同じ空の下、僕らは違う世界を歩いていく 第8話 多数決
「黙って聞いていれば子ども相手に恥ずかしい奴だ……」
すっかり打ち解けたふたりに冷や水が浴びせられたのはその時だった。
凛子がはっと顔を上げ僕と目が合う。この声は僕ではない。慌ててふたりして声がした方向に顔を向ける。
その瞬間、僕は背筋が凍るような寒気を感じた。
いつの間にかボックス席に寄りかかるようにしてひとりの女性が立っていた。そのあまりに整った顔立ちは迫力すら感じる。女性にしては背が高い。僕と同じくらいありそうだ。
一体誰だ。この男の知り合いーーではなさそうだが。
「聞き耳を立てているのがあいつらだけだとでも思ったか?」
ちらりと僕たちの方へと顔を向ける。ひとつに結い上げられた髪がさらりと揺れる。
「この男の言うことを真に受けるなよ。当たっているように聞こえるのはお前が答えを教えているからだ」
「なんなんですか、あなたは? ……知り合い?」
若い男の声にはやや苛立ちが含まれている。東海林さんが首をぶんぶんと横に振った。東海林さんが僕と凛子の方にも視線だけ向けてきたが、もちろん仕込みなんてしていない。そもそもそんな時間はなかった。僕たちはただ困惑の表情を浮かべるしかなかった。
僕たちは呆気に取られてただ黙ってその女性を見ていた。女性は男の質問をよそに話を続ける。
「いいか? お前の体調が良くなったのはこの男に話を聞いてもらって安心したからだ。気の持ちようというのは案外大事だ。まあ気の持ちようで良くなったのか、気の持ちようで元々の状態より悪くなっていたのかは分からないがな。そしてこの男が最初と比べて体調が良くなったと言ったのは顔色や口調が良くなったのを見て言っただけ。アドバイスも別になんてことはない一般論だし」
「その、でも、他にも色々……」
東海林さんがしどろもどろになりながら口を開く。しかし女性は呆れた顔をして首を振った。
「お前たちSNSで知り合ったと話していたな?」
「え、あ、はい……」
「大方、そこに書いていたことから推測したか、お前の友だちが書いていたことを見つけてきていたんだろう。くだらない」
女性が吐き捨てるように言う。
こんなに煽って大丈夫なのか。男が何かしでかすのではないか。僕は内心穏やかではなかった。周囲の客も異変に気がつきこちらを覗き込んでいる。土曜日の駅前。カフェの中は満席に近い。女性の容姿も相まってかなり目立っている。だがこれなら、男も迂闊に手は出せないかもしれない。
「言いがかりだ。第一あなたに何が……」
それでももし男が凶器か何か持っていた場合、危険なことに変わりはない。こうなったら仕方ない。とりあえず東海林さんを逃がそう。
僕は口を挟もうとして、
「極めつけはその子に憑いているモノについてだ」
その言葉を聞いて動きを止めた。
「なんだと?」
若い男が眉をひそめる。
「あんなヘドロのような塊が女の子に見えるとはな。まあ確かにどうにかヒト型を保ってはいるが。お前は相当守備範囲が広いと見える。ちなみに少しも離れてくれてなどいないぞ。今もこの男の隣にいる」
「なるほど。あなたにはそこまでしか見えていないわけか」
「なるほど。まだ話足りないのか。おしゃべりな奴だ。なら教えてやるがおそらくこいつは存在が不確かなほど微弱な低級霊が勝手に神格化されさらにその儀式とやらで雑多な思念を吸収しまくった結果できあがった存在といったところだろう。言葉がはっきりしないのはもはや人という存在からだいぶ離れてしまったからだろう。確かに私にはここまでしか見えていないがな」
なんだこの人は。
けれど、間違いない。
この人には僕と同じものが見えている。
「そんなことを言って、誰が証明できると言うんだ。話にならない。カナちゃん、場所を移そう……」
立ち上がろうとした男を遮り女性が言葉を続ける。
「確かにそうだな。見えないものは存在しないと同義に近い。証明なんてできるものか。だが、」
そこまで言って女性は突然僕の顔を見て言った。
「ーー合っているだろう? 少年」
「えっ……」
僕は突然の指名に驚いて咄嗟に言葉が出てこなかった。
「誰だ?」
男が不審そうな視線を向けてくる。ここで嘘をついても仕方がない。
「……話に出てきた例のクラスメイトです。でも彼女に呼ばれたわけじゃなく、話を聞いて勝手に来ただけですけど」
男の表情がやや固くなったような気がした。
「言ってやれ。見えてるだろ?」
顎で男を指す。
何を言い出すんだこの人は。
これじゃあまるで、僕が見えていることが分かっているみたいじゃないか。
女性の顔を見る。女性も僕を見ている。その表情からは何を考えているのかは読み取れない。
この人は一体なんなんだ。しかしそんなことは後回しだ。信頼できる人物かどうかは別として言っていることは当たっている。今なら人目もある。東海林さんをこの男から引き剥がすチャンスだ。
僕はひとつ頷いてみせた。
「……確かに、この人の言う通りです」
「なるほど。だそうだ。というわけでーー多数決なら私の勝ちだな」
女性はそこで初めて笑った。実に満足げな顔をしていた。
「まだ何か言い逃れしようとするなら聞いてやる。ただしこれ以上騒ぎ立てるなら警察を呼ぶから逃げるのなら今のうちだぞ」
「こんな奴まで準備して……いや、こっちの男の仕業か」
男が僕を睨む。僕は黙ってその視線を受け止めた。怒ってはいるようだが案外その口調は冷静だった。
「仕込みがどうか、誰が本当のことを言っているのかは彼女自身が判断すれば良い」
「そうか。ならもう話は済んだ。帰らせてもらう」
「えっちょっ……!」
男が席を立つ。東海林さんも思わず慌てて立ち上がる。
「最後にもうひとつ、当ててやろう」
「なんだと?」
女性は東海林さんの前に置いてあった小箱を手に取り言った。
「この箱の中身は盗聴器か盗撮器だろう?」
女性の表情から、ふっと笑みが消えた。男は女性の手から小箱を奪い返す。
「二度とこの子に近づくなよ。今のやりとりは全部そっちの子が録画しているぞ」
女性の言葉にはっとして凛子を見ると、スマホを構えていた。
「あ、あのっ……!」
「行かせてやれ。大事にしたくなければな」
東海林さんは咄嗟に引き留めようとしたが、男は黙って去っていった。
少しだけ間を開けて、まるで何事もなかったかのようにカフェに賑やかさが戻った。誰ももう僕たちを気に留めてなどいなかった。
男は去った。とりあえず目の前の問題がひとつ解決したと思って良いのだろうか。
東海林さんがへなへなと腰を下ろし、凛子がふうと長く息を吐きながら席にもたれ掛かった。
さすがにあの人が僕らの前に姿を現すことはもうないだろう。
そして一息ついて、僕たちの頭には同じ疑問が浮かんだはずだ。
さてーーこの女性は一体誰なんだ。




