第十八話 巨樹
「ふぅ……、ふぅ……っ」
暗闇の中、しきりに吐息が漏れる。巨木から離れたコンテナを背にチェロルカは座り込み、止血していた。一通りの応急措置の道具は携帯していた。
サーチライトをもっているミリスがいなくなり、あたりは真っ暗だったが、小さなハンドライトは備えていたため、手元を照らすことはできた。
静かに息を整えるチェロルカの目は小さな明かりの中で、ギラついていた。
諦めなど存在しないような意思を感じさせる目だった。
――そして、その傍らには、一匹の大型犬。
チェロルカを守る騎士のようにたたずんでいた。
しばらくすると、大きな光が近づいてきた。
「――チェロ!」
ミリスは声をかける。
と同時に、その背後の存在に気付いて目を見開いた。
「え! リック?」
ミリスはまさか、とレインの方を振り返る。
「うん。わたしが呼んだの」と、レインは言う。
「じつは、さっきみんなで休憩してたときからお願いしてたんだけど、やっぱり、この海の真ん中まで飛んでくるのに苦労したのかな。……でも間に合ってよかった」
リックとは、ライオンのような風貌のひと際大きな犬である。FRANとなり命が尽きた後、レインによって魂の姿となった。
そして、魂になってもその獰猛さを思わせる巨躯は変わっていない。
「そもそも、遠くにいるのに声が届くんだ……」と、ミリスは複雑な顔をして言う。
「魂でつながっているからね」と、レインは誇らしげだった。
(ちょっと、それはよくわからないな……)
魂がつながるって、どういうことだ? ミリスは理解しようと思ったが、今はやめておいた。
「すると……、リックが、チェロをここまで連れて来たってこと?」と、言ってチェロルカを見た。
「そうだよ! リックがあたしを空中でくわえてキャッチしたんだ。すばやかったなー。ほんとすごいよーこの子は!」
と、チェロルカが明るい声で説明しながらリックをなでる。
「それはよかった……けど、チェロ、ケガはどうなの?」
ミリスはチェロルカの体を見ながら言う。キズを受けたと思われる箇所に包帯を何重も巻きつけ、服にはいたる所に血がしみ込んだ跡が見える。
「一応、応急措置はしたよ。体力はレインが回復してくれたし、もう平気」
チェロルカは、にこりとして言った。
(レイン……私の所へ来る前にチェロを回復していたのか。そのときに、自分の力に気付いたのだろうか。しかし……そういうことなら、すでにレインは二人分の負担を抱えていることになる……)
「……これ以上、消耗する戦いはできないな」
ふと、ミリスの口から声が漏れると、すくりと、チェロは立ち上がった。
「あたしはやれるよ。レインの回復も、もう必要ないから安心して」
と、勇ましい表情を見せる。
すると、チェロルカの鼻からツー、と血が伝い、あわてて手で抑える。
「あ、あれ……鼻、切ったのかな……」
と言ってガクンと、体がかたむく。よく見ると足が震えて、片方の肩は糸が切れたみたいに脱力している。キズに巻いた包帯やガーゼが血で黒くにじんでいる。
「チェロ……あんた……」
チェロはうつむいていたが、目だけをこちらに向ける。
「まだ……、シーラを助けていない」
チェロルカは鼻血を拭うと、それだけ言って、足をひきずって歩こうとする。
「どう考えても、無理だ。立っていられるのもおかしいじゃないか。シーラさんのことは私たちがなんとかするから」
「一人でも戦えた方がいいでしょ……。ケガの心配はいらないよ。〈引力〉で傷をひっつけている。傷口はもう広がらないし、出血もこれ以上しない」
そう言って、チェロルカはふらつきながらも前に進む。とても平気とは思えない。
――だが、その姿を前にして、ミリスは愕然とした。
(……なんてことだ……。〝精神の未熟〟だって? なんてバカな思い違いをしたんだ! そんなことを少しでも頭によぎったことを後悔する。――彼女の、決して折れず、めげず、ただ、友のために立ち向かうその精神力は、なによりも深く、強く、揺れることない根強い信念の巨樹、そのものじゃないか)
――いくら巨大なFRANであろうが、船底に巣くう根なし草ごときに、この小さな体に秘めた大木が、決して屈することはない――。
……ミリスはその小柄な背中がどこまでも大きく見えた。
「チェロ、さっきは私の甘い考えで、ケガを負わせたことを謝る。――でも、もう一度協力してほしい」
ミリスがそう言うと、チェロルカは顔だけを向けて、
「……ケガは、あたしが弱かっただけ。ミリスは何も悪くないよ。それに、今、あたしができることがあるなら、なんだってやる……っ!」
と、闘志を宿らせた眼を見せて言った。
「なにか、作戦があるの? ミリス」
レインはそう言ってリックを連れて横に並ぶ。
「作戦ってほどじゃないけど……、ヤツを倒すことは考えず、シーラさんの救助を優先するべきだと思う。リックがいる今、あの素早い根には十分対抗できるはず」
ミリスはそう言うと、すこしふらついたチェロルカの肩を支える。
(チェロは手負いだし、レインにもこれ以上頼るわけにはいかない。救出さえすれば、こんなところ、さっさと避難してしまえばいい。追いかけてくるような敵ではないんだから)
レインはリックの体を撫でる。リックは、ワォンとひとつ吠えた。
「あの根本まで、ツタをくぐり抜けるの?」と、レインが聞く。
「そう。リックの動体視力が桁外れなのは知っているよね。私とリックでシーラさんの元へ行く。チェロは後ろから援護してほしい。それと、レインは、チェロの体力があぶなくなったら助けてあげて」
レインはこくりと強くうなずく。
チェロもわかった、と言った。
――そして、ミリスたちはふたたび巨木のFRANの前に立ちはだかる。




