太宰治になれない男
太宰治という人は煩悩の塊であったことだろう。しかし、私も煩悩の深さでは負けていないと思う。私も人間失格だ!と、思っていた。悩みは尽きない。どれだけ、人に励まされても、どれだけ人に慰められても、全く満足しないし、むしろ何を分かった気でいるんだなどと憤慨して、憤慨したことに腹が立つこともしばしばである。つくづく人間生活に向いていないと思いながら、でも結婚はしたいし、種を残したいけど、私のような下等生物が種を残してしまうと子孫に迷惑がかかるので、純粋に子どもを作りたいとも思えない。まず、種などという言葉選びをしている時点でとても気持ちが悪い。僕は30歳までに絶対自殺するとおもうんよねえ、と何回友達に言って微妙な顔をされたかわからない。私は、人にも迷惑をかけている。まさしく人間失格なのである。そのはずなのである。
しかし、私は人間失格ではない。まだ人間失格の烙印を押せるようなクズ人間にすらなり切れていない!!
人間失格などとレッテルを貼れているうちは、まだ救いがあると思う。世の中には、人間失格にもなりきれなかった私のような男がいるのである。
太宰治は3人も愛人がいた!!知られているだけで!!そう!!彼は愛人がいてこそのクズなのだ!人間失格になるためには、女(失敬)にひどい扱いができなければならない!!私には愛人が足りない!!(パワーワード)
本当に頭にくる。ここで段落を変えてしまうような陳腐な文学センスに辟易する!!
これを書きながら、私ってどうやら恋愛とか、性的なこととかそういったことがしたくてたまらないのだと思った。たぶん今年こそリアル除夜の鐘をしないと、煩悩の蓄積具合が過ごすぎて、主に腰あたりに爆弾を抱えることになるだろう。
ここで私の人となりの説明を求められてないのにやっておきます。ちび、でぶ、ぶすの三拍子そろったいかした男である。前田智徳の旧応援歌は私をモデルに作られたともっぱらの評判である。何歳かあててごらん。賢明な読者(今のところ0名)ならば、推察できることだろう。
書きすぎてなんだか文章の方向性が分からなくなってきた。文才もないのにプロットも書かないというこの傲慢さである。
ああヤりてえ。おっと本音が。
これでは、某最近はやりの私ってクズよね系の歌詞ばかり書くバンドなどと同じ感性の持ち主だと思われてしまう。あいつらなんていうのは、自分の性的体験を誇示したいだけの人間失格なのである。でもうらやましい。だって、ちゃんとクズだもん。クズになれるだけの体験をしてきているんだもん。ああ、うらやましい。ちなみに私は童貞ではない。信じてほしい。
とりあえず、もうあきたので、というかこれ以上言うことがなくなってきたので、終わります。
はやく人間失格の烙印を押されるような人間になりたい。別に人間失格というレッテルはいらないけど、なんか称号が欲しい!称号によって、自分はこういう人間なんだなと思いこみたい!!それができたらどれだけ楽に生きられるか!
もう書いて投稿することもないだろうが、次に私が投稿するものが「煩悩から脱出した方法教えます!!」でないことを読者(まだ0人)には願っていてほしい。
↑こんな文章を読みやすいようにと思って行間を調整しているあたりが振り切れてなくてなんともダサい。