第六話 恐怖
リックの左肩と右腿に穴が開いていた。
しかし、そこから出血はなく、代わりに霜がびっしりと張っていた。
――放ったのは、冷気をもった凝縮水弾。
撃ち込まれた水弾は体内で凍り、躍動していた筋肉を石のように静止させた。
凍えた足は感覚を失い、動かせないようだった。
それでも、よろけながら辛うじて立っていたが、やがてリックは地面に倒れた。
(――とめるだけだ。
この獣が、本当にリックだというのなら――死なせるわけにはいかない〉
ミリスも体力が尽き果てていた。リックの様子を確認しながらも、木を背にしながら体がかたむく。
「――リックっ!」
ライオが声を上げて走ってくる。
――ライオは、ミリスとリックの激しい攻防に、ただ茫然と見ていることしかできなかった。
あのリックに恐怖を感じたのだ。感じてしまったのだ。
その姿は、耳も、鼻も、目も、毛並みも、尻尾も、全部、家族のようにいつもそばにいてくれたリックそのものなのに。
理由などわかる由もないが、もし、リックがなんらかの原因で、正気を失い無差別に襲うように凶暴な獣になってしまっても、――飼い主であり、家族であるライオが止める責任があるのではないか。
――たとえ、自分がどうなってしまおう、と。
ライオは、心の中で自分を責める気持ちでいっぱいになっていた。
リックは、その場で動きはしないものの、まだ唸り声をあげている。
「……ライオ……、きちゃ、だめだ……」
ミリスは、激しい呼吸の合間で、掠れた声を出した。
「ミリスっ! うぅ! 血がっ! どうしよっ! どうすればいいのっ!」
そばに来ていたレインはその目には涙であふれ、必死に腕を抑えてくれる。
「レイン……、ライオが……、あぶない……」
喉からしぼりだしたが、ほとんど声にならなかった。
レインは必死だった。――ミリスのポケットから応急処置キットを取り出し、中身を地面にぶちまけ、そのうちの包帯を拾い、震えた手で巻きつけようしていた。
ミリスが顔を上げると、駆け寄ってきていたライオは、すでにリックに抱きついていた。
「……リック! ……どうして! どうしてこんなことに!」
リックはしばらく唸ったまま動かなかった。
だが、やがて……顔を上げ、動く方の前足を伸ばし、――ライオの体に爪を立てた。
「リッ……」
“パシュッ”
水弾がリックの頭部を貫いた。
ミリスは震える手を伸ばしていた。
そして、リックはその場で崩れ落ちるように、
――倒れた。
「リ、リック! リック! しっかりして!」
ライオはそう叫ぶと、倒れたリックを抱き寄せる。
しかし、リックからはもう――力を感じなかった。
「もう一度鳴いて……! 返事を、して……! あ……あぁ……」
ライオの目は、徐々に涙があふれていく……。
そして、顔を勢いよく振り上げ、
「なんで――、なんでこんなことするんだよ――――っ!」
それは誰に向けられた叫びなのか、ライオ自身もわからない。
――ライオを助けるためとはいえ、死を下してしまったミリスか?
――リックをこうしてしまった原因か?
――何もできなかった自分か?
理不尽なまでに突然起こったこの状況を頭の中で理解したくても、悲しみに埋めつくされて、泣きわめくことしかできない。心も体もまるで言うことを聞かない。
「ライオ……」
ミリスはどうすることもできなかった。
この少年を、――ライオを、死なせることだけは、決して許されない。
それだけが、決して揺るぎない、事実だった。
レインもその光景に愕然としていたが、はっと気付いたように何か見る。
「……あ、あれは、リックの……」
レインがそうつぶやくと、ミリスにも幽かに揺らめくようなものが見えた――。
波ひとつ立たぬ水面に、小さな波紋と共に浮かび上がる泡沫のように。
〝ゆらめき〟が、リックの体から離れていく。
「リック……! 動いてよ! うっ…くっ…!」
ライオは口の中で湧き出る感情を籠らせていた。
リックを抱えてうなだれ、動かないリックの毛並みをただ濡らす。
「ああぁ――っ! どうして! どうして! どうして!
……どうして! うごかないんだあ――!リック――っ!」
リックの体に頭を、両手を、沈める。どこかへいってしまわぬように――その身から何かが抜けていってしまわぬように、押さえつけるように。
「あの時、外に出さなかったら……、散歩に出さなかったら……、無事だったんだ……! 今も! ――生きてたのに……っ!」
ライオは、口から止めどなくあふれる思いを吐き出す。
そして、どこか遠くへ願いを託すように空を仰いだ。
顔からは雫が落ちるばかりだった。
「ぼくが大人になっても……ずっと一緒だと思ってたのに……!
この先も…、一緒に…、ずっと生きてたはずなのに……!」
声はすでに、空を切る慟哭――。
しかし、それも冷たい風に流され、かき消されていく。
「――どうして、死んじゃうんだ――っあああぁ――っ!」
――空には、ライオの声をその身に響かせるようにたたずむ〝ゆらめき〟がある。
レインはずっとそれを見据えていた。
――レインには、わかった。〝ゆらめき〟を通じて。
リックが、悲しんでいることを。
リックは人を襲いたくて襲ってきたのではない……。
ライオのこともすごく心配している。
リック自身もわけがわからない、体だけが何かに囚われていたように。
敵意だけの獣ではなかった。〝心〟があった。ライオを大切に思う心が……。
(――どうして、こんな姿になったのか、わからないけど、――こんなの、おかしい……! ごめん、なさい…、ライオ……! ごめんなさい…リック……! わたしは、おさえきれなかった……こんなにも苦しんでいたのに……!)
「ライオ……ごめんなさい……」
ミリスにはそれしか、言葉が出てこなかった。
こんな軽々しい謝罪で済むようなことではない。そうはわかっていても、ミリスにはまだ役目がある。罪悪感を押し殺して、言わねばならない。後ろめたさで胸をつぶしながら。
「でも……ライオ、ここは危険だから、これ以上、ここには……。リックは……私が運ぶから、シスターさんのところに戻ろう……!」
――ライオは黙っていた。
……しかし、その目は、宙に投げかけるだけの涙にくれた目ではなかった。
なにかを見据えていた。
「……い、いや! 生きてる! リックはまだ、生きてる! ……そこに!」
「えっ?」
ミリスは、ライオの意外な言葉に拍子抜けた声が出た
その時、ミリスにも幽かに感じていた〝ゆらめき〟がはっきりと視界に現れる。
「リック! リック! ごめんよ! ぼくは…! うぅ…! ぼくは…!」
――見えている
もうすでに見慣れてしまったあの淡い光を纏い、薄く透きとおるリックの姿。
「これは! まさか! レイン……!」
ミリスはレインの方に振り向いた。
「――こんなのって、だめだから……。お別れも、言えないなんて……!」
「これも……レインのプリムスの力? 自分以外の霊体も実体化できるの……?」
「わたしも、よく、わからない……。けど、リックが、さよならを言いたがっていた。そんな気がしたから。……だから、わたし、すこし、後押しをしただけ……」
ライオは、光に包まれゆらめくリックを抱きしめる。
「うああ――――っ! リック――っあああ――――っ!」
――その光が、うすれ、散りゆくまで……。
あとがき
ここまでお読みいただきありがとうございます、
凶暴化したリックの姿より、失うことの恐怖が大きかった。
なのでライオは駆け寄ります。
爪を立てられようとも離しません。
ライオ、レイン、ミリスと色んなな心情が交差する展開なので
視点がどんどん切り替わります。ある意味。登場人物たちと同じ混乱した状況になってますかね…
この作品に少しでも気になっていただけれ
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