第二十話 気配
クラエルは廃坑を抜けて山道を走っていた。
砂利まじりの坂を駆け上ると、草原のようにひらけた場所に出た。――青空の元、緑の大地が視界全体に広がる。
人の踏み入った痕はほとんどなく、コルト山の長く、高い広大な山々を背景に、わずかに残された草のはげた土の道が細々と続いているだけだった。
そこでクラエルはぴたりと立ち止まった。
「飛び出してきたのはいいが……どうやってシスターたちを探せばいいんだ?」
と、独りつぶやく。
「ん?」
足元を見ると、草地に赤い液体が点々と落ちているのに気が付いた。
(これは……血、か? ――まさか、ファランクスの口から漏れたものか! リベロの……)
クラエルはそれを察すると、眉をひそめて表情に影を落とした。
(正直言って、あのファランクスとはもう遭遇したくはない。リベロのやつめ……とんでもないバケモノを残していきやがって……。しかし、ファランクスがシスターたちの元へ向かっていったのなら、かなりまずいことになるぞ。この血をたどり、ヤツがどこへ向かっていったかだけでも知るべきか……?)
そうしてクラエルが二の足を踏んでいると、その時、
「――おい! いい加減にするんだっ!」
突如、背後から力のこもった手で肩を掴まれた。――先ほどの士官の隊長だ。
「――うっ! あんたか、しつこいな! 放してくれ。なんのために俺がここまで来たと思ってるんだ!」
「それは私の台詞だ。私は、君が無理に廃坑へ侵入していったと聞いて、保護するためにきた。おとなしく指示に従ってくれ」
「ちっ、誰がそんなことチクりやがったんだ……」
クラエルは顔を逸らし、しかめっ面を見せた。そして、すぐに向きなおして続ける。
「あんたが危険視してんのは、逃走した犯人のことだろ? あいつなら、とっくに死んだぜ。この事件はさ、もう終わってんだよ」
「な、なに!」
その言葉に隊長は目を見開いて驚愕していた。
「俺らが倒れていた場所で血が飛び散っていただろ? あれは俺らの血だけじゃなくて、リベロ――つまり、犯人がFRANに食い殺された跡だ。あいつの残った肉片は砂利にでも紛れて見えなかったか?」
クラエルが淡々と説明すると、隊長は言葉を失っているようにぽかん、と口を開けていた。
その時、背後からもう一人、誰かが走って近づいてくる足音が聞こえてきた。
隊長もそれに気付いたのか、振り向き、また驚く。
「なっ! ミリス士官! なぜ来た!」
山道をたどって、ミリスが息を切らして向かってきていた。そんな彼女に向かって、隊長は矢継ぎ早に続けて声を上げる。
「――それと、逃走した犯人が死んだというのはどういうことなんだ? ミリス士官! 君は犯人と争ったのか!」
「エリオ隊長、すみませんっ!」
ミリスは隊長の眼前に立ち止まるやいなや、頭を下げて声高に言った。そして、勢いよく頭を上げると続けて言う。
「今! 連れ去られた教会の人たちに危険が迫っているんですっ! 助けに行かせてくださいっ!」
質問の答えとはかけ離れたその返答に、隊長は眉をひそめて閉口した。そして、あきれるように小さくため息をつく。
「あのな……。君まで何を言い出すのか……」
と、隊長は額に手を当てて言う。
「――レインがそう言ったのか? シスターは今、どこにいるのかわかったのか!」
と、今度は隊長の後ろからクラエルが声を上げた。ミリスはうなづいて返す。
「危険を知らせてくれたのは、たしかにレイン……だけど、場所までは聞いてない」
「どういうことだ? レインはどこだ? レインに聞けばいいだろ?」
クラエルが問いかけると、ミリスは首を横に振った。
「レインは見つかってない。……でも、なぜだか今、私は、シスターたちの居場所がわかるような気がするんだ。ぼんやりとだけど、遠くで人の気配のようなものが、ゆらめくものを感じ取っている。本当になぜだかわからない。……けど、とにかく今は助けにいかないと……」
ミリスの曖昧な話に、クラエルはすこし戸惑ったが、すぐに切り替えて口を開く。
「……なんだかわからんが、詳しく聞いている暇はなさそうだな。まあ、なんだっていい。それがシスターたちの行方の足がかりだというのならお前についていくよ」
クラエルが強引に納得する一方で、何一つ理解できない隊長にとってはそうはいかないだろう。顔をしかめてミリスを睨みつけていた。
「待て、ミリス士官。 まず、私の質問に答えるんだ」
「エリオ隊長、本当に申し訳ありません。……犯人については、抗争中に亡くなったのは事実です。他にも報告しなければならないことが色々ありますが……、今は人命救出を優先させてください」
「ミリス士官……君は……。まさか、こんなことになっているとはな」
隊長は目を閉じ、頭を抱えるように顔を手で覆った。しかし、ミリスは、あきれる隊長をよそに、まっすぐした目をしていた。
「ミリス士官、君がそこまで言うからには、何か信頼できる手掛かりがあるんだな。はぁ……仕方がない。この先、様子を見るだけなら、許可はしよう。ただし、私から目から離れないと約束してくれ」
「ありがとうございます。エリオ隊長」
ミリスは深く礼をした。
「……しかし、テオ士官の言う通りだな」
と、隊長はつぶやく。
「え? テオさん?」
ミリスはその人名に、はっ、として顔を上げた。
「夜が明ける頃、テオ士官から報告を受けたんだ。君が民間人の修道士を止めるため廃坑へ追って行ったと。……ただし、君は人命に関わるとわかれば、修道士を止めるよりも、人命救助を優先するかもしれない、と。だから、多少の無茶をするかもしれませんが、どうか許容してください、とまで言っていたよ」
「テオさんが……」
ミリスは目を閉じ、
「本当に、感謝します……テオさん」
と、そっとつぶやいた。
***
一同はミリスを先頭に山道を走り進んでいた。
丘を何度かくだると、樹木が生い茂る地帯へ入り込んだ。
視界が悪くなり、木々をかきわけながら進むことになっていた。それでもミリスは迷いを見せることなくひたすら突き進んでいた。
「おい、ミリス。地面の点在する赤いものは見えているか? おそらくだが、あれはファランクスが通った跡だ。そして、お前は今、その跡をぴったりたどるように進んでいる。……俺が何を言いたいか、わかるか?」
と、歩きながらクラエルは言う。
「赤いもの……血? 気が付かなかった。私はひたすら人の気配のようなものを追っているだけだから……」
「あんまり考えたくねえんだが、その、シスターたちに迫る危険ってのはよ……」
「いや、でも……、人の気配、しか感じないんだ。ファランクスのあの強大な圧は、今のところ感じない」
「そのさあ、お前の言う、人の気配ってどういうものなんだ?」
クラエルが問うと、ミリスは難しい表情を作った。
「……正直、口で表現するのが難しくて……。なにか、色のようなものであり、燃えるようなものであり……、悲しみや恐怖……そんな冷たい感情のようなものを、頭のどこかで感じ取っているような……」
「おいおい、まるでレインみたいなことを言うんだな」
と、クラエルが不思議そうに言うと、ミリスは、はっ、とした顔になったが、何も答えることはなかった。
「……君たちが見たファランクスとは、四つ足の大型FRANのことか?」
と、後方から隊長が尋ねた。
「ああ。そうだよ。隊長さん、あんた知ってんのか?」
「一度だけ戦闘経験がある。ここらへんではかなり珍しい部類だな。非常に危険なFRANだ」
「なら、ちょっと教えてほしいんだが、そのファランクスが幽霊みたいなヤツをけしかけてきた時、どう対処したんだ? 俺たちはそれに、為すすべなくやられて……」
その問いに隊長は眉をひそめた。
「なんだそれは? 幽霊などと……。悪いが、思い当たるものがないな」
「なに?」
クラエルはきょとんとした顔で返した。
「――まって」
突然、先行するミリスが立ち止まって小声で言った。片手を横に広げ、追従する二人を制する。
「う……、クラエル、隊長、すみません」
ミリスは歯を噛みしめ、惜しむような表情をして言う。
「気付けなかった……。 ここまで来て、ここまで近づいて、はじめて気付くことになるなんて……。クラエルが察した通りだった。まさか、本当に……」
「お、おい、まさか……」
と、クラエルは口をゆがませた。
クラエルと隊長は前方に視線を向けた――その瞬間——各々が警戒心を強め、空気が張り詰めた。
視線の先――木々の間から、その巨体が姿を覗かせていた。
――ファランクス。
獅子の姿が畏怖を象徴するように、プレッシャーを纏っている。本能的に伝わる恐怖だった。
まるでその空間だけが切り抜かれたような非現実感――別次元の異形と思わせるほど、恐ろしく、重々しくたたずんでいた。
「……レインが力を貸してくれたと思っていた……気配を察する力を。――けど、私じゃ、全然だめだったんだ! FRANの気配をまったく感じ取れなかった! ここまで近づいていたなんて! ……これは、敵意だ! ファランクスの感情が今、やっと伝わった! すでにこっちの存在に気づかれているっ!」
ミリスがそう言って後ろに下がろうとした――その時、
――グオオオォォ――ンッ!
木々がおびえ、大地が震わすかのようなファランクスの咆哮が響いた。




