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「見てなさい! あんた達の海賊船、私達が、今に沈めてあげるから……!」


 きっと、お姉様は二人が私を陥れたんだと本気で思っているわけじゃない。何時になく険しい口調には、否定を聞く前とは違い、無理矢理自分を奮い立たせているかのような印象があった。多分、そう思いたいだけなんだろう。すっかり信じ切っていたお姉様にとって、一番しっかりしていたはずの私が、そんな信じ難い真似をしでかすなんて、受け入れ難いに違いない。だから、強引にでも二人が悪いという形で納得をしていたいんだ。

 残念ながら、事実とは違う内容に、この二人が肯定も否定も示すことはなかったけれど。


「っ……何とか言いなさいよ! ねえ!!」


 必死に詰るお姉様に一つも言葉を返さないのは、言っても無意味だと判断したのか、或いは余裕のない様を哀れんでいるからなのか。何とも言えない沈黙が流れて、お姉様の後ろに隠されていた末妹は、お姉様と二人の姿を交互に見遣って、再びその愛らしい顔を歪めた。


「ねえ……ねえ、本当に、何かお薬は? 戻せる方法はないの? ねえ……!」


 ほとんど泣いているような状態に近い末妹の姿を目の当たりにしてしまえば、流石に胸の奥が痛んだ。分かっていたはずだ。あの薬を飲めば、成功してもしなくても、少なからず、そういう風になるってことは。だけどいざ現実を突き付けられると、自分で思っていたよりもずっとその覚悟が出来ていなかったことを痛烈に自覚させられた。

 何処までも悲痛な声を出す可愛いあの子に思うところがあったのか、それとも、他に何かしら理由があったのか。赤い視線が、ちらとこちらに向けられた。意図が掴めずに航海士さんを見返すけれど、彼は私には何も言わず、ふ、と息を吐き出すと、お姉様達に歩み寄る。お姉様の顔が一瞬ぎくりと強張ったのは、どんなに若い人とはいえ、航海士さんは明らかにあの人の仲間だからなんだろう。それ程までに畏怖しているのに、少しも退かずに留まったのは……私のことが理由だと、そう、思っても良いんだろうか。


「……この小瓶に、」


 片膝を突いた航海士さんが上着から取り出したのは、特別な細工も何もない、ただの硝子の小瓶だった。とは言っても、掌で包むには僅かに無理がある程度には、そこそこの大きさがあったけど。


「人魚の涙を集めて来い。それと、彼奴の身体もな」


 出された指示に、先に手を伸ばしたのは警戒心のない末妹だ。気付いたお姉様は即座にその手を退けて、慎重な手付きで自分がそれを受け取った。しばらく小瓶を隈なく眺めていたけれど、やがて怪しい品物じゃないと確信を得たんだろう。未だ怯えの抜けきっていない表情のまま、精一杯の強い眼差しを彼へと向ける。


「……涙を、一杯まで詰めれば良いのね?」

「ああ」

「ならすぐできるわ! 待ってて!!」


 航海士さんの肯定を聞いた末妹は、お姉様の手から小瓶を抜き取ると、即座に海へと潜って行った。そんなあの子とは反対に、お姉様は慌てて追うようなことをせず、きつい視線をじっと航海士さんへと向ける。明らかに疑いの眼差しだったけど、彼は何も言わなかった。お姉様が唇をきゅっと引き結んだのは、怪しくないと認めざるを得なかったからか、はたまた、そんな彼でも頼らなければいけないという現実が悔しかったからなのか。


「……嘘だったら、絶対に承知しないから」


 低い声音でそれだけ告げて、お姉様もまた海の底へと潜っていった。多分、私達が普段住んでいる世界に戻ったんだろう。

 これで本当に良かったんだろうか。そもそも、私は助かるんだろうか。涙がどうして必要なのかも分からないし、置いてきぼりにされたような居心地の悪さに、何とはなしに私は視線を巡らせる。と、自然と目を惹かれたのは、やっぱりあの人の姿だった。

 この場に現れたときのような怖さなんて微塵もない。ただ、一層悲しげに陰を落としたワスレナグサの双眸は、私が開け放ったままの古い宝箱をひたすらに映し続けてる。横顔でも分かる程の沈痛な面持ちは、魔法の薬のことを聞いたあの晩に私へと向けられたものと同じだった。

 

 ――この人にだけは、そんな顔をさせるつもりはなかったのに。


 後悔の念が私の胸を締め付ける。あの人は数秒目蓋を伏せると、一度私にワスレナグサを向けてから、すぐ側に佇む航海士さんへと視線を移す。


「……大丈夫かね?」

「ああ」


 迷いなく肯定しながら、彼は私を瞳に再び閉じ込める。真っ直ぐに見てくる深紅の瞳から、思わず目を逸らしてしまう。航海士さんの表情からは、何の気持ちも読み取れない。ただ、心の奥底までやっぱり見透かされている気がして、どうしても逃れたかったんだ。

 どれ程の時が経っただろう。多分、そう長い時間は経過していなかったとは思うけど。


「ほら!」


 そう強く言い放ちながら先に顔を出したのは、末妹ではなくお姉様だった。驚いたけれど、良く考えれば幼いあの子よりもお姉様の方が泳ぐのは速いんだから、当然と言われればその通りだ。次いで、私の身体が他の妹達によって運ばれて来た。


「早かったな」


 振り向きざま、明らかにさっきまでよりも明るさのある調子でそう告げながら、航海士さんはお姉様から小瓶を受け取り、ほんの僅かに首を傾げる。その口角は、僅かに吊り上げられていて。


「そんなに妹が心配かい?」

「当たり前でしょう!」


 航海士さんの表情か、或いは余裕のある態度が気に障ったんだろう。どきりとしたのは、返されたお姉様の言い方が、何時になく激しいものだったせいか……もしくは、あまりにも強く、是が返されたからなのか。当然だと言いたげなそれに、私は自分がどう思ったのかも分からない。


「ねえ、早くお姉様を……!」


 絶えず不安を湛えたまま、急いた様子で末妹が航海士さんを促した。あの子の視線の先にある、航海士さんが手にした小瓶を今一度眺める。姉妹達がやって来るまで、ほんの僅かな時間だった。それにも関わらず、瓶の中には並々と透明な液体が詰まっている。

 あれが、お姉様と、妹達の、涙。

 胸が痛い。色々な感情が次から次へと込み上げて来て、自分でもどんな想いなのかはきちんと把握出来なかった。ただ、深い後悔の念が脳内を染め上げていたことだけは確かだ。あっという間にあの瓶を満たした涙の量を思えば、自分の愚かさを自覚するには十分過ぎた。

 皆の視線を一心に受けた航海士さんは、横たえられた私の身体を一瞥してから、ゆっくりと私に向き直る。


「……どうしたい?」


 ともすれば聞き違いかもしれないと思ってしまう可能性すらある程の、ほんの小さな声だった。きっと私以外には聞き取れなかったことだろう。


「……私は……、」


 答えようとして、迷う。それは望みが決まっていないからじゃない。それを望んでしまって良いのか、あらゆる理由で自信が持てずにいるからだ。


「彼女は何と?」


 どうやら、今の私の言葉は、航海士さん以外にはやっぱり良く聞こえないらしかった。それが何故かは分からない。だけど、却ってそれは良かったのかもしれないと、そんなことを考える。


「……私……」


 ごくゆっくりと胸の内から溢れてくるのは、押し殺していた本心で。見て見ぬふりをしていたそれが、喉を伝って音になる。たった一人、声を聞くことの出来る、彼に伝える為だけに。

 もしかしたら、この人にしか聞こえないのは、こんな本音は、この航海士さんにしか言えないからなのかもしれない。そんなことを、頭の片隅でぼんやり思った。


「私……ずっと……」


 身体を失っているからなのか。見栄だとか体裁だとか、そういうものが全て呆気なく剥されてしまっているような感覚がした。語っているのが、まるで自分ではないような。それでも、私自身の意思でそうすることを望んだような、本当に不思議な感覚だ。

 嗚呼、そうだと、心の中で納得をする。――そうだった。私は、ずっと、昔から。


「っ……妹、が、羨ましくて……!」


 自由に生きている妹達が。何より、可愛らしくて、愛されて、心配をされている末妹が、一等羨ましかった。良い子だからと信頼をされているのかもしれないけれど、意識がこちらに向けられないのは悲しくて、当然のように心配されている妹達が羨ましくて、恋をして輝いているあの子のことが妬ましくて、何より自分が惨めだった、

 心配されたかった。妹達の誰よりも、特にあの末妹よりも。秀でているところが私にもあると思いたかった。どんなに酷い手段を使っても寂しさを埋めてみたかった。あの子が恋するあの人に、あの子よりも好かれることが出来たなら、満足出来ると思ってた。

 だから、きっと、私がヒトになれたなら。


「心配、すると、思ったから……」


 危険だから心配だとか、一緒に生きられない寂しさだとか、悲しみだとか――後悔だとか。色々なもので、皆がぐちゃぐちゃになってしまえば良いと思ってた。今まで放っておかれたんだ。それぐらいの権利はあると信じて疑わなかった。

 私のことを心配してくれるこの人と、あの末妹よりもずっと近くで生きてみたいとも思っていたことは事実だ。けれども結局、私の一番奥底の願いは……私を失って後悔させたい。悲しんで欲しい。皆に心配されてみたい。……そんな、誰よりも子供で、汚れたものだったんだろう。


「だけど……」


 自暴自棄になりながらの想像は漠然としていて曖昧で、見たいと望んでいたくせに、いざ目の当たりにすると、覚悟のなさが浮き彫りになる。本当に子供だ。馬鹿みたいだ。どうしてこんな風になるまで、自分のことすらきちんと分からなかったんだろう。

 最初から、私が願うべきは、そう。


「戻りたい……もっと、一緒に、生きてたい……!」


 涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、ひたすらにそう訴える。涙がぼたぼたと落ちるのに、音もしなければ岩場に染み込むこともない。まるで幻のように消えていく。自業自得なのにそれがまたとても悲しくて、喉を引き攣らせながら泣き声を上げた。

 ああ、本当に、これじゃあまるで小さな子供だ。

 頭の片隅で、酷く冷静な自分が呆れたように今の私を見ているような感覚に陥る。みっともない。自覚しても、自分じゃあどうしようもなくて、ただしゃくり声を上げ続けることしか出来なかった。


「……そうか」


 静かに告げてくる高めの声に、私は懸命に目蓋を上げて前を見る。歪んでしまう世界の先では、ほんの僅かに表情を和らげた航海士さんが、私を真っ直ぐに見詰めてて。


「分かった」


 そう続けて、彼はとても綺麗に笑った。嘲りだとか、呆れだとか、揶揄だとか、そういう悪意は全くない。満足だとか、安堵だとか――歓迎だとか。そういう肯定的な感情ばかりが、そこには込められている気がした。

 一言。たったその一言で、私の不安がすっと消えて行く。彼の笑みには、それだけの大きな力があった。


「良いか」


 背を翻しながら、手にした小瓶を掲げるように持ち上げて切り出す彼が語る相手は、私の姉妹だったのか、はたまた、実は私だったのか。堂々として凛と響く声音はこの場にいる全員の耳朶をしっかりと打つものだったから、正解がどちらかは分からない。


「これを飲ませた瞬間に、戻りたいと願うんだ。そうすりゃ、元に戻れるよ」


 ……ああそうだ。これはきっと、私に向けての言葉なんだ。余裕のないお姉様達は気付いていないみたいだけれど、例え彼が私を見ていなくても、台詞からそれをひしひしと感じた。

 しっかりと小瓶を握った彼は、横たえられた私の身体の前に片膝を突く。髑髏岩の天井に開いている隙間から差し込んだ月光が、丁度薄らと彼を照らして、髪や肌が白いこともあるんだろう。まるで航海士さん自身が光を纏っているようだった。まるで、妖精か何かのよう。とても綺麗で、そして、奇跡を起こすと無条件に信じられる。そんな、淡くて優しい、それでいて確かな輝きが、彼自身にはあったから。


「願い信じろ。それが、この国の一番の力だ」


 詠うように語られる言葉は御伽噺みたいなのに、力強さが込められた声は、それが決して夢ではない、本当のことなんだってことを、私達に示していた。

 誰に指示されるわけでもなく、私は彼の傍に行く。彼は傍らの私を確認して、ふわりと口角を上げて笑った。


「良く見ておきな、オーレリア」


 ほんの小さく呟きながら、私の身体の後頭部に航海士さんの手が差し込まれ、軽く持ち上げられて、小瓶がそっと唇に押しつけられる。傾けられたその瞬間、私は周囲をしっかりと見た。

 妹達と、お姉様と、それから、あの人。航海士さん以外の、この場にいる全員が、手を組みながら目を閉じている。願っているんだとすぐに分かった。それがどんなに真剣なのかも、分からない程子供じゃない。焼き付けるようにその姿を順繰りにじっと眺めて、それから、最後に私が目を閉じた。

 そして――……

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