第十三話 虹
シャークーシャはふたたびミリスに迫る。もはや尻尾は必要ないといわんばかりに体をまっすぐ張って牙を露出させた。他愛もなくミリスの顔ごと吞み込める大口だろう。
(――速いっ!)
シャークーシャの飛び込みは、ミリスの反応速度よりわずかに速かった。
ミリスの視界はその真っ青な口内で埋まる。
――ミリスは、体が強張り、目をとじてしまった――。
〝――バクンッ〟
と、くぐもった音が鳴った。
ミリスがまぶたをひらくと、……目の前でシャークーシャが何度も空を嚙んでいる。
――シャークーシャの頭部、後方にはヨーヨーが回転している。
そして、横から声が上がる。
「ミリス! 水弾をっ――!」
チョロは膝をつきながら腕を伸ばしていた。
そして叫び声とともに、シャークーシャはヨーヨーに引っ張られ、宙に投げ出された。天井まで飛んでぶつかると、そのまま天井に頭部が張り付いた。
最大射程まで伸ばしたヨーヨーによって天井とシャークーシャを同時に引き寄せている。シャークーシャは身をよじらせているが、一向に解放されない。尻尾も振るうが、ミリスたちには届かない。
ミリスは両手を伸ばし、上空に向かって水弾を構える。
(一発ではだめだっ! 致命打にならない。あの巨体には何発か食らわせなければ!)
指先に水弾が同時に6発分生成される。瞬間的に生成するならこれが限界か――。
「――〝ショットガン〟だっ」
そして、――放つ――っ!
その刹那、ミリスの視界からシャークーシャが消える。――と同時に、目の前に鮮血が舞った。
シャークーシャは変わらず、天井にとどまっていた。
代わりに、ミリスが横に弾かれていた。――ミリスのほうがのけぞり動き、視界を虚空に変えたのだ。
ミリスの右腕は、赤く腫れ、その中心が切れて、血が飛び出していた。
「――う、ああ――っ!」
ミリスの口から苦痛の声が漏れる。胸のプロテクトシンボルが衝撃を緩和するためにブウンと機械音をひしめかしている。衝撃緩和がなければ、骨が折れていた衝撃を思わせる。
(――ばかなっ! ヤツの尻尾が届かないほど、離れていたじゃないか!)
ミリスは体勢を崩しながらも、状況を確認しようと顔を上げると、
「ミリス――っ!」
レインが苦しい表情をしながら駆け寄ってくる。
「レインっ! 来ちゃだめだ!」
「――でも、ミリスがっ!」
レインはさきほど振り飛ばされたダメージで胸を抑えているが、動ける余裕はあるようだ。それだけでも少し安心した。
しかし、またヤツの正体不明の攻撃がくる――!
――その時、頭上でギュウンという音が響き、
「てえぇ――やぁあー―っ!」
チェロルカが叫んだ。
腕を振りかぶり、ヨーヨーの〈引力〉を解除してシャークーシャを吹き飛ばす。
そして、続けて叫ぶ。
「――いまのは、体液だよっ! アイツの表皮から漏れ出る体液を固めて、尻尾の長さを延長している! 体液を固めて身を守ることは知っていたけど、攻撃に使うやつは、はじめて見たっ!」
――ヘビというのは、地面をなめらかに移動するために、体の皮膚から粘液質の体液を分泌して纏っている。このシャークーシャはその体液を発達させ、硬く凝固させて武器にすることができた。
ラウンジの入り口あたりまでふき飛んだシャークーシャはすでに体勢を整えている。
そして、尻尾からは、脱皮した皮のように半透明の物体が飛び出していた。――それは、しなるような動きで、獲物を待ちうけるように揺れていた。
ミリスはその物体に目を凝らして、はじめてその存在を理解できた。
(さっきの攻撃――打撲というより ムチで打たれたような衝撃だった)
硬さこそあまりないが、尻尾を振る勢いで叩きつけられれば、これほどのダメージになるというのか。
(――ともかく、チェロのおかげで、あのムチも届かない距離まで離れたっ!――ここからなら……)
と、考えたところで、
(どうする……?)
……この状況、――どうすべきか。
ミリスは改めて思考をめぐらせるが、答えが出ない。
――水弾を構えれば、その驚異的な瞬発力で飛び込んできて、一瞬で距離を詰められる。
――ブレードで斬りつけようにも、刃が届く前に縦横無尽な尻尾が飛んでくる。
――チェロのヨーヨーの最大射程で固定しても、体液のムチが飛んでくる……。
ミリスたち三人は、体勢を整え、つかず離れずの距離で構えている。
こちらが動けないでいると、ヤツも様子を見ていた……いや、誰から食らおうかと、品定めでもしようというような目でこちらを凝視していた。
これでは、蛇に睨まれたカエルだ――。
それが放つプレッシャーで体を強張らせてしまう。ミリスたちはその場で動きが完全にとまってしまっていた。――とめざるを得なかった。
まるで、この展望台の檀上が座礁した小型ボートで、その下に獲物を待ち受けているサメに睨まれているかのように錯覚させる。霧の立ち込める砂漠の中で枯れたオアシスを探しているかのようだ。
次にどう動けばいいか、どうヤツに立ち向かうのか、必死に頭をめぐらせる。
「……あの力、まるでミリスの能力みたいだね……」
と、そばにいたレインが前を見ながら、ぽつりとつぶやいた。
ミリスの思考はそこで一度止まった。
――そして、静かに口をひらく。
「――今、なんていった……?」
「え?」
レインは驚いて、顔を上げた。ミリスの表情は険しかった。
「レイン、今、私の能力が、……なんて、言った?」
と、ミリスは問い詰めるように言う。
「え、っと。あいつの、体液をかためて戦うのが、ミリスが水をかためるのと似てるなって思って……。で、でも、ミリスのほうが断然強いよ! あんなのと一緒にしちゃ、ダメだよねっ! ごめん」
「……いや、いいんだ。それでいい」
「……?」
「レインは今、私に〝ヒント〟をくれた。本当にあなたは、いつも私を助けてくれるね。レイン……ありがとう」
レインは小首をかしげ、理解できないような表情をしていた。
そう言ってミリスは一歩、前に踏み出す。
(……私のプリムスは、水を凝縮して固めて撃ち込む。――だが、それは、射出しなくてもいいんだ。――手元に置いておけばいい!)
ミリスはブレードを順手に持ち直し、目の前に刃を横にしてかかげる。そして刀身にそっと手を当てた。
すると、刃の表面にぽつぽつと水滴が浮き出す。――〈凝縮〉により、空気中の水分が冷えて固まりはじめる。
グラスにつめたい飲み物を注いだ時のように無数の水滴がびっしりと刃を覆う。次第に水滴同士が繋がり、膜となり、刃の上に積み重なっていく。
そして、刃を下にかたむけると、水が垂れ落ちる。……しかし、水が床に落ちる前に宙で制止する。――さらなる〈凝縮〉で、凝り固まり、凍てついていた。
(……イメージ、だ。凝り固める〝かたち〟をイメージしろ……。弾丸を模すことができたのなら、できるはずだ――っ!)
凍てついた氷は、ブレードの刀身を延長させるように伸び、次第に刃の形で固定されていく。――刃渡り40cmのブレードが、氷の刃をまとい、約1mのものへと姿を変えた。
氷の刃は〈凝縮〉され続け、その形を保つため、濃密に凝り固まり続けている。刀身から冷気のモヤが漂っている。
刃の切っ先を前方に向けると、展望台に入ってきた日の光が複雑に乱反射して、刃先から虹色が伸びる。
――ミリスは展望台から飛び降りると、剣を横に構え、床を蹴って前に出た。
それと同時にシャークーシャが、尻尾を振りかぶる。――ミリスも剣を薙ぎ払った。
尻尾は、ミリスに届く前にその先端が斬り裂かれ、血とともに宙に飛んだ。
そして、すかさず飛び込むように踏み出す。
(――短剣ではヤツまで届かない。なら――届かせろ――っ! その刃を!)
ふたたび剣を振るうと、鋭い勢いで、シャークーシャの身に刃が届いた。その身から血が吹き飛ぶ。――が、一瞬、シャークーシャは身を引いたため、切っ先がかすっただけだった。
だが、――ミリスは見逃さない。ヤツがその身をのけ反らせたことによって一瞬の隙ができたことを。
さらに飛び込み、返す手で薙ぐ――。
何度かわされようが、剣が手元にある限り斬りつける――その一心だった。
そして――剣は、確実に、そして断絶的に、シャークーシャを、斬った。
……それは、一瞬だった。
時間がとまったように無音が続き、やがてシャークーシャの首がズレ落ち、床に落ちる。
――シャークーシャの首と胴体は、完全に切断された――。
レインはその光景を瞬きもせずに見ていた。
剣の動きに合わせて光がちらつき、反射した虹色が壁や床をまるで生きているかのように走り抜けた。
「きれい……」
レインは自然とつぶやいていた。
「――プリズムだ」
そばにいたチェロルカも続いてつぶやいた。
「……虹を作り出すそれは、水晶でできたロングソード。プリズムの剣」
チェロルカはそう言って、つまり、と続ける。
「〝プリズムソード〟だ」




