異世界へ
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「う~さぶっ!」
少女はかじかんだ手を擦り合わせながら雪道を歩いていた。季節はもうすぐ一番寒い時期になる。
「祭壇の雪かき当番、マジで必要?しないと祟られるとか信じらんないんですけど~」
大きな独り言は獣除けだ。雪を掻く道具と供物を入れた籠を背負い、少女は文句を言いながら雪を踏みしめて進んだ。
村の祭事を行う場所は森の入り口近くの広場だ。真冬でも雪かきとお供えを絶やさない。今日、当番に当たってしまったのは、ミナミという少女だ。
ミナミは転移者である。2年前、15歳の時にこの世界に来た。トラックにはねられたとか通り魔にあって刺されたとか、死んでこちらに来たわけではない。塾の帰り道、角を曲がったら、この村の森にいたのだ。
木こりのおっさんがすぐに保護してくれた。この村の人々は皆優しく、行く当てのない少女を受け入れてくれた。山賊や人攫いが横行する世界らしい。ミナミは運が良かった。
幸い言葉が通じたので、意思の疎通に苦労はない。だが文明の進んだ世界から来たミナミにとっては不便を感じる。煮炊きや暖房、夜の灯には火を使う。電気や水道は無い。娯楽も少ない。彼女の感覚では百五十年ほど退行した暮らしなのだ。
「あーお汁粉食べたい。コンポタ飲みたい~」
村の食事はレパートリーが少ないので、それも苦痛だ。真冬の今は根菜と肉のスープとパンばかりだ。
「着いた!速攻終わらせて帰る!…ありぁ?」
やっと祭壇に着いたミナミは、その上に黒い何かがあるのに気づいた。
(熊?熊が寝てんの?)
祭壇は10メートル四方の正方形で、1メートルほどの高さの石づくりの舞台だ。今は全体が雪に覆われて見えないが、祭壇の床には魔方陣的な模様が描かれている。その舞台の真ん中に黒いものが横たわっている。
ミナミは恐る恐る近づいたが、
(熊じゃない…人?)
黒く見えたのは服だった。行き倒れかもしれないと慌てて階段を登り、倒れた人の身体をゆする。
「大丈夫?生きてる?」
うつ伏せで横に向けた顔を覗くと、若い男だった。ミナミと同じ黒髪。どきりとした。
男の上に積もった雪を払ってやる。意識は無いが呼吸はしているようで少し安心した。
(もしかして日本人?マジで?…てか、何この服…)
「なぜ神主さんが???!!!!」
ミナミの絶叫でも、男は目を覚まさなかっ
◇
皇子が目を覚ますと、そこは異世界だった。
そのはずだが、横たわった目線の先にあるのはただの木造の天井だ。暗い部屋だ。唯一明るい方に首を向けると、壁をくり抜いたような四角い空間に赤々と火が燃えていた。蔀は降ろされ、外の様子は見えない。
寝台に寝かされ、厚い衾のようなものを掛けられている。狭い部屋にはこの寝台しかない。
身体に異常はなさそうなので、皇子は起き上がってみた。
また小袖と袴だけになっている。沓は脱がされ、裸足だが床に立ってみる。
冷気に身震いする。今は冬のようだ。
(ここが『るくすそりあ』なのか?誰かの家か?)
皇子が考えていると、コンコンと扉を叩く音がした。
「まだ寝てます?入りますよ~。良いですかぁ…ぎゃあ!」
若い女が入ってきた。寝台の横に立つ皇子を見て悲鳴をあげる。
「起きてるなら返事してよ!びっくりした!」
「すまぬ」
言葉が通じる。皇子は安堵した。衣服が異国風だが、女の容姿は見慣れた黒髪黒目だ。
すると、実はまだ日ノ本にいるのではという疑いが湧いてきた。
「ああ、良かったです。お兄さん、丸一日寝てたから。お腹空いてます?おかゆ作りましょうか」
気を取り直した女は、親切にも食事をするかと聞いてくる。
「その前に聞きたい。ここは…『るくすそりあ』か?」
まずは確認しなければならない。
「え?大陸名でしょ、それ。ここはノースフィルド王国の北の端っこのタキア領のザワ村」
やはりここは異世界で間違いなかった。だが続く女の言葉に皇子は驚愕した。
「お兄さんも日本人でしょ?私もなんです!あ、神主さんの衣装は別の部屋で干してます。雪で濡れちゃったから」
女はどこからか沓を持ってきて、皇子に差し出した。
(今何と言った。『日本人』だと?!俺の他にもここに来ている者がいたのか)
なぜか皇子を神主だと思っている女は、上気した顔で機嫌よく話を続けた。
「私は2年前に来たんです。わー先輩ですね。私。何でも聞いてください!って言っても、あんまり村から出たことないけどね!あー、歩けたら食堂まで下りてきてください。階段下りて左の部屋です」
おかゆの準備をしてきますと、女は慌ただしく出て行った。残された皇子は茫然と沓を握りしめていた。
♡
(そう言えば、よく大陸名知ってたね。転移してきたばっかじゃないのかなぁ?)
ミナミは鍋を竃にかけながら思った。おかゆとは名ばかりのパン入り野菜スープを作る。
2年前から、この家で家主のおばあさんと二人暮らしだ。慣れない後進国的な生活を教えてもらいながら暮らしている。おかげで炊事と洗濯くらいなら一人でできるようになった。
令和の女子高生にしては上出来だと思っている。
昨日、祭壇で見つけた神主さんを、木こりのおっさんに頼んで家まで運んでもらった。
丸一日目を覚まさないので心配だったが、普通に立ってしゃべっていたし、もう大丈夫そうだ。
ミナミも村人たちに、現在進行形で世話になっている。不運な神主さんの力になろうと心に決めた。
(てゆうか…超絶イケメンなんですけど?!おまけに何かオーラが違う~!アイドル?アイドル神主さんなの?)
寝顔も美麗だったが、起きた神主さんはきらきらし過ぎて、何を言ったか忘れるくらい舞い上がってしまった。
ミナミ特製おかゆができたので、美形神主さんをドキドキしながら呼んでみた。
神主さんはしゃんとした足取りで食堂にやってきた。
「座って座って!こんなものしかないけど、どうぞ」
席に着いた男に、おかゆもどきに木のスプーンを添えて出す。
「かたじけない」
(口調がちょっとお侍さんぽいんだよね。もしかして江戸時代の人?話合うかなぁ)
黙々と食べる神主さんを横目で観察する。着物姿が凛々しく、凝視してしまいそうになる。
「神主さんはさー」
気まずさをごまかすように話しかけてみると、彼は手を止めてミナミを正面から見据えた。
「俺は神主ではない」
衝撃の事実に、ミナミはぽかんと口を開けておたまを床に落とした。