第二十四話 臨界
頭部が炎に包まれ、ファランクスはひるみを見せた。
――ゥルル……。
と、小さくうなりながら火を振り払おうと、首を振っていた。火の隙間から見ると、ファランクスの皮膚は焼けただれ、赤い身が露出している箇所もあった。それでも、敵意を剥き出し、その目をギラつかせている。――その姿は一層、狂気染みたバケモノの様相ほかならない。
しかし、隊長は隙を逃さない。瞬間的に距離を詰め、拳を振るった。
――グチャッ!
隊長が拳を振り抜くと、ファランクスの顔が歪み、肉が潰れる音が重苦しく響いた。
――ズッ。
同時にファランクスの肩口から伸びた前足の爪が隊長の胸を突く。
(あの状態で、まだ反撃できるのか――!)
その凶暴さにミリスはゾッ、と青ざめた。
だが、隊長もひるみを見せない。続けて〈加速〉した拳を数発放つ。
――おぞましいほどの打撃音とともに、ファランクスの肉を貫き、骨を砕き、肉片が飛び散った。頭部が陥没し、片側の目が潰れていた。
隊長が連打の最後の拳を振り抜いた、その時――、
――ガッ。
ファランクスはその腕にかぶりついた。
「――っ!」
強烈な圧力により腕を引きぬけず、隊長はその場でぴたり、と止まってしまった。――その隙を突かれ、ファランクスの四本の前足が隊長を襲う。
――ズズッ!
複数の鋭い爪が隊長の体中に撃ち込まれていった。プロテクトの上からでも、皮膚を突き抜け内臓に達したのか、隊長の口から血があふれ出た。
「エリオ隊長――っ!」
ミリスが声を上げる。
(――まずい! 隊長のプロテクトもそろそろ限界が来るっ! 今! 弱っている今、倒しきらなければ、シスターたちどころか、私たち全員の命にかかわる――っ!)
その時、隊長は片方の拳で、ファランクスの牙をへし折り、なんとかその場を脱出した。――しかし、距離を取る前に、隊長の膝を崩れる。
(――隊長がっ! 傷が深かったのか! プリムスの使いすぎか! なんにしてもこのままじゃまずい! ――だけど! ……だけど、私の水弾なんて、いとも簡単に避けられてしまうっ! どうする! どうすればっ! ファランクスの動きを止めなければ――っ!)
ミリスは焦燥に駆られる。自分の無力さに打ちひしがれてしまいそうになる。
ちらり、とクラエルの方を見ると、地面に倒れたまま動く様子はない。すでに気を失っているのかもしれない。
「……クラエルも、隊長まで……やられたら……、そんなこと……」
ファランクスに纏った火はもう消化しかけていた。顔面はグチャグチャなのだが、その回復力からか、すでに体勢を整えはじめている。そして、ふたたび隊長を襲おうと、ギラギラと見据えていた。――もはや、一時の猶予もない。
「でも、私一人で、なにができるんだ……! どんな力でもいい……どうか、私に……なにか……。た、助けて……おにいちゃ……」
そうつぶやいてから、首を横に振る。
「いや、ちがう……。私が……やらなければ……。やらなければ、やられるっ! クラエルは決死で向かった。隊長は私たちを守るために身を挺してファランクスと真正面から対峙したんだ。――今! ここにいる私がっ、やらなければっ! 後はない! もう、残されたくないんだ! ――FRANに……FRANなんかに誰一人、殺させて……たまるか……っ!」
ミリスは地面を蹴って、前に出た。
「許さないぞ……。そんなこと、許されないぞ……! このバケモノがぁ――っ!」
「ミリス士官っ! ダメだっ!」
隊長の制する声。――その瞬間、ファランクスの標的が、近づいてくるミリスへ変わった。
(私の攻撃は通用しない! ならば! すでに『あるもの」を使うしかないっ!)
ミリスとファランクスは互いに勢いよく近づいていき、二、三メートルほどの距離まで接近した。
「――ここが、〈凝縮〉の力を最大まで発揮できる距離っ! 刺し違えても、やってやるっ!」
――バチバチッ。
ファランクスの頭部にわずかに散っている火花の音が聞こえた。
(――やはり、そうだ! クラエルの放った〈振動〉は、まだ、かすかに連鎖して生きているっ!)
――その時、ミリスの〈凝縮〉ホールが、ファランクスの顔面の中央で生成された。
「クラエルの〈振動〉の力と……、残り火、そして、顔面に付着した石炭の粉塵、すべてを! 一点に! 〈凝縮〉させるっ! エネルギーを収束し! 凝り固め! 増幅……!」
――ボッ!
〈凝縮〉点で大きな炎が立ち上った。ファランクスの頭部が燃え、視界を失ったのか、ひるみながら地面に着地した。――しかし、ミリスは力を緩めることはない。その炎すらも、さらに〈凝縮〉し続ける。
――ギュルルルッ!
あらゆるものがこすれ合い、振動し、空気の分子をも潰れゆき――空間そのものが、ゆがみ始めた。
「ああああああああああぁぁぁ——っ! ――そしてっ! 臨界点をぶち抜いて! 破裂しろおおぉ――――――――っ!」
――ブワッ。
と、衝撃破がファランクスを中心に巻き起こり、ミリスは吹き飛ばされた。その刹那――、
――ドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッ!
鼓膜を突き破るほどの炸裂音が打ち鳴り、ファランクスの周囲、数十メートルを包むこむ巨大な爆撃が起こった。
真っ赤な炎が空中で大きな円形に広がり、高温がミリスの肌を焦がす。
……そして、瞬く間に黒い煙に包まれ、ファランクスの姿は見えなくなった。代わりに、びちびち、と、飛び散った黒い血肉が地面に降り注ぐ。
血肉が止むと、一瞬にして辺りは静まりかえり、風のゆらめき以外、消えてしまったように思えた。
立ち上る黒煙が景色を飲み込み、蒼天に渦巻く雷雲のように、先を見通せぬ恐怖心のようなものに駆られた。心の内側で、ファランクスの狂気がいまだおさまらない。
――ミリスは地面に倒れていた。己の限界を超えるプリムス能力の発現と、吹き飛ばされた衝撃で、起き上がることができなかった。
「はあ、はあ、はあ……っ!」
(体がしびれる……。頭がガンガンして、目の前がゆがんでみえる……。心臓が痛むほど鼓動していて……息ができない……)
かつて出会った海上保安隊の少女チェロルカが、限界を超えてプリムスを使用し、倒れてしまったことが脳裏にうかぶ。
彼女と同じく、自身もまた、意識が薄れていくのがわかった。
(……あの凝縮爆破は、無我夢中で……ひたすら凝縮を繰り返した結果だ。自分でも考えられないほどのプリムスの暴発……暴走といっていいかもしれない)
――体はもう動かない。
しかし、もうこの戦いも終わり、だ。――終わりでなければ、ならない。
そう、心に思った、その時、
――ギァアアア!
獣の声と共に、立ち上る煙の中からファランクスが姿を見せた。
――その姿はもはや、原型をとどめていない。全身の皮膚がただれ、骨が剥き出しになり、足はいくつか焼けちぎれ、首は半分裂け、ドロドロに溶けた顔面から眼球が飛び出ている。
ミリスはその醜悪な姿への恐怖よりも、そんな状態でありながらまだ動けていることに、畏怖で体が強張った。狂乱の具現化そのものである。
「……来るなら、こい……。もとより……刺し違える、覚悟……だ」
ミリスは震える唇で、小さくつぶやいた。体に力を込めようとするが、指先ひとつ動かなかった……。
襲い掛かってくるファランクスの体で視界が黒に染まる寸前、
「はぁぁ――……!」
その背後から、隊長の息遣いが聞こえた。
――バキッ!
隊長の拳が、ファランクスの頭部に打ち込まれ、剥き出した頭蓋にヒビが入った。
間髪を入れず、もう一発。――今度は、ファランクスの胴体を突き上げ、血肉が飛び散った。
そして、隊長は地面を踏みしめ、両拳を構え、
「ガああああああぁぁあ――――――――っ!」
――隊長は吼えた。
その直後、高速で拳が、次々とファランクスを打ちこまれていく。
――最初の一撃で、残った前足が折れ曲がり、あらぬ方向へ弾かれた。
――次に、胴体に放たれた一撃で、肉と内臓が削げ落ち、続けて畳みかけるように打ち込むと、露出したあばら骨がひとつ残さず砕け散った。
――拳を打ち下ろすと、背骨を割砕した。
――頭部へ数発放たれると、頭蓋から骨片が飛び散っていった。
「オおおぉぉ……! ウラああああぁぁ――――っ!」
――そして、最後の一撃を振り抜くと、ファランクスの首が、ちぎれ飛んだ。
辺りに血しぶきが舞う。黒雲がもだえるような赤に染まりゆく。
拳を止めた隊長は、だらり、と腕を下げ、そして、長い息をもらした。
「これで……」
つぶやくと、ミリスの方を振り返る。
「これにて……討伐完了だ……。君たちのおかげだ。よく、やったな……、ミリス士官。本当に……」
「……隊、長……」
――そう言うと、ミリスは崩れるように地面に伏し、ぷつりと意識が途絶えた。




