(Ⅱ)
コルト教は双子の女神を祀った信仰だ。
師団基地から出てすこし歩くと、女神を表す二つの輪が象られたシンボルがすぐに目に入った。
シンボルの下には立派な教会があり、教会の隣には孤児院らしき施設が建てられている。離れたこの場所からでも子どものはしゃぐ声がかすかに聞こえる。
教会の入り口まで歩く途中、教会から住民らしい人たち、何人かが出てきてすれ違っていった。
礼拝が終わったところだろうか。話を聞くなら、ちょうどいいタイミングかもしれないな、と思いながら僕は歩を進めた。
民衆の流れに逆らって、教会の中へ入っていくと、何人かの修道士が掃除をしたり、礼拝者と話している様子などが散見された。
初めての規模の大きな教会なため、どうすればいいかわからず、入り口付近で立ち止まっていると、
「どうかしましたか?」
と、一人のシスターが僕に気付いて声をかけてくれた。
「あ、あの、僕、辺境の村出身で、コルト教についてあまり詳しい人がいなくて……、
コルト教の教えや起源について、簡単でもいいので、教えていただきたいのですが」
「そういうことでしたら、喜んでお話しさせていただきますよ」
と、シスターは優しい微笑みを見せて言った。
「こちらに腰をおかけする席がありますので……」
と、シスターが話す途中で、突然どたどた、と走る足音が聞こえてきた。
振り返ると、何人かの小さな子どもが一斉にこちらに向かって走ってきていた。
「メイアさーん! またライオ君が抜け出そうしてまーす!」
「えーっ!」
メイアと呼ばれたシスターは、口もとをおさえ驚きの表情に変えた。
そして、すこしためらった後、僕のほうに向きなして言う。
「あの、すみません。ちょっとお待ちいただいてもよろしいですか?」
「え、ええ」
僕が答えると、シスターは、慌てて周りを見渡した後、何かに気付いて手を上げた。
「あ、クラエルくん! すこしの間、こちらの方のお相手をしてあげてほしいの。
教会の発祥について聞きたいらしくて」
すると、柱のそばの椅子にもたれてパンをかじっていた男が、あわてて立ち上がってびしりと背筋を張り、
「――あ、はい! おまかせください! メイアさん!」
と、声高に答えた。男はフードをかぶった修道士の格好だった。
シスターは「ありがとう」と一言返すと、さっと教会の外へ小走りで去っていった。
男は姿勢を正したままシスターが見えなくなるまで見送ると、フッ、と力が抜けたように姿勢を曲げ、ドサリと、椅子に腰かけ再びパンをかじりだした。
僕はどうしていいかわからず、その場で立ったままそれを眺めるしかなかった。
そして、数分は立っただろうか。パンを食べ終えた男は一息つき、修道服のフードをちらりとめくり上げてこちらを一瞥した。柱のライトがフードの下の萌葱色の髪と青い目を照らし出した。
そして、男はフードの上からぽりぽりと頭を掻いて、いかにも面倒くさそうに立ち上がり、こちらに向かってくる。
男は僕より背の高い青年で、すらりとした体格だった。
僕の前で立ち止まると、首を傾けおもむろに手に持っているマグカップを差し出し、
「新鮮なミルクだ。濃厚でありながら、芳醇なパンの香りをほどよく引き立てるさっぱりとしたのど越しで、オレは毎朝パンと一緒に飲んでいる。……いかがかな?」
と、予想外の男の言葉に、僕は数秒戸惑ったが、
「いえ、結構です」
首を振って断った。
「そうか。……このミルクはな、この街、コルト産のミルクの実から抽出した特産物のひとつなんだ。脂質、たんぱく質のバランスが良くビタミン、ミネラルも豊富ときている。旧時代では牛やヤギといった家畜から取っていたらしいが、これ当時のものに似た成分らしい。つまり、ミルク本来の味わいに限りなく近いってわけだ。これを新鮮なうちに飲めるなんて、それだけでもコルトタウンに来たかいがあるってもんだろうなあ」
「あの……、ミルクのことを聞きたいわけではなくて」
「まあそういわず、一口飲んでみるといい」
男はミルクの入ったマグカップをすこし持ち上げて言った。
「……すみません。僕は冷たいミルクを飲むと、おなかを下してしまう体質で」
「へえ。そんな奴もいるのか。難儀だねえ」
と、男はあきれたような表情で言った。
「あの、僕はコルト教についてお聞きしたのです。コルト教の総本山であるこの街の教会なら詳しく聞けるのではないか、と訪れたのです。……お忙しいようでしたら日を改めますが」
と、僕が言うと、男はあごに手をあて、
「ふむ。確かにオレは、まがりなりにも教会の仕える者だ。こういった時、コルト教の教えを布教するのも仕事、なんだろうなあ」
「はあ」
男は僕の前から離れると、参拝者用の長椅子にどさりと腰を下ろし、一息をつく。
「まあ、君も座りなよ」と、男はてのひらを見せて言った。
「え、はい。失礼します……」
僕は長椅子に座ると、男はふたたび、すっ、とマグカップを差し出してきた。
「いえ、ですから、冷たいミルクは」
と、言って手を振ったが、男はかまわず僕のほうにマグカップを強引に近づけてきたので、とっさに手で受け取ろうとすると、
「――あつっ!」
思わず声が出て、あわてて指を放した。
マグカップをよく見ると、ミルクから湯気が立ち、表面にぷくりと泡が立っていた。温めたミルク特有の薄膜も張っている。
「これは……あったまっている?」
最初に差し出されたミルクは確かに冷えていた。湯気ひとつ立たず、カップに水滴が浮くほど冷えたものに違いなかった。
しかし、中身を差し替えるそぶりも、温める機械を使った様子もなかった。マグカップも普通の陶器製に見える。
「おっと。すまない。温めすぎたかな? オレはあつあつのホットミルクも好きだが、君はどうかな? もう腹を下すほど、冷たくはないようだぞ」
「……なんで?」
僕は不思議に思いながらもマグカップを受け取ってそれを眺める。
僕はとっさに〈理論〉のプリムスを発動してしまい、頭の中で自動的にここまで視たことを思いめぐらされていく。
――男が長椅子に座るまでの間、マグカップに手を添えていた。背を向けていたためミルクそのものは見えなかったが、男はカップを抑えるようなしぐさだった。
そして、差し出されたミルクの表面を思い返すと、泡と湯気のほかに、わずかに揺れて波紋が立っていたのに気が付いた。
――これは男のプリムスによる能力には違いない。だが、カップに触れたのは男の手のみ。火や熱源を作り出したわけではない。ミルクのみを直接、熱したのだ。
その能力は、〝熱〟を操るものではなく、〝動き〟に分類するもの……か? 摩擦熱のような……。
表面の波紋、揺れ……、波……、なんらかの波長を伝えて、ミルクを熱した、か?
そこまで考え僕はふっ、と顔がゆるむ。
――ああ、しかし、このミルクにたっぷり砂糖を入れて、飲みたいなあ。
〈理論〉の力を使うと、体の疲れよりも脳が疲労する感覚のほうが大きい。能力を使うたびに脳が糖分を欲し、甘い物が欲しくてたまらなくなる。
だから僕は大量の飴と角砂糖をかかさずもっている。今もバッグのポケットに詰め込んであるのだ。
とても人前ではできないが、――ああ、いますぐこのミルクに数十個の角砂糖をぶち込んで、混ぜたい!
「――さて、用件が済んだなら、もういいかな? メイアさんもしばらく帰ってこないだろうな。ライオのやつ、年々すばしっこくなっているからな」
「あっ」
それを聞いて、僕ははっ、として顔を上げた。ミルクに気を取られているうちに男は、とっくに立ち上がり、立ち去ろうとしていた。
「ああ、それと、そこに教典が並んでるだろ? 教会について知りたければ自由に、何時間でも読んでいくといいさ」
と、隅の本棚を指さしながら言って、教会の奥へ消えていった。
僕は、ミルクをもったまま、ぽかん、と口を開けていた。
……男の能力を推察するついでにわかったことがある。
男は、さきほどのシスターになんらかの好意があり、彼女の頼みにはりきって引き受けたものの、最初から僕に教える気なんてなかった。
教えるふりをして近づき、適当なことをしゃべって、適当なほどこし与えて、周りの修道士や参拝者に〝やっている感〟をアピールしたのだろう。
のちほど好意をもつシスターに褒めてもらうために。
彼の複雑なプリムスの力より、いくぶんかわかりやすい行動原理である。
そして、僕は静かにため息をつき、こっそりと角砂糖を入れたミルクを胃に流し込んだ。じんわりと体の中からあたたまる感覚が広がる。
「教典って貸出やってるかなあ……」
と、ぬるい吐息まじりに独り、つぶやいた。




