第六話 明るい夢
朝日がさす――。
本や衣類が散乱した部屋で、ミリスは眠りこけていた。
師団の地下は士官たちの寮であり、師団所属の士官たちが多く居住していた。
その中の一室。こじんまりとしたミリスの自室。
ミリスは昨夜、少女を元気づけるためにも話を続けていた。
その後、夜が更ける前に病室をあとにし、自室に戻ってすぐに眠った。
「……ん」
寝苦しさから、布団を蹴って寝返りを打つと、ふと気配を感じ――。
「……んん?」
まぶたを通して光を感じ、薄目をあけると、目の前でぼんやりと光る球体が、ただよっていた。
ぎょっとして寝ぼけまなこを見開く。
「――んわあ!」
ミリスは、バタンっ!と、ベッドごとひっくり返りそうになるほどのけぞった。
すると、目の前の光は、少女の形を成し、申し訳なさそうな顔でこちらの様子をうかがってきた。
「あ……大丈夫……?」
困った顔を向ける少女の霊……の姿を眺めながら、ミリスはしばらく呆けていた。
しばらくして、ゆっくりと、ぼさぼさに跳ね返った髪を揺らしながら起き上がり、ベッドの上であぐらをかく。
「……あのさ、その、急に、目の前に、出てこられると、びっくりする、かな……?」
「ごめんなさい……、どうしてもお姉さんの顔が見たくなって……」
「ええと、……なにかあったの?」
「……体に戻ると、どうしても怖い夢を見てしまうの……。でも、部屋は暗くて静かで……」
「もしかして、夜からずっとここにいたの?」
「うん……。勝手に入ってごめんなさい……。お姉さんにしか頼れなくて、それで……」
少女はしょんぼりとした顔を見せると、
ミリスはきまりが悪そうなに後ろ髪をぽりぽり掻いて、反省するように返す。
「……私こそ、ごめんね。好きでその姿でいるわけじゃないものね……。そういえば名前、言ってなかったね。私はミリス。ミリス・ヴェスタ」
「わたしの名前は……まだ思い出せないから、ミリスさんの好きに呼んでくれていいよ」
「思い出すまでの仮の名前ってこと? そうか……何かあったほうがいいね」
(――この能力って、体から魂のようなものが出てきて実体化するプリムス、なのかな……?
……霊体になれる? 霊、……かぁ。そうだなぁ……)
ミリスはしばらく考えてから、思い切って答える。
「レイ、……いや、レイン。――で、どう?」
「れいん……?」
少女はすこしあっけにとられたような顔を見せたが、
「いいよ! よくわからないけど、ちょっとかわいいかも」と、明るく言った。
「――じゃあ、レイン。私はもう出かけるから、一緒に病室に戻りましょ?」
ミリスはそう言うと、腰を上げ、ベッドから降りる。
「……」
しかし、レインは……急に口を閉じ動きがとまっていた。
そして、なにやら思いつめたような表情をした。
ミリスはその様子を見て、首をかしげた。
――しばらく間が空いたあと、レインは恐る恐る口を開く。
「……あ……、ミリスさん。わたしも、ミリスさんが行くとこ、いっしょに行きたい……な」
ミリスは困った顔をした後、すこしだけ険しい顔に変えた。
「……私がどこへ出掛けるのか知っているの? ――任務を受けてFRANっていう凶暴な獣を倒しにいくんだよ? ただでさえ、あなたの体は危険な状態かもしれないのに……連れてなんか――」
言い終わる前にレインは声を上げる。
「わたしは、ミリスさんの力になりたい! わたし、この体で、あの洞窟で、コウモリのようなやつを追い払っていたの! この能力は、戦えるっ! 力になれるの!」
「えぇ……、そんなこと……。いや、プリムスなら、あり得るのか?」
と、すこし考えて、首を横に振る。
「――いや、そんな問題じゃない。さっきも言ったけど、あなたの体はどういう状態かわからないし……」
「体は大丈夫だよっ!――戦っても、本当の体は傷つかないし、それに――」
そこまで言うと、レインは表情がくもり、……やがてうつむいた。
「……?」
その様子に、ミリスは首をかしげた。
そして、レインはふるふると顔を左右に振ってから、ふたたび顔を上げた。
その表情はそれまでの様子とは想像できないほど険しいものだった。
――噛み切れそうなほど唇を噛み、顔をしかめ、涙をこらえている。
「……ううんっ! ――ちがうっ! そうじゃないっ!」
「……え?」
レインの鋭い声に、ミリスは目を丸くして、さらに、その思いつめた表情にドキリとする。
いままで見えていなかったものが見えたような感覚だった。
「ただのわがままっ! ……わがまま、なんて、だめだけどっ、だけどっ!」
と、自分に言い聞かせるかのように声を上げる。いつの間にか、レインの目は涙でいっぱいだった。
それでもかまわず唇を震わせながら、――想いをぶつけるように続ける。
「――死んでるみたいな自分を、ずっと見てるだけなんて、――がまんできないのっ!」
レインの堰をきったような大きな声を上げた。そして続ける。
「一人になりたくないっ、ミリスさんに恩返しもしたいっ!
うぅ……、自分がだれなのかも、知りたいっ! さがしにいきたい!
それに……。もう、もう――、一人で怖い夢ばかり、見てたくない――っ!」
途切れ途切れでも、懸命に一言ずつ言葉を紡ぎ続ける。
「だから……だから……っ! わたしを、――わたしをっ……」
「――たすけて――っ!」
レインはその叫びを最後に、言葉が出せなくなっていた。
――そして、
「うう、う、わあぁ――んっ」
ついには感情のタガが外れたように、泣きわめくほか何もできなくなってしまったかのように、その目から涙をあふれさせた。
小さな少女の叫びに、頭から全身に殴られたような衝撃が走った。内臓が押しつぶされるような感覚を覚えた。
(――理解しているつもりだった)
レインは必死に抑えていたのだ。
今にも口から漏れ出してしまいそうな救いを求める叫びを。
今、このときまで、ずっと。
苦しみが胸をつらぬく。
(――自分の愚かさに気付かされた)
レインの身に何が起こったか、知ることはできない。
わかることは、一人でいたこと。記憶がないこと。不思議な力をもつこと。
そして、体が屍のように倒れていること。
(――そんな奇妙な状況におかれた気持ちを、はたして理解なんてできるだろうか)
きっと、誰にも思いやることなんてできないだろう。レイン本人だって、どうすればいいのか、誰も何もわからないのだ。
もし、霊体と呼んでいる、その存在が突然露と消えてしまったら?
そのときそばに誰もいなかったら?
ある日、忽然と意識が消えてしまったなら?
(――それは……まさに、死の恐怖ではないのか?)
部屋の中で一人、ただ親の帰りを待っている子供のようだと、思っていた。
(――ひどく楽観的で、勝手に自分の常識に当てはめて納得していただけだ)
迎えにくる親など、いないかもしれない。記憶が元になんて戻らないのかもしれない。
それは、暗闇の中ほんのすこし気を緩めるだけで、たちまち底無しの渦に全身が飲み込まれて気が狂いそうになるほどの恐怖ではないのか。
(――この小さな体なんて簡単に引き裂いてしまうような、恐怖の心)
それなのに、……レインは今の今まで、困らせまいと押し殺していたのだ。
今にも破裂しそうな激情を、心の中に無理やり閉じこめて。
(唯一、声が聞こえる私と出会ったことが、どんなに救いだったろうか。そして、どんなに救いを求めたかったろう……、それに気付かず私は……)
――私はゆっくりと、レインを抱き寄せた。
「……大丈夫、大丈夫だから。レインの気持ち、伝わったよ……」
――そうだったんだ。……この子を一人にすることは、とても残酷なことだったんだ……。他人の目には見えず、自分が何者かも知れず……。
不安と恐怖の沼で、ただ一人、――もがくことしかできない悪夢を見続けているんだ……。
(本当の意味でレインを助ける、ということは……もう、一人にさせないということ――)
……レインが、私にしか見えないというのなら……
(私がレインの、――眠り続けるレインの! 〝明るい夢〟になるしかないっ!)
あとがき
ここまでお読みいただきありがとうございます、
レインは「幽霊になる」というより、「幽体離脱」のイメージです。
皆さんは「かなしばり」の経験ありますか?
レインは寝てる本体に戻っても、脳は覚醒してるけど、体は動かせず、目も覚ませない。
悪夢だけが襲う地獄です。
なので耐えきれず、すぐに幽体離脱して出てきてしまうのです。
レインは推定12歳。
身長130cmほど。平均よりすこし低め? そんな感じ。
この作品に少しでも気になっていただけれ
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