その19
――地獄谷ニ日目――
昨日は、ハチの襲撃以来平穏だったが、今日は、昼までに三度も襲撃に遭っていた。
最初の襲撃は、早朝、テントで寝ていた所を襲われた。相手は、小さなクワガタ虫ほどもある大アゴを持った赤い蟻だった。動物の襲撃に備えて岩壁の大きな窪みの中にテントを作り、その周りを木の柵で覆っていたのだが、まさか柵をくぐり抜けて、テントを喰い破って来る小さな襲撃者がいるとは思っても見なかった。
蟻に噛みつかれたみゆきの悲鳴で、テントの中はてんやわんやの大騒ぎになった。全員がテントから飛び出て、服の中にもぐりこんだ蟻を脱いだTシャツで叩き落とすと、テントの中にいた蟻を追い出し、焚火を使って退治した。なんとか蟻を退治し終わった頃には、全員、噛まれてできた血の玉がいたるところにできていた。
ニ回目の襲撃は、全員が蟻に噛まれた傷の手当ても終え、朝食を済ませてテントを片付けていた最中だった。
「キャー!」
突然、菊乃の甲高い悲鳴が上がった! 何事かと菊乃を見ると、体長五メートル近く、胴回りは太いところだと女性のウエストぐらいある双頭の巨大青大将が、菊乃の足に巻きついて鋭い牙をふくらはぎに食い込ませていた。慌てた毬藻とみゆきが、二つある蛇の頭をそれぞれ掴み、歩が蛇の尻尾を持って、三人がかりで双頭の大蛇を引っぺがしにかかった。
毒のない蛇だったのは幸いだったが、菊乃の足には、二つの大きな歯型と巻きつかれた時にできたとぐろ状の痣が、くっきりと残ることになってしまった。もう少し助けるのが遅ければ、蛇の巻きつく力で菊乃の足がぽっきりと折れていたかもしれなかった。
双頭の大蛇は、歩の『食料確保!』の一言で頭を落とされ、皮を剥がれ、一口大にきざまれて焼かれ、醤油タレに漬け込まれて食料となった。
三回目の襲撃は、昼食の準備の最中に襲われた。昨日の大鷲が、再び襲ってきたのである。
天空からの大鷲の執拗な攻撃に命の危険を感じたので、毬藻は、拳銃を使うことにした。毬藻は大鷲に狙いを定めながらも、『この大鷲、天然記念物に指定されていたらどうしよう』と不安を覚えつつ、人命第一と考えて、大ケガを負わせないように大鷲の羽に向けて銃弾を一発撃ち込んだ。羽の先っぽに銃弾が貫通すると、それに驚いた大鷲は、上空に高く飛び去ってそのまま見えなくなり二度と現れなかった。
大鷲の危険も去り、さらに谷の奥へと進む毬藻たちであったが、動物の襲撃に神経を張り詰めているために疲労がピークに達し、歩く足が遅れがちになっていた。
「――もう少し行ったところで、今日の寝床を確保しましょう」
毬藻が疲れきった研修生を気遣い、早めに野営することを決めて後ろを振り返ると、ついて来ている思っていた研修生たちの姿がなかった。焦った毬藻はすぐに引き返すと、研修生の三人は岩に寄りかかるようにして倒れていた。
「三人とも、どうしたの!」
駆け寄る毬藻に、歩が顔だけ上げて言った。
「………毬藻さん……なんか体がだるいよぉ………」
毬藻が倒れている歩を抱き起こすと、体がやけに熱く感じた。毬藻は、歩の額に手を置いてみた。
「大変! すごい熱じゃない! ――歩ちゃん、しっかりして!」
歩は、毬藻の呼びかけにも答え応じず、ただ『ハァハァ』と荒い息をあげるだけだった。みゆきと菊乃のニ人は、高熱ですでに意識を失っていた。
――地獄谷三日目――
研修生たちが倒れてから丸一日経過したが、三人は一向に良くなる気配を見せなかった。むしろ悪くなる一方だった。
初めは単なる風邪なのかと思ったのだが、三人同時に体調を崩したところが引っかかった。地獄谷に入ってからおかしなことばかり起こっていたので、もしかしたら地獄谷特有の病気ではないかと、毬藻は疑った。もしそうだとしても、今は何も知るすべはない。毬藻は、とりあえず三人を安静にさせて、回復するまで様子を見ることにした。
それにしても、昨日は運が良かった。研修生が倒れた場所のすぐ近くに、偶然、洞穴を見つけることができたのだ。おかげで動物たちの襲撃を受けることなく、三人を無事に洞穴へと運び、エアマットを敷いて寝かせることができた。その後、毬藻はすぐに枝を拾い集め、外敵を防ぐための木の柵を作りにかかった。出来上がった木の柵を洞穴の入り口に設置し終えた頃には、地獄谷は夜を迎え暗闇に包まれていた。
毬藻は、出来上がった貧弱な木の柵を見て、不安な気持ちに駆られながら一晩を過ごすはめになった。毬藻は不安な気持ちを誤魔化すために、解熱剤を三人に飲ませ、研修生たちの流れ出る汗をふき取ってあげたり、水で濡らしたタオルを額に乗せて冷やしたり、脱水症状にならないように水を口に含ませたりして、研修生の看病に専念した。それで一日があっという間に過ぎていった。
――地獄谷四日目――
研修生たちは依然として高熱にうなされ、床に伏したままだった。さらに困ったことに、持参してきた水と食料が残り少なくなっていた。
毬藻は、一人で食料と水を調達しに行きたい衝動にかられたが、椿から『どんなことがあっても必ず四人で行動すること』と念を押されていたので、一人で何も行動できずにやきもきしていた。
食料はともかく、水が少なくなってきたのは痛かった。研修生たちは、高熱のために汗が止めどなく流れ出るので、定期的に水分補給をしないとすぐに唇がカサカサになって脱水症状を起こしてしまう。すでに毬藻は、自分の飲み水を減らし研修生たちに分け与えていたが、その分ももう残りわずかとなっている。水がなくなれば、病人三人を抱えたまま目的の場所に行かなくてはならなくなる。それができなければリタイヤするしかない。
毬藻は、ここまで来てリタイヤはしたくないと思ったのだが、研修生の状態を考えればそれも止むを得ないことかも知れないと感じていた。