第二十二話 噴煙
――オオオォォン。
ミリスとクラエルが前方に向きなおした時、ファランクスの咆哮が響いた。
その咆哮は、さきほどまでの威嚇のような力強いものではなく、苦痛によってうなりを上げるような声だった。
ファランクスの前足は折れ曲がって地面に伏し、目からは出血していた。
「少し目を離している間に、あの巨獣をこああも叩き伏せているとは……」
と、クラエルは感嘆まじりに言う。
次の瞬間、隊長はファランクスの眼前に突如姿を現した。
――と、同時に拳を握り込み、強く踏み込んだ。
――グシャッ。
ファランクスの眉間にめがけて放たれた拳がめりこみ、骨が砕けるような、にぶい音が響いた。
そして、ふたたび姿を消し、反撃を食らわぬ位置まで下がり、距離を取った。
(……急所の一点を貫くような正確無比な打撃と、徹底したヒット&アウェイ……。あのめちゃくちゃなスピードと対照に、なんて丁寧な戦い方なんだ)
ミリスは感心、というよりも畏敬の念を抱き、ごくり、と喉を鳴らした。
――と、その時、ミリスは何かの気配を感じた。
「あれは……! また幽霊犬だ! 一匹……いや、二匹! ファランクスの背後から出てきている!」
ミリスは叫びつつ、水弾を生成する。
「わかった! 俺が隊長さんに危険を伝える! 幽霊犬は頼むぞ!」
クラエルはそう言って、駆けだした。
隊長も何らかの気配を察したのか、その場で構えて警戒しているようだった。
「――隊長さん! 気をつけろっ!」
クラエルの声に、隊長は一瞥して前に向きなおす。
「なぜ出て来た。君は下がっているんだ」
「俺たちには見えない犬どもがまた出てきたんだ。ミリスならそいつらを撃ち抜ける。だから隊長さん、そいつはまかせて、すこし下がっててくれ」
クラエルはそういいながら駆けつけると、隊長の姿を見て、ぎょっ、として目を見開いた。
「う、……隊長さん、あんた、大丈夫なのか?」
隊長は滝のような汗が吹き出しており、手足は痙攣したように小刻みに震えていた。息を整えようと抑えているものの、肩を大きく上下するほど呼吸は荒かった。
「やっぱり、あの速度で動き回るってのは、体への負担もやばいんじゃないか……?」
「……心配はない。自分の限界はわかっている」
「一方的に叩きのめしているようには見えていたが……、それほどプリムスを駆使しないとならない程、油断ならない相手ってことか……」
その時、二人の背後からミリスが走って向かってきた。
「二人とも下がって! 幽霊犬は近くまできているっ!」
ミリスが叫ぶと、隊長は遮るように手を横に伸ばした。
「――ミリス士官! 前へ出るな!」
「しかし、エリオ隊長! 犬は素早く、距離があると、狙いがつけにくいんです!」
「だめだ、危険だ。プロテクトの切れた君たちは、私より前に出ることは許さない。撃つならば、私を盾に、引きつけてから撃てばいい」
「隊長……、わかりました」
隊長の叱りつけるような勢いに圧され、ミリスは隊長の後ろで立ち止まった。
すると、隊長は自身の急所をかばうように腕を交差し、腰を据えて構えた。ミリスも水弾を構えなおす。
(――向かってくる幽霊犬は二体。近づいてくる前に撃ち抜かねば! 隊長は本当に盾になるつもりだ)
ミリスはまっすぐ向かってくる幽霊犬に狙いを定め、
――ビシュッ。
水弾は一匹の体を貫き、跳ねのけた。続けて、二体目に指の照準を合わせる。
――ビシュン。
放たれた水弾が、幽霊犬に命中する――直前、煙のように形を変えて水弾はすり抜けていった。
「――そんなバカなっ!」
ミリスは声を荒げる。幽霊はすぐに形を戻し、勢い止まらぬまま隊長に向かって牙を向けた。
「――ぐっ!」
肩口を噛まれる隊長の口から痛苦の声が漏れた。
隊長からすれば突然の衝撃。――にもかかわらず、押し倒されることなく踏みとどまっていた。
「隊長っ!」
「――問題ない! 構わず撃てっ!」
ミリスは即座に水弾を構え、隊長に食らいつく幽霊犬に狙いをつけると、
――ビッ!
と、射出音とともに、幽霊犬は弾き飛んだ。
「すみません……エリオ隊長。私のせいで余計なダメージを」
「もとより受ける覚悟でのことだ。大した損傷でもない」
「――お、おい! 見ろよ、隊長さん!」
クラエルは前方に指さして叫んだ。
ファランクスはまっすぐ立ち、その巨体を四つ足で支え、凛々しくもたたずんでいた。
「たしか、前足が折れ曲がっていたはずだが、治ってねーか? それに、目、もだ。血を流してふさがっていた目もしっかり開けてやがる。今、幽霊犬と争っていたほんの少しの間で、だぜ!」
クラエルがそう言い終わると、隊長は神妙な面持ちで口を開く。
「……さきほどまでの戦闘でわかってはいたが、あのファランクスは……、異常なまでの自然治癒力、をもっている」
それを聞いてクラエルはハッ、として振り向く。
「そうか、だから、隊長さん、絶え間なく能力を使って攻撃の手を緩めなかったのか……。回復させる間を作らせずに。――チッ! て、ことは、幽霊犬を差し向けられて、まんまと時間稼ぎされたわけ、か」
「だが、ヤツとて無尽蔵に回復できるわけではない。ファランクスの体力は確実に消耗しているはずだ……。叩き続ければ、やがては討てる」
隊長は息を整えながら、冷静に語る。
「そうはいっても隊長さん、あんたの体力の方がもたないんじゃ……」
クラエルの言葉に、隊長は眉をひそめ、口をつぐんだ。
隣でその難しそうな横顔を見て、ミリスは察した。
(隊長は、あのFARNとは戦闘経験があると言っていた……だが、やはりあの個体は異常なのか。その体力量の見通しが立たないのかもしれない)
その時、隊長はふぅ、と長めの一息を入れた。
「ファランクスを……。ここでヤツを逃せば、この先にいるであろう人質たちが危険にさらされるのだろう?」
「あ、ああ……」
クラエルはうなづく。
「ならば、倒せなくとも、最低限ヤツがしばらく動けなくなるまで削るしかあるまい」
「……なあ、俺に手伝えることはないのか? なにか、ファランクスの弱点とか、裏からこっそり突いたり、とかよお」
隊長はあごに手をやり、すこし考えるそぶりを見せた。
「弱点、か……。私が知る限りではあの種のFRANは火に弱い。身体が焼けただれると、たちまち衰弱する」
「火か? なら、俺が〈振動〉摩擦で火を起こせる! それでどうだ?」
クラエルは意気込んで答えた。
「弱点といえども、あの巨体だ。小さな火では厳しいだろう。回復が間に合わないほどの大きな火、ファランクスの全身を包むほどだ。修道士、君の能力はそれが可能か?」
「それは……。だめだ、俺の〈振動〉爆破の大きさはせいぜい、バスケットボール三個分ほど……。それに、そこまでデカい爆破を起こせたとしても、俺も一緒にぶっ飛んじまう……」
クラエルはそう言ってから少し沈黙し、やがて静かに口を開く。
「……火事でも起こすか?」
「それなら、木が多い森の中にでも誘導したほうが」
と、横からミリスが言うと、
「そうだな、山火事ならあいつの巨体も、ひとたまりもないだろうな」
クラエルは納得したようにうなづく。
「本気で言っているのか?」
そう言った隊長の顔は、冷淡なものだった。それを見て、ミリスは怒られそうだったので、それ以上何も言わなかった。
(……ちょっと本気だったんだけどな)
と、ミリスが思う一方で、クラエルは自身の頭を小突きながらつぶやく。
「……確かに、山に火を放てば、シスターたちも巻き込みかねない、か……」
すると、隊長はふぅ、と一息漏らし、前に出た。
「こうしている間にもファランクスは回復している。動き出す前に私は行くぞ」
隊長がそう言うと、クラエルは一歩前に出て、制する。
「いや、まってくれ。……一つ、思い当たることがある。ここなら、できるかもしれない」
「できる、とは?」
「ああ……。いや、絶対にいける。前に試したことがあるんだ。ここなら、確実だ。間違いない。――隊長さん、ちょっと下がっててくれよ? 今、とびきりの爆発を見せてやる」
そう言うと、クラエルは剣を抜き、逆手に持ち直した。――そして、それを振りあげて、力を込めるように静かに息を吐く。
「クラエル、この距離から何をする気?」
ミリスは不思議そうに言った。ミリスたちはファランクスから十数メートル離れた場所で身を固めていた。クラエルはそこから一歩も移動せずに、構えに入っているのだ。
「ぶっ叩くんだよっ!」
クラエルは叫んだ次の瞬間、柄を振りかぶる。全力で、打ちつけようしているその先は、自身の足元――真下。
「――地面をなっ!」
――ダンッ!
と、地面を叩きつける激しい音が響き、その周辺に砂煙が立った。
――しかし、それだけだった。何も起こらない。
叩きつけた格好のままクラエルはそっと口を開いた。
「……俺たちが通って来た、あの地下坑道。あれが現役だった頃、ガスだまりによる爆発事故が多くて採掘作業が難航していたそうだ。それが原因かどうかはしらねえが、今となってはすっかり廃坑になっちまってる。――つまりだな、ここらへんもよお、爆発するほどの可燃性ガスのたまり場がそこかしらにあっても、不思議じゃあねえよなあ!」
次の瞬間、地面にわずかな振動と小さな地鳴りが聞こえてきた。そして、それは次第に大きくなり……。
「俺の〈振動〉が、地中で摩擦が起こし、火花を散らせた……。――くる……っ! どうやらビンゴだったようだ。ヤツの周辺の地面、大きな波がのぼってくるぜ!」
地鳴りが高鳴る。そして、ファランクスの足元の地面がわずかに盛り上がった。――その時、クラエルは手を天高く振り上げた。
「ぶっ飛びな……! 俺式火山、名付けて、ヴォルケイノ……、ストライクッ! だぜ!」
クラエルがそう言ったと同時に、
――ゴオォォォオオオンッ!
盛大な爆発音とともに、地面が吹き飛び、火炎が巻き起こった。
大火を纏ったファランクスは唸り声を上げる。ファランクスの全身を包むほどの巨大な爆炎と、雲に届かんばかりの噴煙が立ち上り、ドス黒い炭鉱が周囲に降り注いだ、
そして、次の瞬間には、その一帯だけが切り抜かれたように、地獄のような焦土と化した光景が目に映った。
ファランクスは黒く焼けただれ、小さくうごめいているようだった。
一方で、ミリスたちも爆風に飛ばされ、地面に倒れていた。
「……なんて爆発……。私たちまで吹き飛ばされるところだった……」
ミリスは首を振って、かぶった砂を振り払いながら言った。
「う、すまねえ。思ったよりガス溜まりが大きかったようだ……。だが、これぐらい派手じゃねえと、アイツは倒せねえだろうさ」
「爆発力は認める……が、すこしだけ、加減を知る必要はあるかもしれんな」
と、言い、隊長は砂を払いながら、地面に横たわるファランクスに向かって歩き出した。




