第十九話 記憶
……なんだ? 今の光景は……。
立ちのぼる火の中で、小さな女の子がひとり、泣いていた。
少女に対峙するように、倒れゆく何かがいたが、それは人間ではなかった。
……殺風景で、病院か研究所のような一室の中。
棚や机は吹き飛ばされたように倒れ、燃える書類や割れたガラス類が地面に散らばっていた。
それに、肌を焦がすような熱さに、壁や天井が焼ける匂い……。
何もかも、実際にその場で見て、感じたかのように、あまりにも鮮明だった。
でも、これは私の記憶じゃない。こんな経験があるわけがない。
――そこで私はゆっくりと目をひらいた。すると、目の前にはぼんやりとした視界が広がった。――何もない、真っ白な、いや、自分も含め、灰色の空間だった。
ここはどこだろう。
地面を感じず、宙に浮いているような感覚だったが、不思議と違和感がない。
ぼんやりと前を見つめていると、灰色の中、小さな一筋の白い光が見えた。
それはやがて大きくなり、人の体の形になる。
「……おきろ、ミリス……」
と、白い光はそう言った。
起きてるよ……。今、目が覚めたんだ。
私は頭の中でつぶやいた。
光は小さく左右に首を振った。
ちがう……?
「……きろ」
何を言っているんだ?
「……生きろ、ミリス」
――私はその言葉にハッ、とした。
その真っ白な光は、自分の知る何かだと気付いた。
なんだっけ。忘れちゃいけない……。でも、怖くて……、思い出したく……。
「……恐れるな」
消してしまいたい記憶なんだ……! また、弱虫な私に戻ってしまうから!
「……守ってやらなきゃ、いけない子が、いるんだろ?」
でも――忘れちゃいけないんだ! 決して!
「……がいなくても、戦っていけるって、言っただろ?」
――光が遠のくのを感じる。もう二度と会えないような気持ちに心がざわめく。
「お前は……生きろ、ミリス!」
まって……! あなたは……!
〝――お兄ちゃん!〟
――――ハッ――――!
と、息を吹き返すかのように目を覚ますと、私は、洞窟の中で仰向けに倒れていた。
すると、すぐそばで男性がこちらの顔色をうかがっていた。
「ミリス士官! 目を覚ましたか!」
「……た、隊長……?」
私は辛うじて声になるような掠れきった声で言った。
男は私の部隊を担当しているエリオ隊長だった。
「ひどい出血の痕があるが、それらしき傷が見当たらない……。ミリス士官、どこか傷むところはないか?」
「き、きず……?」
寝ぼけた頭が徐々に記憶を取り戻す。
「傷なら……噛まれたここが……」
そうつぶやき、肩から喉に向かって手でなぞる。――が、アザのような痕があるだけで、痛みも違和感も何もなかった。
「……うそ、だ」
そうだ。確かに私は黒犬に噛まれ、全身を染め上げるほどの出血し、あげくには喉笛を牙で貫かれた……。
いや、とどめを刺されるのは私の想像だ。その前に気を失ったか。――だが、あの状況から助かる道理がない。しかも、傷はふさがっているなんて……。
「あ、ク、クラエルは!」
クラエルも黒犬に囲まれて、そのあとどうなったんだ!
私は体を起こすと、隊長は背中を支えてくれた。
「……ここにいる」
クラエルはすぐ近くで膝をついて頭を抱えていた。
「ミリス、お前も無事でよかったよ。だが、記憶があいまいでな……。確実に殺されたと思ったんだが、何がどうなったかまるでわからねえ」
クラエルも私と似たような状況だろうか。クラエルも出血痕は見られるものの、目立つ傷はない。
――そこで、私はサッ、と体が青ざめるのを感じた。
「はっ! レイン! ――レインはどこ!」
私はふらつきつつも立ち上がり、周囲を見回す。
閑散とした洞窟内には何もない。柱の電灯が虚しくちかちかと光っているだけだった。
私たちが戦った黒犬も、あの巨大なファランクスもいない。
そして――レインも……。
私は最後の凝縮弾で地下に向かってレインを引っ張った記憶を取り戻した。
「――レイン! レイン! もう平気だから! 戻ってきて!」
私は地下への階段に向かって駆け出し声を上げた。
そして、階段を見下ろして、声を失った。階段は途中でくずれ落ち、地下の暗闇に溶け込んでいた。
「レイーンッ! どこにいるの!」
私が地下に向かって身を乗り出すと、
「ミリス士官! 危険だ! ここはついさっき崩れた形跡がある。この周りも崖崩れが起きるかもしれん!」
と、言い、隊長が肩をつかんで戻そうとする。
レインはどうなった? 逃げられたのか? 泣いていなかったか? 弱っていなかったか? ――あのまま黒犬に追われることなく逃げおおせたのか?
私が気を失えば、レインを逃がすために作った凝縮のブラックホールも消えることになる。
この傷は――とても信じられないが——レインが治癒したんじゃないのか……?
――レインは私たちを助けるために戻って来たんじゃないのか?
そして、戦ったんじゃないのか? ひとりで……! あるいは、気をひいて……。
「はあ……! はあ……!」
冷や汗が額を伝った。息が詰まりそうになる。
「ミリス士官、大丈夫なのか……? もう一人、誰かいたのか?」
「へ、返事を……! 返事をして……、レイン!」
私は声も枯れがれに呼びかける。頬にあふれる涙を拭い、目をこすって何度も何度も周囲を見渡す。
「ミリス士官、落ち着くんだ。私が来た時には君たち二人だけだった。じきに我々の部隊がここに来る。他に同行者がいたのなら捜索させよう。だから、君はここでおとなしく待機しているんだ。傷の心配もある」
ミリスは首を振るって答える。
「だ、だめ……だめなんです……レ、レインは……」
人の目には映らない……。そう言いかけて口を閉じた。
「……隊長さん、すまんが、やっぱ俺は行くぜ。さっきも言ったが、人を無残に食らうFRANが人質たちのところへ向かったかもしれねえんだ。ここで手をこまねいているわけにはいかねえだろ」
クラエルはそう言って、駆けだして離れていくのがわかった。
「ま、まて! これ以上勝手を許すわけが……っ!」
隊長はクラエルに向かって声を上げる。そして、くっ、と喉を鳴らし、
「ミリス士官、いいか? 部隊が到着するまで、この場で待機しているんだ。これは隊長命令だ! いいな!」
そう言って、隊長はクラエルを追っていった。
……そして、一人残された私は、呆然と立ちつくしていた。
(そうだ……教会の人たち心配だ……。犯人のリベロが死んだ以上、どこかに置き去りにされているはずだ。――だけど、レイン……)
ミリスは顔を上げていられなかった。心臓が全身に打ちつけるように脈動する。
(レインは幽体だが、FRANにやられてしまうとどうなる? ……幽体は魂そのものだ。魂が消えるってことは、つまり――死、なんじゃないのか……?)
「レイン……」
(テオさんに言ったばかりだったのに。――レインを守るのは私、だと。……私はとりかえしのつかないことをやってしまったんだ。やっぱり私には無理だったの? お兄ちゃんの時と同じ……私には何も守れないのか……? ああ……私が代わりに……死んでしまいたい……)
――ミリス。
「えっ?」
はっ、として顔を上げて周りを見渡すが、何もない。
「声だ……。レインの声……! どこ! どこにいるの! レイン!」
――わたしは大丈夫、だよ。すぐ、そばにいるから……。
「見えないよ! レイン! 姿を見せて! 無事なの?」
――わたしのことより、シスターさんたちが危ないの! おねがい、ミリス……!
「シスター? 人質たちが? 危ないって……。でも、私はあなたのほうが……!」
そう言ってから、私は自分の言葉を否定するように首を横に振った。
「…………わかった……。わかったよ……レイン。あなたが願うなら、シスターたちを助ける。――だから、レイン。そばにいるというのなら、決して離れないで。私も、もうあなたを離すようなことはしないから」
――……ありがとう。ミリス。
私は一呼吸を置くと、クラエルと隊長が駆けて行った後を追った。




