茶と翁
◇
神殿を出たのは正午前だった。帰りの時間を考えると、もう領都を出たい。
その前に土産を買って帰ることになった。皇子の目当てはハマスから聞いた茶葉店だ。
「あたしはおばーちゃんにお菓子とか買ってくから。一時間後に宿屋で待ち合わせね」
昼食を済ませてミナミと別行動を取る。馬とロバは宿屋に預け、気ままに街をぶらつく。
大通りの店々を興味の赴くままに見て歩いた。
(村も良いが街も良いな)
こちらに来てから、初めての一人歩きだ。
領都の賑わいを楽しみつつ、皇子は茶葉店を探した。
◇
「いらっしゃいませ~。何かお探しですか?」
茶葉店を覗くと、すぐに店員の娘が声をかけてきた。
「ハマスの店に卸している茶が欲しい」
「かしこまりました。試飲されますか?」
「ああ。頼む」
店先の緋毛氈が敷かれた長椅子に腰を掛けて、茶を飲む。
やはり美味い。店員に頼み、この茶を1斤包んでもらう。8000ゴルドだったことはミナミには内緒だ。
茶の香りを楽しみながら、神殿での一件を思い返す。
魔力量が多いのは分かった。いずれ使いこなせるようになりたい。スキルについては今だ不明だ。
神官どもは少し警戒しよう。ただ、あの大神官という老人は信用できる。
魔法を指南してくれる人物はいないものか…。
つらつらと考えながら道行く人々を眺めていると、不意に怪しい気配に気づく。
(囲まれた)
こちらで狙われるのは初めてだ。今、武器は持っていない。逃げるべきか。
「良いお天気ですな」
枯れ木のような翁が、音もなく現れて声をかけてきた。
「そうだな」
皇子は素っ気なく答えた。
「美味い茶だった。失礼する」
娘に礼を言い、席を立つ。相手も店先では仕掛けてこないだろう。
「お待ちを」
だが翁が皇子の右腕を押さえてきた。皇子は殺気を込めて老人を見た。
「ここで殺り合う気か?」
「滅相も無い。…お迎えに参りました、殿下」
久しぶりに聞いた言葉に、皇子は眉をひそめた。
「お前は何者だ?」
「なんと、この爺めをお忘れでしょうか?もしや記憶が…」
記憶も何も、皇子はこちらに知り合いはいない。翁は泣きながら腕にすがってきた。
「1年もお探ししたのです!さあ、共にお戻りください!殿下」
「知らぬ。人違いだ」
翁は滂沱の涙を流しつつ、「お戻りください」だの「皇太后がお待ちです」だの、意味不明な言葉を繰り返す。
困った皇子は手巾を差し出した。泣く老人は両手でそれを押し頂く。
「ああ、お優しや。…その黒髪に黒い目も、お美しい顔も。殿下は何一つお変わりない」
「違うというに…」
段々面倒になってきた。ミナミとの約束の時間も迫っている。
「他人の空似だ。本人でなくてすまんな」
そう言い捨てて、皇子はさっさと店を出た。怪しい気配が跡を付けてくる。
残された翁は叫んだ。
「皇家断絶の危機なのです!殿下だけが希望なのです!!!」
(知るか)
素早く路地裏に入る。気配が追い付く前に隠形の術で身を隠す。幾度となく敵から逃げおおせた術だ。見破られることはない。
「探せ!まだ近くにいらっしゃるはずじゃ!」
翁が手下に指示を出す。そうして彼らが完全に去ってから、皇子はその場を離れた。
◇
「ふーん。それで号泣おじいちゃんを撒いてきたんだ」
「ああ。参った…」
その後、宿でミナミと合流して領都を出た。不気味な翁とその仲間は振り切ったようだ。
「ヨッシーと同じ顔をした人がいるってこと?信じられないなぁ」
「俺もだ」
「しばらく領都へ行くのはよそうか。また会ったらやだもんね」
「そうだな」
二人は馬とロバを急がせ、夜には村へと帰り着いた。
◇
領都での一件以来、皇子は剣が欲しいと思うようになった。まずは鈍った身体を鍛えなおす。
毎朝の素振りが日課となった。ある日、それを見た大家の老女が皇子を呼んだ。
「あんたは剣も使うんだね。よければ息子の剣をお使い」
婆どのの息子の剣を渡される。刀身が4尺を超える、諸刃の直刀だ。
「…長いな」
「鍛冶屋に打ち直してもらいな。あんたの好きなようにするといい」
「かたじけない。大切に使わせてもらう」
皇子は礼を言って剣を受け取った。婆どのからは与えられてばかりだ。どれほど礼を言っても足りない。
(この恩はいつか返さねばな)
「気にするんじゃないよ。剣も使ってやんなきゃ可哀そうだろ」
いつもの『つんでれ』が出た。皇子は満面の笑みを浮かべた。
早速、鍛冶屋に向かった。
「こりゃ騎士団の剣だなぁ。直しちまって良いん?」
木こりの息子が剣を眺めながら言う。
「良い。俺の丈に合うように打ち直してくれ」
「あいよ。モーリーの身長だと、こんくらいかぁ?」
見本の剣の中から1本を渡される。皇子は構えてみた。
「長さは良いようだが…」
しっくりこない。何度か振っていると、
「もしかしてぇ、諸刃の剣、初めてじゃないん?」
息子に指摘される。確かにその通りだった。
「俺のいた国では、剣は普通、片刃で反りがある」
「そうなん?片刃にはできるけどぉ、反りは無理だぁ」
皇子はしばし考え、そのまま刀身だけを短くするよう頼んだ。
「こちらの剣術を学ぶよ。『郷に入っては郷に従え』だ」
3日後に引き渡す約束をして、鍛冶屋を出る。
(先に剣の師を探さねば。忙しくなるな)
最近の彼は、以前ほど昔を思わなくなっていた。




