肝試しと花火と噛み合わない僕たち 第1話 何も気づかなかったよ
凛子と佐山君と東海林さん、と僕。奇妙なメンバーで校舎を進む。僕以外の三人は普段から仲が良く奇妙なのは僕がいることなのだが、やはりどことなく居心地が悪い。
廊下を渡りきり階段を下りる。踊り場を過ぎ二階に下りる。さらに階段を下りようとした時だった。
突然東海林さんの足が止まった。何かを小さく呟いた。その様子に気がついたのはやや後ろを歩いていた僕だけだった。東海林さんに小声で声をかける。
「どうしたの?」
東海林さんは黙ったままだった。もしかしたら凛子たちの話し声で聞こえなかったのか。
ーーこの時、少しだけ予感はしていた。
微かに感じるそれを僕はいつも通り無視しようとしていた。そういうものに慣れすぎていたのかもしれない。それに普段なら何事もなく通り過ぎていくだけの事だったし、意識することで良い事があった試しがないので無意識に避けようとしていたのかもしれない。
数歩先に行ってしまっていた凛子と佐山君が後方の異変に気付き振り返った。
「ううん、なんでもない」
そこでようやく東海林さんがはっとしたようにようやく笑顔で答えた。けれど東海林さんはその場から動かないままだ。凛子が心配そうに近寄る。
「大丈夫?」
「大丈夫大丈夫! ちょっと暗くてふらついちゃっただけ」
東海林さんは明るく答えるがどうも様子がおかしい。大丈夫とは言ったものの、その足は一向に先に進もうとしない。さっきまでは普通に談笑しながら歩いていたのだ。今の彼女は明らかに様子がおかしい。
「肩貸すよ。歩ける?」
凛子に懐中電灯を渡すと佐山君が当たり前のように東海林さんの体を支える。なんのためらいもなく不自然さもなくこんなことができるのは佐山君くらいだ。
「いいっていいって! 歩けるよ!」
「ここ暑いからね。もしかしたら熱中症かも」
東海林さんは慌てて離れようとするが、やはりふらついてしまい佐山君が支え直す。
「早く出た方がいい。涼しいところで休もう」
夜とはいえ校舎内は確かに暑かった。滞在時間はそれほど長くはないが確かに可能性はある。
佐山君が東海林さんを支え、凛子が声をかけている。本人は大丈夫大丈夫と繰り返しているが、よく見ると体に力が入っておらずとても大丈夫そうには見えなかった。
僕はというと、ふたりと比べて東海林さんとそれほど親しいわけではないのでできることは限られている。時折声をかけつつ、直接何かをするのはふたりに任せることにした。
あたりを見回し、懐中電灯の明かりが折り返した先にある階段を照らし出す。僕は何気なくその先に目を向ける。
そして、それを見つけた。
懐中電灯の明かりのすぐ外側。ぎりぎり照らされるか照らされないかの範囲。そこにそれはいた。
異様な気配を放つ異物。化物。視界の端に膝下ほどの大きさのヘドロの塊のようなものが佇んでいる。
ひとつ唾を飲んだ。僕はあの化物を知っている。間違いない。あれは屋上前にいた化物だ。幽霊なのか、神なのか、妖怪なのか、それとも何とも言えない化物なのか。
けれど。
どうしてここにいるんだ。
あれが屋上前の扉から動いたところを僕は一度も見たのとがない。あれは『場』に憑いていたのではなかったのか。
異様な気配、気味が悪く、吐き気の込み上げてくる不快感。けれどその場に近づかなければこれまでは何の問題もなかった。短時間であれば近くにいても不快感こそあれ大きな問題はなかった。だからこそあの場を封鎖して人が近づかないようになれば良いと思っていた。
何かいるとは思ったが、まさかこんなところでこの化物に会うことになるとは。
誰かが噂していた校舎の中で聞こえたという何かの『声』。それもあの化物のものなのか。
ただいるだけならまだ良い。何も見えない、聞こえない凛子や佐山君は何も問題ないようだ。実際今も何の影響も受けていないように見える。
だが。
肝試しの時の木下さんの体調不良。あの時は何かを見たショックで気分が悪くなったのだと思っていたが、もしそうではないのだとしたら。
この化物の、その存在自体に何か影響力があるのだとしたら。
もしかしたら東海林さんの異変もこいつのせいなのか。そうだとしたらこのままこいつのいる方向に進んで大丈夫なのかーー。
僕ははっとして、けれどなるべく自然に階段の影に身を潜めた。
懐中電灯の明かりの端で化物の視線がこちらを向いた気がした。
ーー気づかれたか。
予期せぬ出来事に階段を照らしたまま固まってしまっていた。こちらがあちらの存在に気づいていることを気づかれるのは良くない気がする。
「よし、行こう」
佐山君の声が聞こえた。佐山君と東海林さんが体勢を整え直し終えたようだ。
だがあの化物はまだ階下にいる。このまま進むのはまずいかもしれない。けれどこれは僕の憶測に過ぎない。佐山君の言う通り、本当に熱中症なら早く涼しいところで休ませないといけない。
「どうしたんだ? 早く行こう」
一番先頭にいながらなかなか進もうとしない僕に佐山君が声を掛ける。
どうする、なんて言う。化物がいるから反対側の階段から行こう? 無理だ。早く出ようと言っているのにかなり遠回りになってしまう。そんな提案が受け入れられるわけがないし、何より意味が分からない。まず本気だとは思われないだろうし、冗談だとしてもこんな状況で冗談を言うなんてどうかしていると思われるだけだ。
木下さんの時は僕が確認した時にはすでに何もいなくなっていたからまだ良かった。けれどあの化けはまだすぐ近くにいる。
さっき東海林さんはなんと言ったのか。はっきりとは聞き取れなかった。だが僕の聞こえた通りだとするならば。
「何かあったのか? 早く……」
「東海林さん」
僕は佐山君の言葉を遮り、できるだけ静かな声で話し始める。東海林さんは僅かに顔を上げて僕を見た。
「ひとつ、お願いがあるんだ」
もし、あの存在に気がついているならば。
「何?」
「この階段を降りて昇降口を出るまで、自分の足元だけを見ていてほしい。もし何か見えたり聞こえたりした、としても何も言わないでただ足元だけを見て進んでほしい」
僕が変に思われようが、信じてもらえなかろうが、やるしかない。
「な、なんで?」
東海林さんは急な話に戸惑っているようだった。もしくは、何か心当たりがあるか。
「理由は、」
けれど説得している時間はない。
「……とにかく、今だけでいいから僕の言うことに従ってほしい」
「俺が支えてると言ってもこんな暗い中で真下だけ見てたら危ないだろ! 何を急に……」
痺れを切らした佐山君がついに声をあげた。
「ーー分かった」
言い淀む僕の代わりに凛子が話に割って入る。突然の言葉に全員が凛子を見ていた。
「佳奈、篝の言う通りにして。お願い」
「わ……分かった……」
有無を言わせぬ凛子の口調に、もう誰も何も言わなかった。呆気に取られた僕に向き直り、凛子が言う。
「それで、私の佐山君はどうすれば良い?」
「あ……えっと、特に何もしなくて良いんだけど、」
「火野君?」
まさか。なんでここに。
思いがけない声が聞こえた。
この声は、間違いなく木下さんだ。
「木下さん! 今戻るから、校舎の外で待ってて!」
階下に向けて叫ぶ。
木下さんはだめだ。木下さんには見えている。あの化物と会わせたらいけない。
「どうかしたの、大丈夫?」
「大丈夫! 今行く!」
行くしかない。
「僕が先に行く。みんなは必ず僕の後から来てほしい」
振り返りもせず三人に伝えて一歩踏み出す。
僕は嫌な気配を感じているだけだ。今ここで僕に大した変化がないということはおそらく東海林さんより影響が少ないはずだ。だからまず僕が近づいて何も起きないかを試す。
懐中電灯で再び一階への階段を照らす。前だけを見て足早に下りていく。踊り場のちょうど内側の折り返し地点の壁に隠れるように、いる。
視線を合わせない。意識しない。ここには何もいない。
僕は「何も気づかずに」進んでいく。
ほんの数メートル、ほんの数秒、あっという間に化物の隣に並びーー僕は思わず立ち止まった。
体からすっと違和感が無くなったのを感じる。
消えた。
まるで最初から何も無かったかのように、そこには何もいなかった。
もう何の気配もない。おそらくもう安全だろう。
僕は念のためそのまま黙って階段を下りきった。階段の一番下に木下さんが友達と立っていた。
「ごめんなさい。帰ってこないからちょっと心配で……でも待ってた方がよかったよね。邪魔だったかな、ごめんなさい」
申し訳なさそうに謝罪を繰り返す木下さんに慌てて言葉を返す。
「いや、大丈夫大丈夫! こっちこそ遅くなってごめん。とりあえず明るいところに行こう」
頷く木下さんと共に昇降口へと向かう。後ろから他の三人も下りてきていた。昇降口は目の前だ。下駄箱の奥から外灯の灯りがほんのりと差し込んでいる。僕たちの肝試しがようやく終わろうとしていた。
涼しい。
外に出ると夏の夜の風が控えめに吹いていた。きっとずっと外にいたら暑いと感じていたかもしれない。
懐中電灯のスイッチを切る。もう必要なさそうだ。
「遅くなってごめん。これだよね?」
木下さんに校舎で拾ったスマートフォンを渡す。
「うん。ありがとう。ごめんね、面倒なこと頼んじゃって」
「大丈夫だよ。僕が勝手に行っただけだからさ」
何も無かったことを装おうとしたが、果たして僕の下手な演技ではどう伝わったのだろうか。
その後僕たちはぎこちなく軽い挨拶を交わして別れた。
さて。
振り返ると数歩離れたところで凛子と佐山君と東海林さんが僕を見ていた。東海林さんが僕の方へと一歩踏み出した。もう誰にも支えられていない。ひとりでも歩けるようだ。僕はほっと胸を撫で下ろした。
「火野君、あの……さっきの……」
東海林さんがおずおずと切り出す。
「あー……ごめん! 急に変なこと言い出して!」
僕はとりあえず全力で謝ることにした。
「いや、本当急に何言い出すんだって感じだよね。急に具合が悪くなったときには目とか耳とかからの刺激を抑えた方がいいってうちのおじちゃんに聞いたことあってさ。ほら、暗い校舎と懐中電灯の明かりの落差で具合悪くなったのかもしれないし! でも落ち着いて考えたら佐山君の言うとおり暗いんだから危ないよね。ちょっとびっくりしてさ、ごめん!」
ははは、と笑って誤魔化す。自分でも苦しい言い訳だがとりあえず焦ってしまったことにしてしまおう。
「……気分は大丈夫? 平気?」
「うん、もうなんともない。ありがとう」
「そっか、なら良かった。じゃあ僕は上田たちのところに戻るよ。今日は無理しないで休んでね」
普通にやり取りができている。本当になんともないようだ。それだけ確認できればもう僕が出る幕ではない。
後ろを向き足早にその場を立ち去ろうとした。
「火野君!」
逃げようとした僕の背中に東海林さんの声が届く。
「火野君も聞こえてたんだよね……? あの『声』」
ようやくまた暑いなと感じ始めた体に冷や水を浴びせられたようだった。僕は立ち止まり、おそるおそる振り返る。
「火野君が階段を下り始めて少ししたらすぐに体が軽くなったの。それに……『何も聞こえなくなった』」
東海林さんはやはりあれの存在を感じていた。いなくなってくれなかったら何が起きていたのだろう。
「ねえ。一体何をしたの」
東海林さんら真剣な表情をしていた。からかっているとか、試しているとかではなさそうだった。
「僕は、別に」
胸のざわめきを押さえつけながら、僕は用意したセリフを口にする。今度はうまく笑えているだろう。だって、慣れているから。
「何も気づかなかったよ」
こうして僕はいつも通りに嘘をついた。




