身体強化
◇
花見の後、大家の婆どのは体調を崩した。春の終わりに風邪を引き、それがなかなか治らない。
咳が止まらず微熱が続くのだ。ただでさえ小さな体が日に日に小さくなって行く。
ミナミは狩りの仕事を休み、ほぼ一日中付き添っている。今日も皇子は一人で猟に出ていた。
獲物を携え、家に戻るとミナミが出向かえてくれた。
「お帰り、ヨッシー」
「ただいま。婆どのは?」
彼女は驚くほど献身的に介護をしている。疲れた顔が痛々しい。
「熱は下がったみたい。今は寝てるよ。あ、狐獲れたの?あとで処理しとくね」
「川に鰻もかかっていた。食わせてやれ」
ミナミは魚籠を覗くと、鼻の頭にシワを寄せた。
「ありがと。うわー、動いてる」
「俺が料理しようか」
ミナミは首を振った。
「ヨッシーの料理、雑なんだもん。ぶつ切り煮込みとか」
「悪かったな」
狩りの道具を仕舞い、先日打ち直しが終わった剣を腰に下げる。皇子は再び家を出た。
◇
向かう先は隣村の道場だ。元騎士の男にこちらの剣術を習っている。歩いて一刻程の道のりだが、皇子は走って行くのですぐに着く。道場では既に師匠が待っていた。
「おうモーリー遅かったな」
「すまない。今日も頼む」
師匠はザワ村と同じ人種で大柄だ。だが動きは俊敏で、先の読めない面白い攻撃を繰り出す。
ここで皇子は諸刃の剣の戦い方を初めて知った。素振りのやり方から始まり、今は師匠と打ち合うまでに上達している。
◇
「…今日はここまで。だいぶ長く打ち合えるようになったな」
木剣を収めた師匠が褒める。脇腹をしたたか打ち据えられた皇子は膝をついていた。
「どうしても力で押し負けるな…」
荒い息を整えながら師匠を見上げる。元騎士は60近いらしいが、今だ一本も取れない。
「そりゃ、身体強化をしてるからよ。お前さんも魔力持ちだろ?使えんじゃねえ?」
「やり方が分からん」
「教えてやるよ。マスターしたら、俺、勝てねえかもしれんけど」
師匠は皇子を引き起こすと、両手首をつかんだ。
「いいか、今から魔力を流す。それを知覚しろ。血液のように体の中を巡らせるんだ」
「分かった」
ふいに手首が熱く感じられ、何かが流れ込む感覚がした。魔力検査の時を思い出す。あの時は引っ張り出されるように感じた。それが皇子の全身を巡るうちに膨れ上がり、外に向かって流れ出す。
「うわっ!!」
師匠が手を放して飛び退く。魔力は流れ出したまま周囲に広がっていった。
「もういい!止めろ!」
止める方法が分からないが、とりあえず拳を握りしめてみる。すぐに流出は止まった。
「おっそろしい魔力量だな…。でもまあ、分かったな?それを体に巡らせて動きを強化すんだ」
「出た魔力はどうする?このまま放っておけば消えるのか?」
皇子は周囲に漂う魔力を指した。師匠は驚いたように言った。
「え?魔力が見えてんの?」
「師匠は見えないのか?」
「普通は見えねえ。スキルかもしれんな」
魔力が見える人間は稀らしい。師匠が考え込んでいる間、試しに手の平を下に向けてみる。戻るように念じてみると、するすると魔力が元に戻るのが感じられた。
「今、何かしたか?俺の魔力まで取ってったよな?」
師匠が妙な顔で皇子を見た。
「魔力を戻してみた。すまん。師匠の魔力を奪っていたか?」
「いやー。非接触で魔力を奪えるとか、そんなん聞いたことないわ」
予想外の能力がありそうなので、以後、一人での魔力訓練は禁止された。だが初めて魔力を扱ったことに、皇子は興奮を覚えていた。
◇
1ヶ月もすると、皇子は身体強化を使えるようになった。動きは速く、打ち込みは強くなった。今では師匠と打ち合っても負けることはない。魔力の加減も上手くなった。
「お前さんにもう教えることは無い。免許皆伝を許す」
ある日道場に行くと、師匠が真面目な顔で言った。皇子は驚いた。
「そんなことは…」
「いやいや。槍も格闘術も完璧だよ。身体強化も言うことねえし」
実は結構無理してたんだ、と言われてしまう。皇子は師匠の年齢を思い出し、頭を下げた。
「師匠、今までありがとうございました」
「よせやい。最後に真剣勝負をしてやるよ」
師匠は木剣ではなく、真剣を手に取った。これが最後の稽古だ。皇子も自分の剣を抜いた。
「お願いする」
「おう。かかってこいや」
それから四半時、道場では二人の激しい立ち合いが繰り広げられた。
◇
結局、勝負はつかなかった。だがこれで本当に免許皆伝だと、師匠は笑顔で握手をしてくれた。
最後の稽古を終え、汗を拭きながら師匠と雑談をする。
「婆さん、そんなに具合悪かったんだな」
「ああ。もう寝たきりだ」
「俺も見舞いに行かねえとな。息子さんには世話になったし」
師匠と婆どのの息子は同じ騎士団だったらしい。お互いの出身の村も年齢も近かったので、引退後も文のやり取りは続いたそうだ。
「俺は結局中隊長どまりだったけどな。あっちは騎士団長だったのに、良くしてくれたよ」
「婆どのの身内は息子だけなのか?」
「王都に孫がいるよ。そいつも騎士団長だ」
祖母の死が近いことを、その孫に知らせるべきか。皇子は、まずは婆どのに訊いてみようと思った。




