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違和感を穿つ滑空砲  作者: 詩然河勝
一部完結
4/6

人を殺すということ 改

「たとえ戦争中だとしても、人を殺すということは、罪である」

 ーーそんな理論がまかり通る世界は、きっと平和なものだろう。全然俺は、その世界の方が向いている。狭い司令官執務室で、殴られた頰を抑え、虚ろになりながら、彼はそんなことを考えていた。

「敵を生かすということは、即ち、味方を殺すということだ。そんなこともわからない奴が、何故、この対テロ派遣大隊へ寄越されたのか、甚だ理解できん」

 上官の発したその言葉には、誤りがあった。別に、このロジックを彼が持ち合わせなかった、というわけではない。

 平凡な戦闘ヘリパイロットが、いざ、テロリスト拠点制圧の地上作戦を支援するとなった時、理性だとか、そういうことではなく、ただ感情から素直に、引き金を引くのを躊躇ってしまった。それだけの、単純な話だった。

「……なんとか言ったらどうだ」

 上官にそう言われても、口答えすることなどできない。全面的に自分が間違っている。要は、精神が弱かった。ただそれだけの話だと、彼は理解していたから。

 立ち上がって、上官の目の前でしゃがみ、正座する。

 そして、もう、一生人を手にかけられないかもしれない、そう思いながら、彼はゆっくりと、頭を下ろし、地に伏した。

()ッーー」

 ぼんやりとして直前のことを回想していた彼は、消毒液が頰に染みる痛みで、意識を引き戻された。

 駐屯地の一角、軍病院に使われている中くらいの建物の中で、知り合いの女子看護兵から治療を受けている。窓から差し込む夕日は、彼女の頭に遮られる格好で、その頭が動くたびにちらちら、彼の目を照らす。

「それで? 結局、どうして撃てなかったのさ」

 看護兵がそう問いかけてきた。

「……防大の同期が、この前、戦死したんだ。それも、IED(即席地雷)を食らって動けなくなった装甲車ごと、RPGに吹っ飛ばされて」

「それが自分の任務と重なって思えたってこと?」

 頷くと、彼女は同情する様子を見せる。だが、いまの彼にとってはある種、余計なお世話だった。顔をうつむかせ、同情を否定するようように彼が話し始める。

「いいや、同情するこた無いんだ。単に、俺が弱かっただけだ。ーー俺はもう、この仕事を辞めようかと考えている。俺が脅威を排除しなかったことで、多くの味方が、戦死を含む損害を被った。上官に言われたことは正しい、と俺も理解している」

 「なんでもいいけどーー」と、自虐的な話題を展開し始めた彼を制止するように看護兵が口を挟む。それにつられて顔を上げると、いつのまにか治療は終わっていて、看護兵は器具を棚にしまうため向こう側を向いていた。

「まぁ、もし、この場所にいられないっていうなら、本国へ戻るっていうのもアリなんじゃない? SNSが発達した現代、べつに、仲良くなった連中と、今生の別れってわけじゃぁ無いんだし。これを機にアカウントの作り方をーー」

「果たして本当にそうか?」

 間髪入れずに突っ込まれ、彼女は少し体をびくつかせてしまう。

「逆に、SNSが発達した現代だからこそ、きちんと情報統制ができているのか甚だ疑問だ。今回、俺が犯した失態、駐屯地の仲間たちの間で、すでにじわじわ広まっているんじゃないか?」

 そんな弱音を吐いた彼だが、それは単に、ネガティブになった思考回路ゆえにポンと出た、ある種の被害妄想に過ぎなかった。しかし、しばらく経っても彼への返答に迷っている看護兵を見て、彼の不安は徐々に増える。

「……まさか、心当たりがあるのか?」

 「ーー実は」と、どこか観念したような様子で、彼女は語り始めた。

 曰く、SNS経由で話を聞いた戦死者遺族の一人が、偶然、看護兵のかねてよりの親友だったという。その人は本国にいて、しばらくチャット上でしかやり取りをしていないが、それでも、細かい情報の提供をしつこく看護兵へ迫っているということだった。

 「これがそのアカウント」と、携帯端末の画面を開いて見せてきた。ごく一般的な女性のアカウントである。次に看護兵は画面をスワイプさせ、会話記録を彼に見せる。

 [ーーって、あんたの知り合いのパイロットだったよねーー]

 [ーー私がどれだけーー]

 [ーーあんたもそんな奴とつるんでいたってーー]

 その文面からは、異様なまでのしつこさを感じられた。

「ブロックすればいいじゃないか」

「それは、ちょっと……」

 現実で面識があるもの同士のSNS相互フォローは、ある種のマナーと化していて、SNSアカウントをブロックするということは、普通のそれ以上に特別な親交上の意味を持っている。看護兵が躊躇うのも致し方のないことだったのだが、上官の言いつけを愚直に守り、親交用アカウントを作らなかった彼には、理解が難しかった。

「……まぁ、それはいいとして、じゃぁ、なんでお前はさっき俺に、アカウントの作成を勧めようとしたんだ? 一定の距離を置いたほうがいいと思うんだがーー」

 「ともかく!!」と、彼の言葉を看護兵が遮る。

「ともかく、彼女には気をつけてね」

 そう言って話を無理やり終わらせようとした。

 彼女にとって、自主退職を検討しつつある彼とのスムーズな連絡手段を確立することは、彼をSNSから遠ざけることよりも重要だった。そんなことを、彼は知る由も無い。

 しかし、彼の下向きになった思考は彼自身の判断力を鈍らせており、これ以上突っ込むのは野暮だ、という、会話をする上で当たり前に必要な判断力さえ奪っていた。

 「いや、だからーー」と、彼が看護兵へ聞き返そうとしたところで、その場に、けたたましいサイレンが鳴り響く。ーー敵の襲来を知らせる音だった。

「ちっ。悪い、話はまた後で!」

 そういって、彼が建物から外に出、駐屯地内を走る。


 彼の所属する大隊は、普通科中隊が中心となり、その支援をするヘリ中隊や特化中隊などがいくつか加わる、いわば『小さな師団』の体をなしていた。遠地への派遣ということで、少数ながらの高い戦闘力が、求められたためである。そのため、ヘリパイロットである彼も、敵の襲撃を受けた際の防衛配置は定められていた。

 不安定な情緒を抱えたまま陣地を駆け抜け、なんとか駐屯地裏手を望む兵舎裏ベランダへ到着すると、小さな銃架に小銃を嵌め、銃身を回して索敵を行う。すると、こちらへ向かう三台の装甲車が確認できた。

 装甲車、と言っても、安価な乗用車に鉄板をかぶせただけの代物。テロリストの定番とも言える装備である。彼の持つ小銃の7.62mm弾で容易に撃破可能だ。彼は訓練通り、対象の操縦窓付近へ照準を合わせ、引き金を引こうとした。

 ーーしかし、いくら力を入れても引き金は動かない。頭が真っ白になって、適切な対処もおぼつかなくなる。様々な事で頭が一杯だった彼は、セーフティーの解除を失念していたらしい。ただ、それだけの事にすら、彼は気が付けない。敵の眼前で彼はもたついてしまう。

 しかし、何秒もの間、敵に隙を与えてしまった事の方が重大である、ということに気がつくまで、そう時間はかからなかった。だが、たかが数秒、されど数秒。それが戦場である。彼がはっとして敵装甲車を確認した頃には、すでに、装甲車から突き出されたカラシニコフ銃が、マズルフラッシュを吹き出していた。

 カァンーーという音と共に、彼は意識を失った。


 彼が目を覚ましたのは、それから数日後の事である。

 戦地から離れた本国の国立病院で、彼は治療を受けていた。医者の話によると、ライフル弾が大脳皮質をかすめはしたが、一命は取り留め、奇跡的に後遺症の残る可能性も低いという。それから数日間、彼の部屋には軍の関係者が頻繁に出入りした。

 はじめ彼は、SNSで彼の失態を知った兵士たちが押し寄せるのでは、などと考えていたが、その実、やってくるのは上官と言える人間のみであった。看護兵から、彼が退職の意を持っていると報告があったため、その手続きの関係上、直接会って話をする必要があったからである。

 それに対し反論する理由も、彼は特に持ち合わせていなかった。

 そして、すべての手続きを終え、退院の日。彼の部屋へ最後に来たのは、例の看護兵だった。

「本当に、辞めちゃうんだね……」

「ああ。俺にとって、これが最善なんだ。もう、俺は、人を殺せない」

 目を合わせないように、そそくさと退院の準備をする。しかし、やはりちらちらと視界にその姿を入れてしまう。彼女はずっと無言だったが、その姿から、かなり落ち込んでいる様子が見て取れた。

「ーー君は、軍の役職の中で唯一、人を助けることができる職の人間だ。どうかこれからも頑張ってくれ」

 一通り準備を終えてから、そう言葉をかける。彼にとっては、激励のつもりだった。

「……味方を助けるということは、敵を、殺すということだよ」

 彼女はただ俯いて目も合わせず、そう呟いた。

 そんな、予想外の回答に対する言葉を、彼は持ち合わせていなかった。一抹の悲しさを抱きつつ、彼はそのまま、部屋を後にしようとした。

 「待って」と、彼女が呼び止める。それに応じて彼が振り返る。

 実は、SNS上の連絡手段を共有していない二人にとって、これが今生の別れとなる可能性が高い。ーーなんていう事よりも、何よりも、彼女は、重大かつネガティブな話題として、彼に伝えなければならないある事柄があった。

 しかし、いざ、という時になって、その言葉が思い浮かばない。どうしても浮かんでこない。彼女の焦りを、不思議そうな顔でこちらを見てくる彼がいっそう大きくする。

「ーー元気でね」

 結局、看護兵は、それしか言えなかった。


 病院の玄関を抜けて、コンクリ製の低い踊り場を少し進み、3段程度の階段を降りて、立ち止まり、見ると、ちょうどあの日、敵の襲撃を受けた頃と、同じような夕焼けが見えた。

 『敵を生かすは味方殺し、味方を生かすは敵殺し』……そんなどこまでも極まって総体化された理論を持ち出す必要もない、平和な世界だ。そう思って辺りを見渡す。他者の命を脅かす必要などなく、社会は回っている。ーーそのはずだった。

「お前は……!」

 右手側を見た時、目に飛び込んできたのは、くだんの遺族だった。看護兵にSNSのアカウントを見せてもらった、例の女性だ。

「やっと、見つけた……」

 そう言うと彼女は、どこからともなく包丁を取り出し、右手で持って、斜め下へ伸ばすように構えた。咄嗟に、胸ポケットに携帯しているはずの拳銃へ手を伸ばす。しかし、そこに目的のものは存在しない。

 そうか、まだ軍務についている人間なら携帯火器類の所持が許されるが、すでに軍務を離れた自分はそうではなく、すでに携帯火器類を返却していたのだった。ーーそう気がつくまで、時間はかからない。彼の立ち振る舞いから、先方も、彼がそんな一連の思考をしたのだと悟ったのか、すぐには襲いかかってこなかった。彼が口を開く。

「どうしてここが……?」

「教えてあげる。女はね、社会性の強い生き物なの」

 そんな性差別的な。ーーなんて思考をする余裕もなく、彼は軽いパニックに陥った。まさか、あの看護兵が俺の情報を売ったのか、と。

 そんな様子でただ立ち尽くす彼を、観察するように、先方は数秒黙ると、少し顔を下げ、語り始めた。

「主人を失ったあの日から、ずっと悩んでいた。ーーねぇ、あんたは、命の価値って、何だと思う?」

「……価値に置き換えることのできない代物だ」

 彼はそう答えた。

「軍人のあなたから、そんな言葉が出るなんてね。……いや、()、軍人か。私も、少し前まではそう思っていた。主人が死んでからだって、周りのみんなにも、何度となく言い聞かされてきた」

 「けどーー」と彼女は続ける。

「命の価値は、やっぱり有限だ……って、気づいた」

 顔を上げ、しっかりと相手を見据える。その目はまだ涙こそ流して居なかったが、明らかに悲壮感のような何かを孕んでいた。

「私にとっては、テロリストや、あんたみたいなクソ偽善者なんかよりも、主人の命の方が、ずっと、ずっと、ずーっと、重かった!! それをなんで、正義ぶった理論で、否定されなきゃいけない!!!」

 彼女はそう叫ぶと、右腕を上げて前に突き出し、それに伴って体全体を左、病院側へ傾けるようにして、それでも目線だけは彼をしっかりと捉えながら、包丁を構える。

「けれど、主人の命より、あんたの命の方が重いと思う人を、私は知っている。だから、私はね……」

 「ただ謝ってほしい」ーーそう言いかけた。

 しかしその言葉は、彼女の右耳から雪崩れ込んできた破裂するような耳鳴りと、それに追従する熱さによって遮られた。それを見ていた彼は、彼女の右耳が、病院側から聞こえた銃声と共に吹っ飛んだ様子を、観測した。

 銃声の鳴った方を見る。病院玄関から出てすぐくらいの場所、コンクリ製の低い踊り場があって、その上に屋根があるようなそんな場所で、一人の女性が、両手でしっかり拳銃を構えていた。病院のガラス扉に夕日が反射して、彼女を後ろ側から照らす。

「やっぱり私はーー」

 そこにいたのは看護兵だった。戦闘中も詰所で待機していなければならない役職で、銃の扱いなんて慣れていないだろうに、あの距離で人の耳を吹っ飛ばしてみせたのだ。その足元には、口の開いた彼女の手提げカバンが落ちていた。

 しばらく耳を抑えていた遺族の女は、看護兵を見ると、表情を一気に変え、包丁をそちら側へ向けるように腹のあたりで構え、看護兵の方へ突撃し始める。

 当然、もう彼女に惜しみなど無い看護兵は、冷静に、照準を額に合わせ、引き金に指をかけ、手に、指先に、力を込めた。

「ーーえ」

 しかし、弾は出ない。

 排莢口に薬莢が詰まっていた。弾詰まりである。しばらく銃を扱うことなど無かった彼女は、メンテナンスを怠っていたらしい。

 そのことを彼女自身が理解するより早く、包丁は、確実に、下腹部の全てを貫いた。

 看護兵の発した小さなうめき声を境に、その場に居た全ての人間が、しばらく沈黙する。

「……あれ?」

 彼女は、そんな腑抜けた声を上げてしまった。あまりにも実感がなさすぎる。これでは、豆腐に刃を入れる時と大差ない。そう感じるほど、人の腹は柔らかかった。

「本当に、殺せるの……?」

 そう呟くと、ゆっくりと包丁を抜き取って、血塗れの刃を看護兵の首にあてがう。

「これで、とどめ……!」

()()()

 そう、制止され、彼女は反射的にそちらの方を振り返る。そこには一人の男が立っていた。後ろから直接夕日が刺していて、顔はよく見えなかったが、その男が、先ほどまで自分が追い詰めていた相手であること、そして、その手には、看護兵の落とした拳銃が握られていることを、彼女は理解できた。

「右耳が潰れていてよかったよ……」

 彼女の右耳が潰れていたおかげで、そちら側の聴覚が弱まり、そのある種の死角から近付き、拳銃を拾い、弾詰まりを解消、そして、確実に脳天を狙い、定める、この工程をなんの障害もなく、彼は遂行することができた。

 微弱だが、看護兵にはまだ息がある。銃声がしたので警察やら軍人やらが駆け寄ってはいるが、ここに到着するまで少しのいとまがありそうだ。その間に彼女は、容易に看護兵の動脈を斬り裂くだろう。

『命に価値は付けられない』

 そんな信条を引っ張り出すより先に、人差し指には力が入ってーー


人を殺すということ

 この作品は、過去作のリメイク版となります。ご精査ください。

 ツイッターにてアンケートを実施し、『公開してほしい』というご意見が多ければ、比較対象として旧バージョンも公開いたします。

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