人を殺すということ 旧型
この作品は、現在こちら『違和感を穿つ滑空砲』にて公開している『人を殺すということ 改』の、リメイク前バージョンとなっております。小説としてのクオリティは低い旨、ご了承ください。あくまで『人を殺すということ 改』と比較するためのものとお考えいただければ幸いです。
現実とはまた少し違った世界。とある時代の、一人の兵士の話。
回想しよう。
俺は、攻撃ヘリの操縦士だ。地上部隊が敵陣地に突入する際、空からそれを支援する部隊に所属している。今日の任務は、テロリストの占拠する建物を叩き、地上部隊の突入前に敵戦力を削ることだった。いつも通りのルーティーン。この戦争は、毎日がこんなことの繰り返しだ。
『今日もいつも通りに軽装備の敵を圧倒できる』……そう、みんな思っていただろう。
「痛ッ……」
消毒液が染みた痛みで、心ここに在らずだった俺の意識は引き戻された。
「どうして撃てなかったの?」
上官に殴られた跡を手当しながら、看護兵はそう尋ねてくる。
「……防大の同期が、この前戦死したんだ。それも、IED即席地雷を食らって動けなくなった装甲車の中で、RPGを食らって」
「それが自分の任務と重なって思えた? トリガーを引くことをためらったってこと?」
頷くと、彼女は一瞬呆れの表情を見せるが、すぐにそれは同情に変わった。憐れみにも近いだろうか。
「解ってるさ。俺がテロリストを殺さなかったことで、多くの味方が戦死した。結局お前は人を殺したのだ。と上官にも言われたし、戦死者の遺族は俺に対して憎しみの表情しか向けてこなかった」
だが、残酷なまでの尊さに触れた心には、どうしようもない躊躇いがしばらく巣食っていた。上司に言われたことはもっともだし、兵士として、ふさわしくないということも理性では理解している。理解しているのだが、指先は動いてくれなかった。
それに対する社会の返答はと言えば、ビデオ通話を通じてすら感じられた、溢れんばかりの遺族の憎しみがそれだ。
端末越しとは言え、軽率に顔合わせを行った上官は、思えば冷静さを欠いていたとしか言いようがない。
「実は……その遺族が、私の友人なの。あなたをもう一度見つけ出して殺してやると躍起になってる」
「知り合いなのか? あ、そうか。君は軍役女子会の運営を……」
看護兵が頷く。彼女の頭に遮られていた夕日が漏れてきて、俺の目を照らした。一瞬怯んでから、俺が口を開く。
「ッ…… 多分、大丈夫だろ。ココは本土から8千キロ離れた中東だぞ?」
「いや、彼女だったらやりかねない。お願いだから、十分注意してほしーー」
話を聞き終わる前に、駐屯地中にけたたましいサイレンが鳴った。敵の奇襲を受けたと知らせる音だ。
一言言う暇もなく席を立ち、医務室の入口近くのストックから銃を取る。
俺を含め、駐屯地中の隊員が走り出した。
唐突だが、俺の所属する中隊は陸軍のみで構成されている。普通科が中心となり、その支援をするヘリや特科などの分隊がいくつか加わる、いわば『小さな師団』と言えるような人員で活動していた。
だから、ヘリ操縦士の俺でも、駐屯地が奇襲された際の配置は決まっている。
駐屯地裏門を見晴らす兵舎の表側ベランダに到着。簡素な銃架に小銃を装着し、銃身を回して周囲を索敵すると、こちらへ向かう3台の装甲車が視認できた。
装甲車といっても、安価な乗用車に鉄板を被せただけの代物。テロリストの定番とも言える装備だ。この小銃の7.62mm弾で容易に撃ち抜ける。俺は訓練通り冷静に、対象の操縦席付近へ照準を合わせ引き金を引こうとした。
だが、いくら力を入れても弾は出なかった。頭が真っ白になる。一体何が起きた? ジャムった弾詰まりか? そう思い、照準器から視線を離して確認すると、そもそも引き金に指が掛かっていなかった。
銃を扱う職種の人間は訓練を受ける際、誤射を避けるため、普段は人差し指を引き金にかけず真っ直ぐ伸ばすことを徹底させられる。
さっきの俺も走ってる間ずっとそんな状態だった。そこから指をかける動作をすることを忘れていたらしい。なぜそんなことになったのか、今の俺には解らない。
まだ心の何処かに躊躇いが巣食っているのだろうか? いや、そんなことを考えるのすら、時間の無駄だった。
その間およそ7秒、俺は致命的な隙を作ってしまった。砂漠の砂が風に舞って、俺の顔をはたく。
ハッと我に返って敵を確認したが、時すでに遅し。敵装甲車の車窓から突き出されたカラシニコフ銃のマズルフラッシュと、カァンというヘルメットを叩く甲高い音が、俺の感じ取る最後の戦場となった。
それから数日後のこと。俺が目覚めたのは、国内の軍人病院だった。聞くところによると、俺は頭に銃弾を受けたが一命はとりとめ、奇跡的に後遺症もなく生き残ったらしい。
しばらく軍の関係者が俺の病室に出入りする日々が続いた。そして退院の日。荷物をまとめているといきなりノックがかかって、病院の職員に連れられた見舞客が入ってくる。
最後に見舞いに来たのは、例の看護兵だった。持ってきた鞄を扉の近くの机に置くと、何かを察したのか職員が部屋を出て行く。
数秒黙った後、彼女が重い口を開けた。
「聞いたよ。自主退職するって?」
軍にとって、俺のような兵士は邪魔でしかない。それに、今回の事で痛感したのだ。俺はもう戦えない。
「……ああ。これでいいんだ。軍にとっても俺にとっても、それが最善だろう」
というのも、いささか冷静さを欠いた行動を上官が執っていた所為で、報復人事的な処罰を上は避けていたらしく、なかなか向こうから追い出して貰えなかったのだ。そこで俺から『出て行く』と言ってやったのである。
私服に着替え、部屋を出る準備をしながら、事のあらましを答えてゆく。
「……君は戦場において、唯一命を助けることができる立場にある人間だ。これからもどうか頑張ってくれ」
「味方を助けるということは…… 敵を、殺すということよ」
振り返った俺に目も合わせず、彼女はそう言った。それにどんな感情がこもっているのか俺には解らない。
命とは。意識の尊さとは。こういう『不明瞭さ』にあるんじゃないかと最近思うようになった。戦場にいると常々叩き込まれるのが、『人間も所詮は物質』だということだ。結局人間の『意識』も、脳細胞の作用に過ぎない。それは、どうしようもない事実だった。
魂は幻想だ。
だが、唯一ただの物理現象と差別化できるところがあるとすれば、それは『不明瞭さが存在する』ことでは無いだろうか。表層で、確かに今感じ取っている意識の他に、自分には感じ取れない深層心理・条件反射…… そんな一見非効率的な構造があるのは、生物の意識、特有の現象ではないか、と思えてならない。
暇な環境に長く置かれたことで、哲学的かつ感傷的になった思考を無理矢理回転させて、今生の別れを惜しむ感情を押し殺す。入口側にいた看護兵の左を通り抜け、扉を開けて廊下に出る。
「……じゃぁな」
今、病室の扉を閉めた。この扉の向こう側で彼女が何を思い、何を口にしたとしても、今の俺には観測のしようがない。
* * *
病室の中。一人になった看護兵が、携帯端末を両手で持って起動する。時刻は午後5時50分。
画面の上を指は滑って、通信アプリを起動。ある人との通話記録を確認していた。
「……ごめんね」
端末から離した右手を、机に置かれた鞄へスライドさせる。
* * *
病院の玄関から出て数歩進み、空を見た。国内は戦場と比べて平和なものだ。辺りを見渡す。自ら、そして他者の命を脅かす必要など存在しなくとも、社会は回っている……そのはずだった。
「あなたは……」
右手を見たとき目に飛び込んで来たのは、くだんの戦死者の遺族だった。看護兵の友人だと、注意するようにと聞かされていた例の女性だ。
「やっと見つけた……」
そう言うと彼女は、どこからともなく包丁を取り出し右手に構える。
「ど、どうしてここが……」
「教えてあげる。女はね、社会性の強い生き物なのよ。」
そんな性差別的な……なんて思考をする余裕もなく、軽いパニックに陥った。まさか、あの看護兵が俺の境遇を?
そんな様子でただ立ち尽くす俺を観察するように数秒黙ると、少しうな垂れるように口角を下げ、静かに彼女はその心境を語り始めた。
「主人が死んだあの日から、顔合わせをしたあの日から。もう味噌汁を、作ってあげられない。と、悟ったあの日から……ずっと悩んでた。ねぇ、命の価値って何?」
「……価値に置き換えることのできないモノだ」
「軍人のあなたからそんな言葉が出るなんてね…… いや、元軍人か。私も前はそう思ってた。みんなにだって、何度も言い聞かされた。けど……」
下げた口角を戻してまっすぐこちらを見据え、彼女は語りかけてくる。
「ねぇ。命の価値って、やっぱり有限よ。」
その目は、明確な殺意を孕んでいた。
「私にとっては、テロリストや、あなたみたいな偽善者よりも、主人の命の方が重かった! それを何で、正義ぶった理論で否定されなきゃいけないの!!!」
そう言うと、彼女は包丁を持った腕を上げ、右半身を突き出すようにして刃先をこちらへピンと向ける。俺を直視したくないのか、顔も、体に合わせて左を向いた。しかし、右目はしっかり睨んでくる。俺を蔑むように。
「けど……主人の命より、あなたの命の方が重い人も居るのは知ってる。だから、私はね……」
ただ謝ってほしい
そう言いかけていたように思える。しかし彼女の思考は、突然右側から発せられた強烈な耳鳴りによって遮られたらしい。俺は、それを理解するのに数秒かかった。
何故なら、俺からは一見すると、彼女の右耳が銃声とともに吹っ飛んだようにしか見えなかったからだ。
銃声の鳴った方を一瞥する。俺から見て右手、病院玄関から出てすぐの場所。ガラス扉に夕日が反射して、彼女を後ろ側から照らす。
「やっぱり私は――」
そこにいたのは看護兵だった。銃の扱いなんて慣れていないだろうに、律儀に人差し指を伸ばして引き金から離している。その足元には、口の開いた彼女の手提げ鞄が落ちていた。
しばらく右耳を抑えながら悶絶している様子だった遺族の彼女だったが、看護兵を一瞥すると、表情を困惑から怒りへ一変させ、看護兵の方へ走った。
人は命の危険が迫ると、妙に冷静になるらしい。俺とは大違いで、彼女はしっかりと引き金に指をかけ、額に照準を合わせ、指先に力を入れる。
「……え」
だが、その排莢口には空薬莢が引っかかっていた。弾詰まりジャムだ。それに彼女は気がつかなかったらしい。指にいくら力を入れても、引き金が動かない様である。
看護兵という実戦に巻き込まれることの少ない兵科に在って、彼女は銃の点検を怠ってしまったようだ。
そのことを理解する前に、包丁の刃先は彼女の下腹部に到達していた。
看護兵が発した一瞬のうめき声を境に、その場にいた全員が沈黙する。
「……あれ?」
目をつぶっていた俺に聞こえてきたのは、そんな気の抜けた声だった。俺はゆっくりと目を開けそちらへ注目する。
「おかしいな。やわらかすぎる……味噌汁に入れる豆腐と大差無い……」
そう言うと彼女はゆっくりと包丁を抜き取って、血まみれの刃を看護兵の首にあてがう。
「本当にこれで死ぬの……? こ、今度はこっちを」
『やめろ』
夕日が俺の後ろから差している。俺が光を遮っていて、ちょうど彼女達の顔あたりに影を落としていた。
拳銃を構える時は、利き腕よりも、それを支える反対側の腕に力を入れるものだ。そんな状態で突然生き絶えた時、握っていたものはどうなるのかといえば、左側に投げられるように落ちる。
「右耳が潰れていてよかったよ……」
おかげで察知されることなくここまで近づき、銃を拾ってジャムリングを解消、構えることまで出来た。
微弱だが、看護兵にはまだ息がある。銃声がしたので警察やら軍人やらが駆け寄ってはいるが、ここに到着するまで少なくとも10秒はかかりそうだ。それまでに彼女は、容易に看護兵の動脈を斬り裂くだろう。
ー命に価値は付けられないー
そんな俺の信条を引っ張り出すより先に、人差し指には力が入ってーー
本作を最初に公開したのは7月24日のことであり、今作の改稿版が投稿される役3ヶ月前となります。
ここまでのご拝読、誠にありがとうございました。