僕は幽霊が見える 第6話 逃げようのない現実へと、残酷にも僕を引き止める
受付で名前を言うと既に凛子の母親から連絡があったらしく話は通っていてすんなりと面会の許可が出た。おそらく姉が先回りして連絡してくれていたのだろう。
消毒液のつんとした匂いが鼻をつく。広く白い清潔な病棟。ここに来たのは久しぶりのはずなのに、記憶のどこかが覚えていたのかほとんど迷うことは無かった。小学生の頃凛子は度々この大病院に入院していた。
ぎりぎり走らない程度の速度で歩く。それでも緊張からか息が切れる。時折人にぶつかりそうになり謝りながら先を進む。車内で凛子に何度かメッセージを送ったが返事はなかった。母親の話によると意識はあり話も出来るとのことだったが実際どういう状態なのかは分からない。寝ているだけで本当に今は何ともないのか、それともーー。
なかなか降りてこないエレベーターにもどかしさを感じながらも目的の階に着き、まだ開ききらないエレベーターの扉を抜けて廊下を進む。
ひとつひとつの部屋番号と名前を確認しながら、結局一番奥の扉に着いたとき、探している名前を見つけた。
『東島凛子』
名前を確認すると同時にノックをするのも忘れて勢いよく扉を開けていた。
そこで僕は思いがけない光景を目にすることになる。
思わず息を呑んだ。開け放たれた扉の前で体が固まる。
きっと僕が落ち着いてこの扉の前に立ってノックをするくらいの余裕があれば、もしかしたら事前にこの状況を察知できたのかもしれない。しかし僕はもう扉を開けてしまったし、開けてしまった以上、この光景を受け入れざるを得ない。
「火野君っ!」
僕に最初に声をかけてきたのは東海林さんだった。その声は弾んでいて、凛子が無事であることを物語っていた。
「返事ないからまさか来ないのかと思ったよ!」
嬉しそうにこちらに手を振っている。
「え? なんで火野君?」
「佳奈この間も火野君と話してたよね?」
「なにそれ!? ちょっと詳しく聞かせてよ!」
「お前この前来なかったもんなー」
「火野君久しぶりーどうしたの?」
クラスメイトの賑やかな会話がひとつ膜がかかったかのようにぼんやりと聞こえる。大部屋の中に入院しているのは凛子ひとりだったからか、みんな気兼ねなく楽しそうに会話をしていた。
その中心に、凛子がいた。
真っ白なベッドに座り、驚いたような、困ったような顔をして僕を見ていた。
なんだ、元気そうじゃん。
無事で良かった。
みんな来てくれてたんだ。邪魔してごめん。
急に驚かせてごめん。
色々な言葉が浮かんでは消えていく。けれどどれも実際に僕の口から出ることはなかった。
凛子も、何も言わなかった。
その手にはスマートフォンが握られていた。僕からのメッセージを見ていなかったということはないだろう。それでも返事が無かったということは、そういうことだ。
僕に構っている暇など無かったわけだ。そりゃこれだけみんなが心配してすぐに来てくれたんだもんな。昼前まで寝ていた僕とは大違いだ。僕の来訪を無下に断るのもここに来られるのも気まずいだろうし、凛子だって返事に困っていたのだろう。
僕がそれに気づかず、馬鹿みたいにひとりで慌てて勝手に乗り込んでしまっただけだ。
場違いなのは僕自身が一番よく分かっていた。
ここは、僕がいるべき空間じゃない。
「……ごめん」
僕は震える口でどうにかそれだけ言うと扉を閉めて反対方向へ走り出した。
走って、走って、走った。わけも分からずただ走って、ただただここから離れたかった。どこでもいい。どこでもいいから、ここから、逃げたかった。
少し開けた場所に出た。大きな窓からたっぷりと日差しを取り込み一際明るい一画。テーブルと椅子がいくつか置かれた、自動販売機と給水器が並んだ休憩スペースだった。平日だからかありがたいことに座っている人はおらず、静かな病院の中でもことさら静まり返っていた。
息が切れる。心臓の鼓動がうるさい。壁にもたれかかってなんとか正気を取り戻す。
「ーーいいのか」
ふいに背後から声がした。七星さんだ。
「……いいんです。僕がいたら邪魔になるだけですし」
ひとつ大きく息を吸って、吐く。
「見たところ大丈夫そうでしたし、何より少なくともあそこの部屋には何もいなさそうでしたから」
震える両手を痛いほど握りしめ押さえつける。大丈夫。声は平静を保てるようになってきた。
「本当に見たのか」
「見ましたよ。もしいるとしたら直接姿が見えなくても何か感じるかもしれないですけれど、そういうのも特にありませんでした。やっぱり僕の勘違いというか……そもそも今回は元々僕が何か見ていたわけでもないですし、もう病院にいるわけだし心配もないでしょうし。どうしてあんな場所にひとりで行っていたのかは分からないですけど、そもそも僕が何も知らないっていうことは僕には何の関係も無いっていうことでしょうからーー」
ああ。話し始めたら案外言葉は出てくるものだ。大丈夫。いつもしていることだ。いつも通りすればいいだけだ。
自分の感情に蓋をして、上辺に嘘を塗りたくる。
「篝」
七星さんの声が聞こえる。分かってる。止まらないと。止まらないといけないのは分かっているのに。
「ああ、せっかく送ってくれたのにすみません。わざわざこんな遠くまでありがとうございました。今日は何か予定とかあったんですか? 早く帰らないと姉にも怒られーー」
そうだ。帰ろう。帰らないと。
「篝!」
「……」
もう一度名前を呼ばれて、僕はようやく言葉を止めた。遅れて力無く口を閉じ、それからまた少し遅れて言いようのない感情が溢れて、そうなると、それはもう洪水のように溢れて自分でも抑えることができなかった。
「……やっぱり僕が関わらなければ全部上手くいくんです。ずっとそうだった。僕が関わるのをやめたら凛子には何も起きなくなった。僕なんかとまた関わり始めた途端にこんなことが起きるなんてとんだ疫病神ですよ」
体が震えを取り戻す。言葉が震える。
「そもそも凛子に僕は必要ないんです。どこにいってもいつもみんなの中心で、たくさんの人に囲まれてて、僕さえいなければずっと何事もなく笑っていられたんです」
隠そうにも隠せない。情けない。本当に。何も出来ないどころか足を引っ張るばかりの自分が悔しい。
みんな言っていたじゃないか。なんで火野がって。自分でも本当はずっと分かっていた。僕がいるべき場所じゃなかった。
「凛子は優しいから……ただの幼馴染だっていうだけで、ひとりでいることの多い僕を心配して声をかけてくれていただけで」
自分でももう何を言っているのか分からない。意味不明で独りよがりで。ああ、本当に今日の僕はおかしい。どうかしている。こんなことを聞かされて七星さんも呆れていることだろう。
「それなのに僕はーーまた馬鹿な勘違いをしてしまっていたんです」
乾いた笑いが漏れる。後ろにいる七星さんの表情は見えない。
僕は凛子の何だ? 分かっている。何でもない。ただ、たまたま幼馴染だっただけだ。
「篝、もういい」
「……すみませんでした。取り乱して、本当に、僕は……」
「もう、いいんだ。お前は何も悪くない」
誰にも言えなかった話。ずっとひとりて抱えていたものがようやく解き放たれる。もしかしたら僕は、ずっと誰かに許してもらいたかったのかもしれない。
七星さんが僕の腕を掴んだ。その手は思ったよりもずっと小さく、けれどとても力強く、心強かった。
「それで、」
そして逃げようとしている僕を捕まえる。
「お前ーー本当は何を見たんだ」
逃げようのない現実へと、残酷にも僕を引き止めるのだ。




