第二十三話 粉塵
「死んだのか? ファランクスは?」
クラエルは目を細めて言った。
ファランクスは全身が黒く焼け焦げ、地面に倒れたまま動かない。あの巨大な獅子の姿は体毛が焼け散り、ひと回り小さく見えた。
「私が確かめよう。君たちは下がっていなさい」
隊長は警戒しながらもファランクスに近づいていく。
「あれだけの爆発なんだ……。終わっていてほしいな……」
ミリスはそう言うと、ゆっくりと腰が下がり、地面に膝が落ちた。
「どうした、ミリス。水弾を撃ちすぎたか?」
と、クラエルが尋ねると、ミリスは首を横に振った。
「……いや、ちょっと……、頭痛……かな。なんだか、ぐるぐる頭の中で、何かが渦巻いているような……」
「疲れ、だろうな。こうやっているが、俺たちは間違いなく、死にかけていたんだ。これは……、俺にはわからねえが、考えられるのっていえば……レインのおかげ、だったりするのか?」
「……私にも、わからない。レインの能力はどれも驚くようなものばかりだけど……でも、レインがたった一人の力で、こんな奇跡みたいなことを起こすなんて、いままで見たことがない……」
ミリスはそう言うと、前方に何かの気配を感じた。
はっ、として、すぐに顔を上げて周囲を見渡すが、何も変わったものは見えなかった。
(――でも、よどみのような……? いや、ゆらぎ……! まさか!)
ミリスはその気配の正体に勘づくと、勢いよく立ち上がり、
「まってください! エリオ隊長っ! ――そいつの魂は生きている!」
ミリスが叫んだと同時だった。隊長がとっさに構えようとした――が、その寸でのところで、
――ドッ!
ファランクスから飛び出してきた前足の爪が、隊長の体を突き刺した。
「――うっ」
四つの鋭い爪がそれぞれ、隊長の胸や腹に当たった。そのまま前足は振り抜かれ、隊長は大きく突き飛ばされた。
「隊長――っ!」
――ブウゥゥン。
と、隊長のプロテクトの稼働音が鳴り響く。プロテクトでも防ぎきれなかったのか、爪はわずかに体をえぐり、血が飛んでいた。
隊長は身を翻し、受け身を取ると同時に――、
「――加速」
と、つぶやきと同時に風を巻き起こし、姿を消した。――そして、黒い塊のようなファランクスの真横に現れ、拳を構え、踏み込む。――ボッ、と風を切りながら拳が突き出された。
――が、その時にはすでにファランクスは隊長とは逆方向に飛び退いていた。
「――なにっ!」
と、隊長も予想しないことだったのか、声を漏らした。
「避けた……? わかったのか? エリオ隊長が現れる位置が……。この距離での音速に反応した……?」
と、ミリスが眉をひそめてつぶやくと、
「おい! ミリス、見ろよ! あれ!」
クラエルが横から指をさして叫んだ。
そこにはファランクスが小岩の上に、しなやかな四足を揃えて立っていた。
焼け焦げて、ただの黒い塊に見えていたが、よく目を凝らして見ると、その姿は、いままでの姿とは――巨体をそのままに――まるで変貌していた。
それはまるで――闇を塗りたくったような黒々とした狼。ただし、その身体的特徴は常識から逸脱していた。
その目は赤く、左右に二つずつ、並んでいる。――合わせて四つの眼球が、それぞれが独立しているようにぎょろつかせ、ぎらぎらと鈍く光らせている。
さらに、足は、小岩に立っている四つ足だけでなく、その肩口からも一本ずつ別の足が生えている。
口は裂けたように大きく、鉄をこすり合わせるような、うなりを上げていた
「なんだ……あれは……? あれが、さっきまで戦っていたファランクス?」
ミリスは開いた口がふさがらなかった。
その隣でクラエルも同じに唖然としながら、恐る恐る言う。
「毛皮の下はまるで別物じゃねえか……。焦げて黒いんじゃねえ、元から奈落みてえにバカ黒い体をしてやがるんだ。それに、あの異様な体……完全に、バケモノだ……」
ミリスたちが、そのファランクスの正体に慄いていると、
「――加速!」
隊長はふたたび、地面を蹴って姿を消した。
そして瞬く間に、ファランクスの背後に現れ、裏拳を振った――が、またしても拳は空を切った。隊長が姿を現す頃には、ファランクスはすでに飛び退いていた。
「――眼だっ!」
ミリスは声を上げた。
「あの複数の眼で、見えているんだ! 隊長の動きがっ! 目の数が増えて、死角がなくなっている! それに加えて、あの動きを捉えることができる――反射能力が、逸脱しているっ!」
と、ミリスが言うと、隊長の顔も険しくなるのが見えた。
「そういうことかよ、くそっ。――なら、隊長さんっ! 死角を取らずに、加速したまま真正面から拳を叩きつければいんじゃねーのかあ! 避ける間も与えずに!」
と、クラエルが隊長に向かって叫ぶ。
しかし、隊長は首を横に振った。
「……だめだ、それはできない」
と、言うと、隊長は自身の拳に触れ、続ける。
「音速の速度で打つと、手甲をつけているとはいえ、私の拳の方がもたない。腕や関節も一度で潰れてしまうだろう。……私の〈加速〉は、早送りのように動作を加速させているだけに過ぎない。何かに触れると、そこに加速分の衝撃を受けてしまう。自他ともに、だ。耐圧スーツで、なんとか風圧だけは耐えられているにすぎない」
「う……だから、音速は、移動だけ、なのか……」
クラエルは口惜しそうにつぶやいた。
「――だが、拳が潰れない限界の速度までなら、〈加速〉して打ちこむことができる」
隊長が言うと、ファランクスを飛び退いた先へと瞬間的に距離を詰めた。
「おぉぉ……!」
隊長は低くうなるように息を吐いた、その刹那――
――ボンッ!
と、爆発するような鈍い音を鳴らし、ファランクスが弾き飛んだ。牙が数本飛び、血が舞った。
(――連打だ……! 打ち込んだ音は一発分しか聞こえなかったが、ファランクスの顔面が滅多打ちされたように出血してる! 飛んで避ける前に拳が届いた!)
遠巻きにミリスは懸命に目で追っていたが、ミリスたちの目には、拳が分裂したように全く同時に五~六発の拳が放たれたように見えた。――しかし、
――ウゥン。
と、プロテクトの稼働音。隊長はよろけて一歩下がっていた。隊長の服は爪跡に沿ってやぶれ、血がにじんでいる。
(――相討ち、だ! ラッシュを叩きこんだと同時に、ファランクスも爪で反撃していたんだ!)
ミリスがそう思ったその瞬間、ファランクスは弾き飛んだ先で、着地したと同時に地面を蹴って飛び出す。――隊長に向かって一直線。
隊長はそれに反応し、即座に体勢を整え、拳を打ち出した。
――メリッ!
拳はファランクスの眉間にめり込んだ。――だが、ファランクスは止まらなかった。飛び出した勢いは止まらず、その推進力で拳を弾き返し、強引に隊長の肩口に噛みついた。
「――ぐっ!」
そのままのしかかられ、隊長は地面に倒された。
「マグナム弾っ!」
ミリスは叫び、水弾を放った。――が、ファランクスは噛みついたまま身を翻し、それを避けた。
「嘘だぁっ! これも見えているのかっ!」
ファランクスは、音速で動く隊長を目で捉えることができる上に、死角がない。水弾がいかに強力な射出力であれ、音速以上の速度には到底いたらなかった。
「くっ」
ミリスは歯を食いしばり、苦渋の表情を見せた。
(まずい! 隊長は完全に前足で押さえつけられている! 動けなければ〈加速〉しても抜け出せないんだっ・! ――噛みついているヤツの頭部に水弾を撃ち込みたいが……、避けられたり、少しでもズレると、隊長に当たってしまう!)
ミリスが迷っている間に、
「――俺がやるっ!」
クラエルはすでにファランクスと隊長に向かって近くまで駆けつけていた。
「クラエルっ⁉ 危険すぎるっ! 隊長ですら避けられない攻撃をしてくるんだぞ!」
ミリスは叫ぶが、クラエルかまわず、逆手に持った剣を振り上げた。
「離れやがれぇ――っ!」
柄の護拳部でファランクスの頭部を殴りつけ、隊長から剥ぎ取るように打ち上げると、ファランクスの頭部で爆発が起きた――その直後、
――メギィ!
クラエルはファランクスの後ろ足で脇腹を蹴りつけられ、骨のきしむ音が鳴った。
「ぐっ――うっ!」
クラエルはうなりを上げる間もなく、蹴り飛ばされた。まるで小さなボールが飛んでいくような勢いで軽々と吹き飛び、――そのまま、近くの突き出た岩肌に叩きつけられた。
「クラエルっ!」
ミリスはサッ、と顔が青ざめる。
(――プロテクトが機能してない生身で、まともに喰らったぞ! まずい! まずい! ただではすまない!)
ミリスが焦り、駆けだそうとした時、
「――無事かっ!」
隊長の声。ファランクスが離れた隙をついて、すでに隊長は地面から起き上がっており、クラエルに向かって声を掛けた。
「こっちじゃねえ――っ! 隊長さんっ!」
と、クラエルが叫ぶ。岩肌に叩きつけられた格好のまま、指だけを突き出して大声であげる。
「俺の〈振動〉は終わってねえっ! ――さっきのガス爆破で散らばった石炭と一緒にぶん殴ってやったっ! 単なる爆発火力の増強だけじゃあねえ! 砕けた石炭は粉塵となってヤツの周りを舞っているぜ!」
そこまで言うと、クラエルはずるり、と地面に倒れた。――と、その時、
――バチバチッ
と、複数の火花がファランクスの頭部の周りに飛び散った。
「姿が変わっても、弱点は変わらねえだろ、クソヤロォ……! 〈振動〉で粉塵同士が擦れあい、火を上げる。採れたて新鮮、石炭燃料だぜ……。――燃え上がれ……っ!」
と、地面に横たわりながらクラエルは言った。そして――、
――ボッ!
と、音とともにファランクスの頭部は火に包まれた。




