第八話 底
「――レインっ!」
ミリスは廃坑の中を駆けていき、レインとクラエルに追いついた。
「ミリス!」
と、レインが振り返って答えると同時に、ミリスは抱きついた。
そして、張り詰めた緊張を解くように「レイン……」と、そっと優しくつぶやいた。
「ミリス、だいじょうぶだったの?」
と、レインは抱きつかれながら心配そうに尋ねた。
「うん……。なんとかなった、と思う……」
と言ったものの、正確にはテオさんの行動に、まだ頭の整理が追いつかないままだった。
(……私の予想でしかないが、テオさんはレインのことを知っているようだった。そして、レインに近づこうともしている。それはレインの助けになるためなのか? ……それとも……)
テオならばあのままミリスを打ちのめし、レインを回収することなど造作もないことだろう。しかし、結果的にはミリスを見逃した形となった。
(テオさんになにか悪意のようなものがあるとは信じたくない……。でも、私には……なにがなんだか、わからないよ……〉
「……ミリス? どうしたの?」
気が付くとレインが困った表情でこちらを見つめていた。
ミリスは抱きついたまま静止していた上に、この入り乱れた感情を読み取ったレインが不審がるのも無理はない。
「ううん」
ミリスはごまかすように返事して、ようやくレインを放した。
「大丈夫だよ、レイン。ちょっとテオさんと話をつけるのが大変で、気持ち的に疲れちゃっただけ」
と、苦笑いをしながら言った。
「そうなんだ。でも、ミリスが怒られることなく、無事でよかった」
レインは微笑みを返しながら言った。
「なあ……、おまえら、ほんの数分離れてただけだよな……。ちょっと大袈裟すぎないか? 恋人かよ」
二人の様子を横から眺めていたクラエルが変な物を見るような目をして言った。
「うるさい。こっちは大変だったんだ」
と、ミリスが鋭い声で返すと、クラエルはため息ひとつつき、
「というか、話をつけたって言ったが、本当に大丈夫なんだろうな。追手とかこないよなあ?」
「その点は心配ない、と思う。私達のことは黙ってくれるって言ってくれた。そういうところは信頼できる人だから……」
「ふうん。ま、邪魔が入ることがないなら、俺はなんだっていい」
と、言うと、クラエルは廃坑の奥へ向いて、
「とにかく、早く先へ進もうぜ」
と、言ってミリスたちの返事を待たずにさっさと早足で歩き出した。
「クラエル、調査隊の人らが作業してるかもしれない。見つからないように慎重に進んで」
と、ミリスはクラエルのあとを追いながら言う。
「ああ。わかった。だが、一人二人ぐらいなら見つかっても、なんとかなる」
クラエルは振り向かずに言い、早足のまま進む。
「は? 何する気……?」
ミリスは怪訝な顔で言ったが、クラエルは何も返さなかった。
しばらく廃坑を進むと、
――ガラッ。
「――おっ、と」
クラエルは声が漏れ、さっと身を引いた。
足元は崖だった。
崖際がすこし崩れ、パラパラ、と砂が暗闇に落ちていく音が続く。
底は暗闇に溶け込み、まるで見当のつかない深さだった。
「あっぶねー。柵も朽ちて途切れてやがる」と、クラエルは顔をしかめてつぶやく。
廃坑は調査隊のおかげか、所々の柱にライトが設置されていたが、足元まで見通せるほどの明るさではなかった。
「確かに、これは危険だなあ……。士官隊が足止めになるのも納得かも」
と、後ろから来たミリスは、一人うなづく。
「ねえ。なんで、こんなにおっきな穴があるの?」
と、レインは崖を覗きながら聞いた。
「俺もそんなに詳しくはないが、この廃坑は地下から資源が見つかったらしくて、ひたすら下に、下に、掘っていったらしい。廃坑になるほど資源を掘り尽くしたんだから、あきれるほど深けえ穴だろうなあ」
と、クラエルはあきれたように言った。
「下はFRANの巣窟になってるって噂もあるね。これだけ深ければ簡単に埋められないし、誰も手つけられなくて今に至るってところ、か」
と、ミリスも言う。
「なんか、怖いね」と言って、レインはミリスの肩につかまった。
レインは浮いているから足を滑らせて落ちることはないだろう。その点は安心感があるのだが、反射的なのか、レインは崖を恐れ避けようとしていた。
「――しっ!」
と、突如クラエルは姿勢を低くして指を口に当てた。
それに合わせてミリスも即座に姿勢を下げる。
「……なに?」
ミリスは周囲への警戒心を高めながら聞く。
「人だ。向こうの曲がり角から人影が見えた」
クラエルは、ぎりぎり聞こえるようなささやきで答えた。
「向かってくる?」と、ミリスは続けて聞く。
「……いや、奥へ引っ込んだようだ。だが、先に進むのはちょっと、きびしいか」
廃坑は天井が高く広々としていたが、ほとんど一本の通路で、隠れたり、回りこんだりはできなさそうだった。
ただ、他の道がないわけではない。
「行くしかないか…それ」
クラエルは微妙な表情で崖に向かって指をさす。
さきほどの深い崖にはひとつ、吊り橋がかかっていた。採掘していた当時に設置されたものらしく、相応に古びている。
クラエルは橋の様子を観察する。どこか傷んでいるところがないか見える範囲で確認しようとしていた。
吊り橋は木の板が並んだ足場でワイヤーロープで繋げられている。それをささえるアンカーは見た感じ金属製の杭だった。
橋を睨むクラエルをよそに、ミリスはおもむろに吊り橋に近づき、橋の上に片足を乗せ、雑に揺らした。
ぎしぎし、と木や金属の摩擦音が静かに響く。
「大丈夫じゃない?」
ミリスはしばらく橋を揺らしたあと、振り向いて言った。そして、自然な動きで両足を踏み入れた。
「あ、ああ……。そう、だな……」
クラエルはなんともいえない表情で答えた。ここまで自分が意気込んで進んできただけにミリスの大胆な行動に意表を突かれたようだった。
「よし……、進むか……」
クラエルは気を取り直すように言って、橋の上に足を踏み入れた。
「ミリス」
「うん?」
レインは橋からすこし離れた所で止まっていた。
「……こわい」
(……浮いているのになぜ?)
と、口にでかけたが、ミリスは引き返して、レインの腕を掴む。
「私の肩につかまって。目をつむってたらいいよ」
「……うん」
と、返すと、レインはふわりと、おぶさった。
「まあ、吊り橋って雰囲気が怖いよねー」
と、ミリスは独り言のように言って、橋の上を進む。ひょうひょうとクラエルを追い越した。
「いや、そんな軽い話じゃないだろ……」
クラエルは低い声でつぶやいた。
――ぎしっ、ぎしっ。
橋の上ではミリスが先行し、その後ろをクラエルが少し遅れてついて渡る。
一歩踏むたびに吊り橋はきしみ、揺れる。だが、橋の中腹まで歩いても、どこも崩れることはなかった。手すりのロープは太く頑丈なもので、足場の木の板も腐った箇所はなく、しっかりと踏みしめて進めた。
「もしかしたらこの橋、今も時々、手入れされてるのかもしれないね。山に入る人だっているわけだし」
と、ミリスは言う。
クラエルは何も答えなかった。
背中のレインは相変わらず目をつむっている。
(もしかして、クラエルもびびってるのか?)
と、思ったがミリスは振り向くことなく、一歩一歩踏みしめながら歩いていくと、
――バチッ!
「あ、っと!」
ミリスの片足が落ち、体勢が大きく崩れた。
「ひゃう!」と、レインの声が漏れる。
片足を乗せた途端に木の板が抜け落ち、奈落へ消えていったのだ。
ミリスはすぐに飛び退いて、体勢を整えて一息つく。
「ごめん、レイン。大丈夫だよ。崩れたのはこの一枚だけ」
レインは目を閉じたまま肩を掴む力がきつくなっていた。
「クラエル、気を付けて。ここ、抜けちゃったから……」
ミリスは振り返って注意喚起した――が、
「……あれ? クラエル?」
後ろからついてきていたクラエルの姿はなかった。
視線を下ろすと、ミリスが歩いてきた橋は点々と黒に染まっていた。
いや、ちがう……!
「――落ちているっ!」
(抜け落ちたのは私のところだけじゃないっ! いままで踏みしめてきた板のほとんどが抜け落ちているっ! ――なら、クラエルはっ!)
「――クラエル! どこだっ! ま、まさか!」
そう叫んだ瞬間、
――メキメキメキメキメキメキメキメキーーッ
異常なほど大きな音が連なって響き渡す。木の音か金属の音かロープの音か――いや、すべてだ!
「うっ――」
ガクッ、とミリスの体が下がる。足先から暗闇に吸い込まれるように下へ。――ミリスを支えていた板が一瞬にして抜け落ちた。
「そんなっ! う、ああああ―――っ!」
手を伸ばし目につくものを掴むが、すべてが等しく落ちている。すでに橋全部が崩れ落ちているようだった。
――なすすべなく暗闇に飲まれ、それ以上何も見えなくなった。
ミリスは脳裏でふと、デジャブのような感覚を覚えた。
(……なんか、私、落ちてばっかりじゃないか……)
落ちながらミリスは不思議にこれまでの記憶をめぐりめぐった――まるで走馬灯のように。




