第二十話 欠片
大木はもう動かなかった。
ミリスは、生気の失った大木の目玉の上で膝をつき、天を仰いで息を切らしている。
手にもったブレードは元の大きさに戻っており、目玉をぱっくりと断裂させた跡だけを残している。鉄がきしむ音もツルが伸びる音も、もうない。周辺はしばし静寂に包まれる。
「……チェロと、レインのところへ、いかない、と……」
ミリスはゆらりと立ち上がり、ふらついた足取りで、大木に絡まるツタや根をつたって降り始めた。
床近くまで降りてくると、二人の声が聞こえてきた。
「シーラ! 起きて! あたしだよ!」
「チェロ、大丈夫だよっ! シーラさんの魂にはまだ光がある! わたしが癒してみせる!」
私は床に飛び降りて、巨木の根本にいる二人の元へたどたどしくも駆け出した。
「ふたりとも! シーラさんの様子はどうなの?」
「あ、ミリス!」と、レインが顔だけを向けつつ答える。仰向けに横たわっているシーラの胸元に手を当て、体力の回復を試みているようだ。そばにはリックも心配そうに見つめていた。
「怪我は?」
「おおきなケガはないけど、目を覚まさないみたい……。 でも、ちいさくても、魂は、たしかにあるの!」
わずかながらもシーラの胸が上下しているのが見えた。息はしている。……気を失っているのか? でもなんだろう。なにかこの感じ、既視感が……。
「シーラっ、シーラっ……」
チェロは、シーラの肩を揺らして、呼びかけ続けていた。
〝――ドォンッ〟
突然の破裂音に私を含め三人と一匹の体が跳ねる。
あわてて周囲を確認すると、大木の背後の壁から水が飛び出したのが見えた。
――海水?
そう思った時には足元に張っていた海水のかさが増していた。
……私は自分の顔が青ざめていくのがわかった。
「まずい! これ! 浸水してる!」
私は叫ぶ。その時――ガクン、と床がかたむく。船全体が揺れ動くのを感じた。
そして、壁に亀裂が走り、そこからも水が浸入してきた。鉄がきしむ音と水の流れるに囲まれる。船が揺れるたび、音は徐々に壮大になっていく。
「船が、くずれてるっ! まさか――この大木のFRANが、船の〝つなぎ〟になっていたのか――っ!」
――とにかく、避難だ! このまま沈んでたまるかっ!
しかし――間に合うのか? いや、考えてる余裕なんて、ない!
「チェロ! レイン! 急いで!」
視線を戻すと、チェロはシーラの肩を抱えて持ち上げようとしていた。
「……シ、シーラを運ばないと」と、チェロはわなわなとした様子で言う。涙がひとしずく落ちる。
「〈引力〉で、もちあげて、運ぶ……!」と、かすれた声で続ける。
チェロの手に力がこもると、シーラの肩は持ち上がる。……しかし、すぐに床に滑り落ちた。
「もちあがらない――っ! なんでっ! なんでっ! なんでっ!」
チェロは、わあ、と声を上げ、取り乱す。
「落ち着いてっ! そんな体力で能力を使ったらだめだ! 限界を超えて使えば、意識が断たれる! ――シーラさんは私がかつぐから!」
言いながら、チェロから奪うようにシーラの肩を取る。
――重い。腰ががくりと沈んだ。シーラの体を抱えてはじめて現実に気付かされる。シーラは私より少し背丈が高く、筋肉質なせいか余計にずしりと感じた……。全身が脱力しているようで、目を覚ます気配がない。しっとりと濡れた赤いショートヘアが、静かに閉じられたまぶたにかかっている。
「わたしも、てつだうっ!」
レインはシーラの体を支えようとしたが、すぐに膝が崩れた。
「レインも弱っている! 無理しないで!」
レインの体の数か所がぼやけて形が崩れているように見えた。
いままでシーラの回復を試みていたレインの体力も確実に消耗している。そばにいたリックもレインに同期するように頭を垂れる。見るからに体の大きさも縮んでいる……。その霊体の姿を保つのは、レインの体力次第なのか。
……みんなの体力はとっくに、底を尽きている。――満身創痍、というのはこういうことか。
だが、だからといって、諦めるわけがないっ!
私は腕に力を込め、シーラの両肩を引っ張り上げ、かろうじてひきずって動かせた。
なけなしの体力で、宙を仰ぎ、力いっぱいひきずる。――すると、突然、シーラがすこし軽くなる。
えっ? と、視線を下げると、チェロが震える手をシーラの体に添えていた。
「……あたしも、一緒に、持ち上げる……」と、息も絶え絶えに言う。しかし、顔に落ちた乱れた前髪の間から一層ギラついた目を見せていた。
「……チェロ」
その迫力に、私はそうささやくしかできなかった。
「あれ? 魂、もうひとつ……」
ふと、レインのそんな声が聞こえた。――と、その時、体が大きくかたむく。
あっ――という間もなく、一瞬にして、視界がひっくり返る。
ドッと大きな音が聞こえたような気がするが、はっきりしない。突然のことに思考が飛ぶ。
――冷たい。
ただ、そう感じた。
思考を取り戻した時には、体が水に包まれていた。息もできなかった。視界の先は外から見た船底。――ぽっかりと両断されたように割けていた。
――船はくずれたんだ。海に投げ出されたのか。
そう、脳裏にめぐったのを最後に、何もみえなくなった。
***
――さらさら、とかすかに揺れる砂の音。――ぽくぽくと、ひっそりとした小さな泡の音。
薄く目を開けると、そこは真っ青な世界だった。奥からは揺れる光が差している。波の揺れだとわかった。波に沿うように、そよそよとただよう小魚たちの視線を感じる。顔を覗かせて物珍しい目で見られているようだ。
水槽の中に咲くトゥルセルカの花ってこんな気持ちなのかな……。
「……ここ、は……」
ゆっくりと目をあけると、ぽつんと口を開いた。
「ミリス! 目が覚めた?」と、レインの声。そこで意識がはっきりした。
「え! ここ! 海のなかっ!」
声を上げ、勢いよく体を起こすと、軽くせき込んでしまった。
周囲は水、地面は砂、泳ぐは魚。透明な水中トンネルの中にいるような景色だった。そのトンネルも巨大な泡のように波に任せて揺れている。
「……息ができる…? 海の底みたいだけど……」
ただ困惑するしかない。不安気に感じながらも非現実的な光景に楽観的な夢を見ているようだった。
「…あたしの力さ」
と、聞きなれない声。大人っぽくすこし枯れた女性の声。
声の主を探すように、顔を動かすと、赤い短髪の女性が座っている。
「あなたは……シーラ、さん? ……大丈夫なの?」
「ええ。おかげさまでね。本当にありがとう。あなたたちは命の恩人だわ」
シーラは優しい口調でそう言った。
彼女の顔は、不安を包み込むように穏やかだった。濃くてまっすぐな眉で目鼻立ちがしっかりしている。遠くを見つめるように目を細めてこちらを見ていた。
膝にはチェロの頭を乗せて寝かせている。
「ねえ、ミリス」と、横からレインが口をひらく。
「シーラさんはすごいんだよ! 〝空気〟をもってくることができるの!」
空気とは、なんのことだ? と疑問をぶつけるようにシーラの方を向きなおす。
すると、やはり優しい口調でゆっくりと答える。
「あたしのプリムスの力は〈保存〉。……海に落ちる前に目がさめたおかげで、空気を〈保存〉して、言葉通り、この海の底まで持ってきたってわけさ」
「これも、プリムス……」
それを聞いて、なんて大きくて包み込むようにやさしい能力なんだ、と印象を受けた。
「でも、気を失って弱ってたあの状況で、どうしてとっさに能力を使うことができたの?」
「ああ、それは……」と、シーラは言って続ける。
「あの巨大な木のFRANがいただろ? あいつは、生物の血や肉を養分にするために襲ってくるんだけどさ。死体の肉には興味ないみたいでね。あたしは、襲われそうになった、すんでのところで、自分の体の外に生命力の一部を〈保存〉して……仮死状態になったんだ。いわゆる、死んだふりってやつだね」
と、言った後、両手を軽く上げて、手のひらを上に向けて、
「〝もぬけの殻〟になってしまえば、それ以上襲ってこないって思ってね」
と、うすく笑みを浮かべて言った。
「――そっか」と、レインがぱっと口を開く。
「船がくずれる前、さいごにふたつ目の魂が近寄ってきたのは……、あれは、シーラさんが保存した、自分自身の命の欠片だったんだ! それで、その欠片が戻れば気を失ってた体も力を取り戻して、元通りになったんだ!」
シーラは肯定するように、にこりと笑顔を見せた。しかし、すぐに顔を伏せてしまう。
「……でも、今思えば、危険な賭けだったよ」と、言ってシーラはチェロの髪を撫でる。
「こいつが……チェロが来てくれるって信じてさ。〈引力〉であたしを持ち上げる時に、体外でただようアタシの魂の欠片も一緒に引き寄せられると思ってやったんだけど……船の整備隊でも戦闘員でもないこいつが簡単に来れなかっただろうし、他の隊員に救助されても、あたしの欠片は置き去りのまま……海の底に沈んでいただろうね」
シーラはやさしくチェロの頬に手を添わせる。チェロの肌は血や傷でよごれている。
小さく呼吸をしているのはわかるが、体に力はまったく感じず、手足は錆びたペンチのように地面に置かれているだけだった。
……傷だらけで横たわるその姿を見て、私はこれまでのチェロの行動を思い返していた。
「……チェロが上層部の反対をはねのけて強引に助けにきたのも、最後の最後まで、ぎりぎりの体力で〈引力〉の力を使って、あなたを持ち上げようとしたのも、全部、あなたの命を救うことに繋がったってことか……」と、私が言うと、
「君たちがチェロの手助けしてくれたことが大きいと思うよ」と、シーラは返した。
まるで私たちがチェロの力添えしてきたことをすべて察しているかのような言い方だった。
「ほんとにほんとによかったね! みんなががんばったおかげだよ!」
と、レインは歓喜をあらわすように私に抱きついて言った。しかし、そのあとすぐに、はっ、とした表情に変わって続けて言う。
「あ、でも、チェロ、大丈夫かな……。目をさまさないし、魂も弱ってるよ……」
「気力をしぼりにしぼって、能力を使ったんだ。何か後遺症があるかもしれない……」
プリムスを、限界を超えて発動するということは、体を酷使するのと同義。単純に体を動かしただけなら、息がきれて疲労感で動けなくなる。いわゆるストッパーがかかる、ということだ。だが、プリムスはその限界を超えて使うことができる。際限なく使えば、意識を失うほど消耗してしまうし、運が悪ければ脳にもダメージを負う。
チェロは能力の制御が人よりうまいから、大丈夫だと思うが……不安はある。
そんな考えをめぐらせると、私はいつのまにか思い詰めた表情をしてしまっていた。
「なーに、きみたちは心配しなくていいさ」と、シーラは私の顔を見たからか、励ますように言った。
「なにがあったってあたしがずっと看病してやるんだから。……起きるまでずっとみててやるんだ。――そしてまた、もとの元気なこいつに戻ったときに、一番に、〝ありがとう〟って言ってやらないといけないからさ……」
それだけの言葉だったが、不思議と元気づけられた。この人がいればチェロはきっと大丈夫な気がした。
言ったあとにシーラは、あっ、と声を上げる。
「――って、こんなこと言ってる場合じゃないね! 空気がなくなる前に浮上するよ! わるいけど、チェロを抱えるの、手伝ってくれないか!」
シーラはチェロをひょいと持ち上げると、私もあわてて立ち上がり、チェロの体を支えた。
すると、空気のドームは地面から浮きあがりはじめた。




