僕は幽霊が見える 第2話 何もいない
朝早くに玄関のチャイムが鳴った。朝食を食べてまさに今部屋に引っ込もうとしていた僕は階段を取って返し一目散に玄関へと向かう。
呼び出し主の予想は大体できている。いつもならこんなに急ぐ必要はないが今は事情が違う。
インターホンで確認もせずにドアを開ける。ドアの向こうには予想通り凛子が立っていた。Tシャツにジーンズといった軽装だ。相変わらず事前の連絡はない。
「かーがり! 廃墟行こうぜっ!」
ドアを閉める。
今度は勝手にドアが開いた。
「あれ? 聞こえなかった? 廃墟行こうよっ!」
反射的に「嫌だ」と言いかけて、やめた。今は外出のネタはあればあるだけ良い。
「分かった。ちょっと待ってて」
「お? 珍しいね?」
「自分で誘っておいて……。少し外で待ってて。すぐに行く」
「んー、暑いから中じゃだめ?」
「いや、すぐ行くから……」
いつもならそうするのだが、今はまずい。今だけはだめだ。
「おーい篝ー! ちょっとコンビニ行くんだけどさぁ」
気の抜けた声が後ろから聞こえた。振り向くとリビングの奥から七星さんが出てくるところだった。
うん。タイミング最悪だ。
「……え」
「……あっ悪い」
茫然としている凛子を見て事態を察した七星さんがすっとリビングに引っ込んでいく。僕はおそるおそる前を向いた。
「……どうしてここに……?」
「……実は、あの人ヒナちゃんの友達だったらしくて」
失敗した。僕は馬鹿か。どうして昨日のうちに説明しておかなかったんだ。これではまるで隠していたみたいではないか。
いや、でもわざわざそんな連絡をいれるのもおかしいか? この人は僕が家に呼んだわけでもないし、そもそも聞かれてもいないのに自分から説明するようなことだろうか。それに実家とはいえ家族ではない女性が滞在しているのは印象が悪くなる気がする。クラスで変な噂がたっては困る。というか僕は単純にこの状況を知られるのが嫌だった。しかしこの人が僕の姉の友人ということが分かれば東海林さんも安心だろうし、やっぱり早めにふたりには教えておくべきだったか。いやでもーー。
「ヒナちゃん帰ってきてるの?」
「え? あ、うん」
どうやら凛子は僕の悩みとは別のことに興味を持ったらしい。
「なんだ! もーっそれならそうと教えてくれればよかったのに! 今ヒナちゃんいる?」
「いるんだけど、まだ寝てるっぽい……」
「そっかぁ。会いたかったなぁ。じゃあヒナちゃんに私が時間あったら会いたがってるって言っておいてね!」
そう言って笑う凛子は、まるで僕が言ったことを気にしていないようだった。
「それで、廃墟って?」
自転車の鍵を開けながら尋ねる。状況がばれてしまった以上、外で待っていてもらう必要はなかったのだが、凛子は律儀に言われた通り玄関の外で待っていた。
「森林公園の先に古い建物があるでしょ? あそこ!」
「ああ、あそこか」
近所で有名な廃墟だ。住宅街から少し外れた位置にある大きな家だ。以前はお金持ちが住んでいたとか言われているが、今は住人はおらず一気に廃墟化して庭だったであろう場所も雑草がこれでもかというほど背が高く延び放題になっている。近所のこどもなら一度は見に行ったことがある場所だ。
「どうして今さらあそこに? 確かにいろんな噂があるにはあるけど」
「今は窓から人影が見えるんだってよ」
その噂、小さい頃にも聞いたことがある気がするけど。
そう言いかけてやめた。そんなことを言ってもあまり意味はないだろう。おそらく行く場所と同行者は凛子の中で最初から決まっているのだろうから。
「分かった。でもその前にちょっと寄っていくから」
自転車を押して歩き始め、少ししてすぐにまた自転車を止める。
家のすぐ横の脇道。一礼して小さな鳥居をくぐる。
祠だ。
父がたまに手入れをしているものの、落としきれずにところどころ苔むしていてどうしても古びた感じは否めない小さな祠。
祠の前で手を合わせる。凛子は何も言わずに付いてきて当たり前のように一緒に手を合わせてくれていた。
ーーお前が守られているのはそのおかげだ。
七星さんの言葉が頭を掠めた。
行こうとして横を見ると、凛子はまだ手を合わせていた。僕の視線に気がつくと顔をあげた。
いつもより少しだけ長いお参りを済ませ、僕たちはそこを後にした。
住宅街から離れ、鬱蒼とした草に囲まれた大きな家。お金持ちが別荘に使っていたという噂がたつのも納得してしまう洋風の家だった。
立派なあちこちに蔦が這い、壁は変色し、割れている窓もある。住んでいる人がいないのは明らかだった。
「変わってないね」
凛子が目を細める。僕たちは小学生の頃に何度かこの洋館に足を運んでいた。
「……そういえば、廃墟とは言っても他人の持ち物なんだから勝手に入るのはまずいんじゃない? こどもの時なら知らなかったで済まされるかもしれないけど……」
「今は所有者不明で管理もされてないし取り壊すこともできなくて市も困ってるらしいよ。ここ結構広い土地だからね。だから誰にも許可取れなかったのよ」
「……なるほど」
ずっと残り続けているのはそういうことだったのか。昔一度は解体の噂があったが、結局なかなか取り壊されずにそのままになってしまったからこそ、色々な噂が立ち心霊スポットとしての存在を強めてしまったわけだが。
「まあそういうわけだから建物の中までは入れないけどね」
「入れなくてなによりだよ」
庭の入り口と思われる場所の外に自転車を止め、建物に近づく。
真夏の青い空の下、爽やかな陽気にはあまりに不釣り合いな洋館がひっそりと佇んでいた。凛子は変わっていないと言っていたけれど、僕には記憶のものよりもずっと古びて見えた。壁はかなり黒ずんでいてよく見ると壁が剥がれ落ちている範囲も多く、蔦も枯れている。昔も人は住んでいなかったが、ここまで退廃的な雰囲気の場所ではなった。それとも、これを見る僕が変わってしまったからだろうか。
「裏手の三階の真ん中の窓だから……こっちこっちー!」
いつのまにか裏に回っていた凛子が建物の影から顔を出して声をかけてきた。僕は黙って彼女の方へと向かった。
「何かいた?」
一応尋ねておく。
凛子が少し後ろに下がり、手で日差しを遮りながら背伸びをして窓を見上げる。
「んー……篝は何か見えるー?」
「何も見えないね」
「ちょっとーっ! 即答! 少しは探してから答えてよ!」
僕のあまりに気持ちの入っていない返答に凛子が怒りーーそして僕らは伸びきった雑草の中で笑った。僕の答えは探す前から用意していたものだったし、凛子も僕の答えを分かっていた。
何もいない。本当に、何も。
こういう時間はなんだか久しぶりに感じた。ここ最近おかしなことが続き過ぎた。張り詰めていた気持ちが緩んでいくのを感じる。
何もないこの懐かしい空間に僕は安心していた。
きっと凛子自身も本当に何かがあるということを期待していたわけではないのだろう。
暑い暑いと言いながら、庭の木の影で僕は凛子のとりとめもない話を聞いていた。
何もない時間が過ぎて行く。何もなくて、だからこそかけがえのない時間が。
「はぁーやっぱりここ、雰囲気は良いけど何も出ないかぁ。今度こそ何かあるかと思ったんだけど」
「出ないよ。前に調べ尽くしたでしょ」
笑いながら言う。
「ーー七星さんなら、何か見えるのかな」
ぽつりと呟いたその言葉に、僕は咄嗟に反応できなかった。
「すごい人だよね。佳奈、すっかり元気になったって」
「そっか。それなら良かった」
どこか気まずくなり、建物の方へと歩いていく。
「そうだ。もし時間あるならどこかに昼ご飯食べに行かない?」
僕は話を打ち切り、かと言ってこのまま帰る気にもなれず凛子を誘う。
「いいの? やった! じゃあ駅前行こ! この前の話もまだしたいし!」
「……うん」
結局そうなるのか。僕は歯切れの悪い返事をして踵を返す。
ふと建物の側にある大きな石が目に入った。
「どこか行きたいところあるー? 私ボテト食べたいなぁ」
話が決まると凛子はさっさと進んで行く。もう庭を出るところだった。
僕はまだ大きな石を見つめていた。そこには落書きと、日付が書いてあった。雨風に削られてかなり薄くはなっているが何が書いてあるのか判別できる。
これはーー四年前の夏の日付。
そうだ。思い出した。
あの夏も僕たちはこの場所に来ていた。僕が止めるのも聞かずに凛子が書いたものだ。
「どうしたのー?」
凛子の呼ぶ声が聞こえる。彼女は覚えているのだろうか。
「今行く」
返事をして歩き出す。一度だけ振り返り、三階の窓を見上げる。
そこにはやっぱり、何もいなかった。




