第十七話 安心
(――見つけたっ! 追いついたぞ!)
逃げる巨猿の背中が目に入った。
その頃には先行していたリックの姿はすでに消えていた。
(……ありがとう、リック。ありがとうレイン)
ミリスは、レインが気力を振り絞ってリックを送り出してくれたことに改めて感謝した。
とうに重くなった足で踏み出し、巨猿に距離をつめる。……ミリスは、これ以上追いかける体力がないことを自覚していた。
(仕留めなけば――)
水弾の射程内まで到達すると、ミリスは水弾を構えた。
――それは、静かで、確かな動作で。
ミリスは、ここまで駆けてきて息切れしていたが、スッ、と息を止め、それを押し殺す。
――体のブレを最小限に。
ピタリ、と動きを止め、片目をつむった。手を伸ばし、巨猿に指を向ける。もう片方の手でそれを支える。
(――親指の爪先を照準に。人差し指で軌道を確定……)
水弾は指の腹、ちょうど第一関節と第二関節の中間。
照準の定め方――ジルが語った言葉――をかみしめるように実行していく。
――構えを確定すると、瞬間、時間が止まったように感じた。
(狙いは――足。強固な筋肉の並びの中、比較的細まった関節部――)
狙った箇所に集中すると、スコープを覗き込んだように周りの視界が狭まる感覚をおぼえた。
――そこだけに意識のフォーカスを絞った。
(もう外さないっ! ――絶対に!)
当たれ、なんて、無責任なことは願わない。――当たる、と確信して、撃つ。
――ビッ、と〈凝縮〉された水弾が弾かれる。
(――ここだあ――っ!)
〝――バシュゥ――ッ!〟
水弾が風を切る音、直後、ビシッ、と肉を突く鈍い音が聞こえた。
同時に巨猿はガクリ、と膝を折り、地面に手をついて止まった。
「やった! 命中したっ!」
ミリスはそう言うと、勢いよく息を吸い込み呼吸を再開する。だが、うまく酸素が供給できず、天を仰ぎ、倒れそうになった。
しかし、巨猿は体を奮わせゆっくりと立ちあがった。撃たれた足を引きずりながらも、ふたたび進み出した。
「……うっ! まだ体力があるのか……」
ミリスは体を傾け、精一杯息を整える。
「……一発だけ、じゃあ、ダメだ……片足だけ、じゃあ……だめだ」
ミリスはふたたび息を止め、水弾を生成した。立っている体力も尽き、その場に両ひざをついた。
「……逃がさないぞ……」
〝――ビシュッ!〟
放った水弾は、巨猿のもう片方の足の関節部に命中した。巨体の体が崩れる。
〝――ビスッ!〟
そして、もう一発、今度は巨猿の脇腹、リックの牙による傷への追撃。
〝――オオオオォォン――!〟
巨猿の唸り声が上がる。
ミリスは、さらに、水弾をもう一発放った。
――肩が下がってガラ空きになった巨猿の首に命中した。巨猿は声にならない声を上げて体をさらに傾けた。
それを見守ると、ミリスの両腕が落ちた。
そして、地面にへたり込む格好のまま動けなくなった。――もはや、指先ひとつ力を込められなかった。
〝――ウォオオオオオォォンッ〟
その時、巨猿は唸り声を上げ、体中から血を飛ばしながら立ち上がった。
周囲の枝葉が震えるほどの叫び。草花が血を浴び赤く染まる。
すると、ミリスに向かって踏み出し、腕を振りかざした。
――巨猿はその場から逃げるよりも、ミリスへの攻撃を選んだ。
――ボスとしてのプライドか、獣ゆえの激昂か、最後の気力は、自分を追い込んだ者への襲撃に捧げたのだ。
巨猿が近づいてきても、体に力がまったく入らない。ミリスにはどうすることもできなかった。
巨猿を眼前にして身をこわばらせた、その時――、
〝――ドン――ッ〟
と、いう轟音とともに、巨猿は、腕を頭上に伸ばしたまま止まった。
――続いて、ガシャン、と弾を装填する音が響いた。
そして、すかさず、――ズン! と、二発目の発砲。すっかり聞きなれたジルのライフルの銃声。
――巨猿は、腹と胸を撃たれ、力なく背後に倒れた……。
ミリスは、背後から草をかき分けて近づいてくる存在感を感じた。
「追いながらも足の関節を撃ち抜いたか。……どうやら、射撃の精度はまともになったようだな」
ジルの声が背後から聞こえた。
「……ジル……撃ち方……教えてくれて、助かっ、た……」
ミリスはうなだれて言った。口を動かすだけで精一杯だった。
「ふっ。なんだ、俺の教えを聞いていたのか。見ろよ、こいつは間違いなく俺たちが仕留めた獲物だぜ」
そう言った後、ジルは倒れた巨猿の前まで歩を進めた。そして、ジャキ、と装填して、銃口を巨猿の脳天に向けた。
巨猿は仰向けのまま苦しそうに身じろぎするが、その場から動けないようだった。
……そして、ジルはふう、と一息ついた。
「お前に罪はないかもしれない……。だが、村のやつらから〝安心〟を奪うヤツを見過ごしては、おけねえんだ……」
〝――ドォン――〟
最後の銃声が森に響き渡った。
「――ミリス! ミリス!」
レインの慌てる声を聞いて、ジルは、はっと振り返った。
レインもジルについてきていた。もう動けるほどは体力を取り戻したらしい。
へたり込んだままのミリスは、がっくりと首が垂れ、レインの呼びかけにもぴくりとも反応していなかった。
「ミリス! どうしたの! ミリス!」
と、レインは何度も呼びかけながらミリスの体を揺すっていた。
「まってくれ、レイン」
と、言って、ミリスに近づいて容態を確認した。
息をしていることを確認すると、
「……眠ってるだけだ。急激に目や耳の神経を発達させた副作用だ。しばらく休んでいれば、次第に回復するはずだ」
そして、すこし間をおいて、うつむいて言う。
「ミリスを危険に晒してしまって……頼ってしまってすまない。……本当に、助かった」
すると、レインは顔を上げて口を開く。
「ううん。ミリスが無事なら……。あの大きなFRANを倒すには、ミリスじゃないとダメだったんでしょ? 仲間を頼るのは当たり前のことだよ! それに……お礼なら、本人にいってよね!」
「あ、ああ。わかった……」
レインのはっきりした口調にすこしたじろいでしまう。
そして、ジルは立ち上がって改まって言う。
「とにかく、ミリスを安全な所まで運ばないとな……」
――と、その時、――気配。
直後、あちこちからガサガサ、と枝葉がゆれる音。
辺りを見回すと、葉の間からいくつもの目がこちらを睨んでいた。
ギラつく目の光に、一斉に突き刺されたように、ゾッ、と体が冷えるのを感じた。
――数多のモンギィに囲まれている。その異常な気配の数に一瞬で察した。
(親玉を仕留められた復讐か? それとも、次の親玉を決めるための手柄の争奪戦か?)
葉を揺らし、何匹かが体を覗かせた。今にも飛び込もうと構えているようにも見える。
――ギィイ、と、奮い立つようにモンギィたちが声を上げると、眼下にいるレインはぎゅ、と目をつむってミリスを抱きしめた。
(……ミリスは動けない。レインにもこれ以上無理はさせられない。俺もプリムスを散々使って体力が尽きかけている……)
銃を肩からおろして、装填する。そして、全体を見回す。
「――だが、……やるしかねえ……。てめえらの、好きにはさせねえぞ……!」
と、その瞬間、
〝――ガンッ――!〟
と、激しい音がどこからか聞こえた。木の上にいるモンギィたちが発したものではない。何かを思い切り叩きつけたような音。
(――なんだ? なんの音だ――?)
突如として周囲の木がいくつか大きく揺れて、ぼとぼと、と木からモンギィが落ち始めた。
それぞれのモンギィが地面に打ちつけられて身じろぎしている。
「な、なにが起こった……?」
この異様な状況に、困惑するしかなかった。
〝――ブギャッ!〟
モンギィのひき潰されるような声。
声のほうへ振り向くと、栗色の長髪をした戦闘士官らしき人物が立っていた。その足の下でモンギィが悶えている。――まさしく、モンギィは足で潰されていた。
そして、その後ろからもう一人、背の低い少年が走って来た。
「逃げたもう一匹のモンギィを追跡して正解でしたね! 追いつくことはできなくても、逃げた場所は推理可能! そして、やはりモンギィたちに盗みを指示していたのは、今回のミッションターゲットだった! ターゲットに接触したであろう戦闘員二名も無事、発見! ――すべて理論通りです!」
と、少年が言うと、
「うん。すごいね、オリシオ君。――あれ? でも、ターゲットはすでに戦闘不能かな。 ふうん……では、私たちはこの残党を一掃してしまおうか」
と、栗色の髪の士官が言った。
その堂々とした物言いに、華奢な体型にも関わらず、屈強さやたくましさのようなものを感じた。
そんな安心感からか、ジルは自然と肩の力が抜けた。




