段から色々言動がアレなのに、これ以上バカになったら手に負えない」
クロエが口を挟んだ。ノエルはムッとした表情を浮かべる。
「バカじゃないもん〜。それに体型は人それぞれだから──」
「うるさい! そういうところがバカなの!」
「バカって言う方がバカ。ついでに言うと貧乳はバカ」
「は? いい度胸ね。思い知らせてやるわ!」
二人は睨み合った。俺が呆れながら静止しようとしたところで、馬車の扉が開く。
「何よ、楽しそうなことしてるじゃない」
顔を覗かせたのはフローラだった。俺たちを呼びに戻ってきたのだろうか。
「フローラ嬢。首尾はどうでしたか?」
「お父様としても、アンタたちを保護することに異論はないそうよ。サロモン侯に恩を売れる機会もそうそうないしね」
「そうですか」
アルフォンスは安堵の表情を浮かべた。フローラは少し怒ったような表情を浮かべて続ける。
「でも、あくまでアンタたちは客人として保護するだけだってこと忘れないでちょうだいね? 立場は弁えて貰うし、教団には関わることも許さないわ。それが条件よ」
「もちろんです。よろしくお願いします」
アルフォンスは素直に頭を下げた。フローラも満足そうな表情を見せる。それから少し申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「……それと……ごめんなさいね、アタシのお父様が迷惑をかけて……」
「……えっ?」
俺は思わず聞き返した。フローラは少し照れくさそうに視線をそらす。
「その……アンタ達を保護するにあたって色々素性を調べさせてもらったのよ。それで、アルフォンス。アンタの師匠である薬草師が昔公爵家で雇われてたこととか、お父様と喧嘩して追放処分になったこととか……全部知ったわ」
「そうですか……」
アルフォンスは神妙な面持ちで頷いた。フローラは続ける。
「カロー公爵家は由緒正しい貴族だから、筋は通すつもりよ。でも、もしアンタが公爵家を恨んでいるのなら……」
「恨んでなどいませんよ。師匠が受けた仕打ちで良くも知らない公爵家を恨むほど、僕は大人気なくはないですから」
アルフォンスは笑顔で言ったが、その声には驚くほど感情がこもっていなかった。彼は彼なりに葛藤して生きてきたのだろう。
フローラは少し驚いたようだったが、やがて安心したように微笑んだ。
「ありがとう」
「いえ」
アルフォンスは短く答えた。俺は思わず口を開く。
「カロー公爵はどうなんだよ? 因縁のある薬草師の弟子を匿うことに何か言ってくることはないのか?」
「お父様はアタシの意見を尊重してくれるわ。もちろん、アンタたちが変な動きをすれば話は変わってくるけど」
フローラはそう言って微笑むと、俺の手をキュッと握った。俺はドキッとする。
「安心なさい。公爵家令嬢の名誉にかけて、アンタたちを聖フランシス教団から保護すると誓ったのだもの」
「あぁ、よろしく頼む」
俺はそう言って手を握り返した。フローラは微笑むと手を放して付いてきてと言わんばかりに屋敷に向かって歩き始めた。俺たちはその背中を慌てて追いかける。
「……なあ、アルフォンス」
俺は小声で隣に並んで歩いているアルフォンスに耳打ちした。彼は首を傾げる。
「なんだい?」
「お前……フローラ嬢のこと好きだろ?」
俺が言うと、アルフォンスは驚いたように目を見開いた後、すぐに冷静を装った表情に戻った。
「な、何言ってるのさ! そんなわけないじゃないか!」
「嘘つけ。さっきもずっと彼女の方ばっかり見てたし」
「そ、それは……」
アルフォンスは口籠った。俺はニヤリと笑みを浮かべる。
「図星か? まあ、フローラ嬢は可愛いし無理もないな」
俺がからかうように言うと、アルフォンスは少し頰を赤らめた。そして観念したようにため息をつく。
「ま……まぁ……否定はしないけど……でも、カロー家の娘だし色々思うところはあるんだ」
「ふ〜ん? アルくん、浮気してるの? 私というものがありながら?」
いつの間にか隣に現れたノエルが、からかうような口調で言ってきた。アルフォンスは苦笑しながら首を横に振る。
「そもそも僕と君は付き合ってるわけじゃないからね?」
「そんなこと言ってると、リッくんの方に行っちゃうよ〜?」
「何か言ったかしら?」
ノエルの背後から現れたクロエが、彼女の肩を掴んでギリギリと力を込める。
ノエルは悲鳴を上げた。
「痛ぁい! 暴力反対!」
「うるさい。バカ乳が変なこと言うからでしょ?」
「えへへ……ごめんね? でも私、特定の誰かを好きとかじゃないから〜」
「じゃあなんで思わせぶりなこと言うのよ!」
クロエのツッコミに、ノエルは胸を張って答えた。
「牽制だよ、牽制☆ いざと言う時のために手をつけておいてるの」
「バカ乳が。死ねばいいのに☆」
そんなやり取りをしていると、いつの間にか屋敷の前に辿り着いていた。フローラは振り返ると俺たちに告げる。
「ここがアタシの屋敷よ。今日のところはゆっくり休むといいわ」
その言葉に、俺たちは礼を言って頷いた。フローラは微笑むと屋敷の扉を開けて中へ入るよう促す。
俺たちは素直にそれに従った。玄関ホールを抜けると、豪華な装飾が施された広間へと辿り着く。おそらく普段は客を招いてパーティなども行っているのだろう。
中央には巨大なシャンデリアが吊るされており、その真下には赤い絨毯が敷かれているのが見えた。フローラは正面の階段を上り、俺たちを二階へ案内する。階段を上がってすぐのところにある部屋の前で立ち止まると、扉を開けて中に入った。
「ここがアンタたちの部屋よ」
ルナの屋敷に居候していたことがあったから、貴族の屋敷には多少慣れているところはあったが、ルナの屋敷にいた頃にあてがわれていたものと比べても、部屋の中はかなり広かった。
豪華な調度品の数々が置かれており、中央にはキングサイズのベッドが置かれている。枕元の壁には美しい絵画が飾られていた。窓際に置かれた机もアンティーク調の重厚なデザインで高級感が漂っている。部屋の壁には巨大な窓ガラスがあり、外を見ることができた。
「わぁ、凄い」
クロエは感嘆の声を上げた。アルフォンスも興味深げに部屋の中を見回している。フローラが口を開いた。
「何か必要なものがあったら遠慮なく言ってちょうだいね? できる限り用意させるわ」
「ありがとうございます!」
俺は頭を下げた。フローラは少し照れ臭そうに微笑むと、部屋を出て行こうとする。
「あ、あの!」
俺は思わず呼び止めた。フローラは不思議そうに首を傾げる。
「……何かしら?」
「えっと……その……」
俺は言葉に詰まるが、意を決して口を開いた。
「いいのか? 俺たちのためにここまでしてもらって」
俺の言葉に、フローラは目を見開く。そして呆れたようにため息をついた。
「いい? アタシは好きであんたらに手を貸してるのよ。これも全部、ルナに恩を売るためなんだから」
「そう……だったな。悪い、変なこと聞いちゃって」
「別にいいわよ。それに、困ってる人がいたら助けるのが上に立つもの──貴族の務めよ?」
フローラはそう言うと優しく微笑んだ。俺は思わず見惚れてしまう。クロエがジト目で俺を見ていた。
「……とにかく! 今日はゆっくり休みなさい。夜ご飯は部屋に運ぶよう手配するわ」
そう言って立ち去る彼女の背中を見送ると、俺たちは用意された部屋の中に入ったのだった。




