神主ではなかった
◇
「…神主さんじゃないの?」
「ああ」
「じゃあ何?光源氏?」
(それは物語の人物だろう)
皇子はため息をついた。そしてこの女に素性を話すべきか考える。
どのみちこの世界では前世の身分など役には立たないのだ。正直に話しても問題はあるまい。
「大塔の宮 護良親王だ」
「おおとおのみやもりよししんのう?」
女はまるで分っていない様子で繰り返す。庶民だったのか、皇子の名など知らぬようだった。
「えーっと、もしかしてめっちゃ時代が違うような気が…。失礼ですが最後にいた時代の年号は?」
再び敬語に戻って女が聞いてくる。
「建武2年だ」
女の顔色がさっと青ざめ、
「 1334建武の新政だ!」
興奮した様子で意味不明な言葉を叫んだ。御新政を知っているなら、それほど無知ではないようだが。
「そうだ。お前はどうなのだ?」
「…令和4年です…」
聞き覚えの無い年号だ。ふと皇子の脳裏に「時代が違う」という女の言葉が浮かんだ。
(もしや、俺よりもずっと後の時代から来たのか!)
「ぶっちゃけ、687年後です…。マジか…」
茫然自失の女は恐ろしいことをつぶやいた。皇子も衝撃を受ける。
女は別のことに気づき、また叫ぶ。
「『しんのう』っていうことは皇族?!」
「今は違う。俺は…」
皇子はルクスソリアに来る顛末を、かいつまんで女に話すことにした。
♡
神主さんじゃなく皇子様だった。
ミナミは皇子の話を聞いて『なるほど』と思った。彼のきらきらしいオーラは皇子様由来だったのだ。
「じゃあ、皇子様は死んでこっちに転生してきたんですね」
おかゆを食べ終えた皇子に茶を出す。日本茶などは無いから、その辺で摘んだ野草茶だ。
「そうなる。菅公は、俺以外に転生者がいるなどと言っていなかったが」
「あーあたしは死んでないんで。正確には転移者なんですよ」
塾帰りに、気がついたらこちらの森にいたこと。
木こりのおっさんが村に連れてきてくれて、この家のおばあさんが引き取ってくれたこと。
雪掻き当番で行った祭壇で皇子を見つけたこと。
ざっくりと皇子に説明してみるが、たまに単語が通じない。鎌倉時代人とのコミュニケーションは難しい。
「いいなぁ。神様、私も会いたかったー。天神様でしょ?高校受験の前に、お参りに行ったのにー」
「『こうこうじゅけん』とは?」
「えーとね、平安時代の大学寮的なものを目指す試験?学生だったし」
「お前、学生だったのか?女なのに?」
「出たな男尊女卑。600年後の日本は男も女も平等なんですぅ」
ミナミは口を尖らせて抗議した。皇子がいた時代もこちらの世界も、ジェンダー論的に遅れている。田舎のザワ村ですら女の地位は低く、就ける職業は限られている。
「…すまん」
素直に皇子が謝る。
(昔の皇子様なのに、全然偉ぶらない。めっちゃ良い人だ)
ミナミの好感度ゲージはアップし続けた。
「じゃあ明日、村長さんちに行って、滞在許可をもらおっか。そういや、なんて呼べば良いのかな?護良親王?大塔の宮さま?こっちの人たち、日本語の発音難しいらしくて。簡単にしないと」
「親王はやめてくれ。護良でいい」
「護良…モーリ…モーリーとか?」
平民は苗字を持たないので、ファーストネームだけでいい。
ミナミが適当な名前を挙げていると、皇子は今初めて気が付いたように聞いてきた。
「お前の名前を聞いていなかった」
「言ってませんでしたっけ?ミナミです。藤原南。東西南北のミナミ」
フルネームを告げると、なぜか皇子は驚いていた。美男がすごい目力で見つめてくるので、爆死しそうだ。
「南だと?」
「いや、父親が好きなアニメの、ヒロインの名前をつけてくれちゃってですね…」
わたわたと焦って説明する。
(何?地雷?皇子様の地雷を踏んだ?)
「いや…何でもない」
それ以上皇子は何も言わず、第一回日本人会は終わったのだった。
◇
皇子は寝台に横たわり、朝を待っていた。
暖炉とやらの火はすでに落としてあるので、狭い部屋は暗い。
目覚めてから数時間、驚いてばかりで頭が追い付かない。
(南)
異世界で初めて会った女の名が、前世の妻の名だった。
同じなのは名だけだ。ミナミは丸顔の派手な顔立ちの少女だ。
皇子に最期まで寄り添った妻は、細面で儚げな女だった。
(俺が死んだ後、南はどうなったのだろう?)
眠れないまま、長い夜が過ぎていった。
♡
冬の朝まだき。
体内時計で6時半過ぎころ、ミナミは皇子の部屋に湯を持っていった。
ノックをすると返事があったので、元気に扉を開ける。
「おっはよーございまーす!」
「おはよう」
ミナミは単純な娘だ。昨日の地雷はもう忘れている。
部屋の板戸は皇子が自分で開けたらしい。部屋は明るく冷たい空気に満ちていた。
「顔を洗ったら、朝ごはんの前におばーちゃんに挨拶してください。一応、大家さんなんで」
「分かった」
皇子は頷くと、湯を張った桶を受け取った。少し目が赤いような気がする。
(異世界初日、眠れないよね。あたしは…ぐーすか寝てたな)
図太さはミナミの長所だ。図太いが鈍感ではない。
気づかぬふりをして、皇子にタオルを手渡した。
「どうぞ」
その時時、奇妙な感覚を覚えた。
どこかで見た光景だ。デジャヴというやつか。
「ありがとう」
タオルを返す皇子の声に、ミナミは我に返った。
「あ、じゃあ、おばーちゃん、もう起きてるんで。食堂で待ってます」
桶を片付け階段を降りる頃には、先ほどの違和感は忘れてしまっていた。