その16
「チッ! ガキのくせして、しぶといヤツだ!」
男は、荒い息を上げながら鞭打つ手を止め、天井からぶら下がる椿を、単なる肉の塊を見るかのような冷たい目で見ながら苦々しく言った。
天井から吊り下げられた椿は、見るも無残な姿になっていた。ところ構わず鞭打たれたたせいで、全身に皮膚を削り取られた帯状の傷跡が無数に走り、千切れ飛んだブラジャーの下には、真っ白で形の良かった乳房が真っ赤な血の丘に変わっていた。全身から流れ出る血が腕から腹へ、腹から足へ、そして、足先を伝わって床に血溜まりを作っている。
椿はうな垂れたまま、ぴくりとも動かなかった。
「しょうがねえ、こいつを殺してさっさとここを引き払うしかねえな」
男はそう言って、ボストンバッグ二つを取り出すと、壁に掛けてあった銃やナイフを次から次へと詰め込んでいった。ボストンバッグがパンパンになると、次は、パソコンを立ち上げ、中のデータを消去してからハードディスクを取り出して叩き割った。それが終ると、男は、地下室の隅からドラム缶を持って来ると、中に入っていた液体を撒き散らした。部屋中にガソリンの臭いがたちこめる。
「お前のせいでここを引き払うはめになっちまったよ。大損害だ」
男は、カウンターに置かれたバーボンをビンごとグイッとあおると、いきなり腰に差していたアーミーナイフを椿に投げつけた。
「あああっ!」
アーミーナイフが、縛られて血の気の失って白くなった椿の右手首に深々と刺り、ナイフの先端が骨を突き抜け手首の裏側に顔を出した。手首からは血が噴き出し、椿が苦痛で顔を歪めた。
男はバーボンを片手に持ち、怒りで顔を歪めながら椿に歩み寄る。
「――これだけの武器コレクションを揃えるために、どれだけ金をつぎ込んできたか……そのために俺がどれだけ苦労してきたか、お前にわかるか? その大事なコレクションの大半をここで失う俺の辛さは、お前には到底わかるまい……」
男は、机の上に置かれたバタフライ・ナイフを取って手元でクルクル回すと、今度は椿の左の太ももに突き刺し、ねじり上げた。
「ああぁぁぁぁぁっ!」
椿の甲高い悲鳴が地下室に反響した。
「お前は、ここで俺のコレクションと一緒に燃え尽きて死ね!」
男は持っていたバーボンのビンを床に叩きつけ、武器の詰まったボストンバッグを両手に持って出口に向かおうとした。
その時――
「椿!」
大声を上げて百合子、キリー、サスケの三人が、銃を構えながら地下室に飛び込むように入ってきた。慌てた男は、ボストンバッグを放り投げると、急いで椿の後ろに隠れて銃を取り出した。
吊るされた椿がくるりと回転して、百合子たちの前に血だらけの姿を見せた。
「マ、ママ……」
椿が虚ろな目を向けて、か細い声で百合子を呼んだ。
「つ、椿っ! な、なんて酷いことを!」
腕にはナイフが突き刺さり、裸同然の格好で傷を受けて血だらけになった椿の姿を見て、百合子は怒りのために声が震えていた。キリーもサスケも、あまりにも惨たらしい姿に目をそむけたくなるほどだった。
「この小娘の仲間か! ――お前ら! この小娘を殺されたくなかったら武器を捨てな!」
男は、椿の頭に銃口を突きつけて怒鳴った。
「うちの子にこんなことして、ただで済むと思ってんの! あんた、絶対に許さないわよ!」
男に銃をむけたまま、百合子は憤怒の形相で睨みつけた。
「なんだ、お前の娘か? ――おっと、早く武器を捨てな! さもないと、お前の可愛い娘の腹に大きな風穴が開くぞ!」
銃口を椿の腹部に移すと、男は引き金を引く素振りをした。
「キリー、サスケ……ごめん、武器を捨てて……」
百合子とキリーは拳銃を、サスケは愛刀<十六夜>を床を滑らすようにして放り投げた。
「よーし! まずお前たちから片付けてやる。誰を最初に殺してやろうか? 色白のねえちゃんからか? それとも、そっちの色黒のねえちゃんか? やっぱりこの小娘の母親からかな?」
百合子たちの武器を奪って安心したのか、男は下卑た笑みを浮べながら無防備に椿の前に進み出て、百合子たち一人一人に銃口を向けて遊んでいる。
そこへ男の視界からそれた椿が、血に染まった右足をゆっくりと上げた。
男は、反射的に椿の方を振り向いた。椿は、振り上げた足の指で右腕に刺さっているナイフを引き抜くと、そのまま男の顔めがけて一気に振り下ろした。
「がああああああぁっ!」
男は顔を手で押さえ、呻き声とともに床に転げまわった。椿が振り下ろしたナイフが、男の額から左眼を通ってアゴの先まで切り裂いたのである。男の顔を押さえた手の間からは、シャワーのように血が噴き出していた。
「このガキがぁぁぁぁっ!」
男は銃口を椿に向け、怒鳴り声を上げながら引き金に引こうとした。それを阻止しようと、百合子が飛び込んで男に体当たりをした。
三発の銃声が轟音の束となって地下室を震わした。男が四発目を撃とうとした時、銃を拾い上げたキリーが、男の右手と右肩に素早く銃弾を撃ちこんでいた。
男は持っていた銃を吹っ飛ばされ、もんどりを打って倒れたが、すぐに飛び起きて地下室の奥へと逃げて行った。
「野郎! 逃げる気か!」
キリーが逃げる男を追いかけようとしたが、サスケに鋭い声で止められた。
「キリー、待って! 百合子さんが!」
キリーが百合子を見ると、椿の足元で血だらけで倒れていた。男が椿に向けて銃を撃った際、百合子は男との間に割って入り、椿を庇って代わりに撃たれていたのだ。
キリーが百合子を抱き起こすと、ごぼっと口から鮮血が溢れ出た。銃弾が胸部に二発、腹部に一発命中していた。そのうちの一発が心臓を打ち抜いており、その傷が致命傷で百合子は助からないということを、キリーはすぐにわかってしまった。
サスケに縄を解かれた椿が、這いずるように百合子のもとに来た。
「ママ! ママ! ママ! 死なないで!」
椿は、目に涙を湛えて百合子の体にすがりついた。
百合子が、声を絞り出すように、とぎれとぎれで椿に語りかけた。
「ごめん…ね……あなたと……一緒に……行こう…と……思って……いたのに………行け…なくなっ……た…みた……い………」
百合子は、震える手を胸ポケットに差し込むと、そこから取り出した物を椿に差し出した。それは真っ赤な血に染まり、百合子の胸を貫いた銃弾で穴が開いてしまった〈マリオワールド〉のチケットだった。
百合子はチケットを手渡すと、優しい笑みを浮べたまま力尽きてしまった。
「ママ? ……ママ! 嫌ぁぁぁぁぁぁぁっ!」
椿は、傷だらけの動かない腕で百合子をきつく抱きしめると、心を切り裂かれた悲しみの痛みに絶えきれずに髪を振り乱し、狂ったように絶叫した。
椿の泣き叫ぶ声を打ち消すかのように、地下室全体がボン! という音とともにオレンジ色の炎の波に包まれた。
「あの野郎! 地下室に火を放ちやがった!」
すぐにキリーは泣き叫ぶ椿を抱きかかえ、サスケが百合子の亡骸を背負うと、火の海となった地下室から脱出した。
地下室を覆う紅蓮の炎が、椿の気持ちに呼応するかのように、狂ったように燃え盛っていった。
「椿さんにそんな過去があったなんて知りませんでした……」
毬藻は、墓参りを終えて会社に戻る車中で、刃無社長が語ってくれた椿の昔話を思い返していた。
「刃無社長の話を聞いて、昨日、椿さんがあんなに怒ったのか解ったような気がします。無謀な行動が仲間の命を危険にさらすってことを、椿さんは身をもって知っていたんですから。――もしかしたら、椿さんは、あたしたちの行動と自分の過去をダブらせていたのかもしれませんね」
菊乃の意見に、皆、無言で頷いていた。
「今回のことで、わたしは自分の実力のなさを痛感させられました。今のままじゃ、また仲間の命を危険にさらしてしまいます。そうしたら、また椿さんに嫌な過去を思い出させてしまう……そうならないためにも、わたし強くなりたい! もっと強くなって、どんな敵からも仲間を守れるようなハンターになれば、椿さんもわたしのことを認めてくれるはずです。キリー先輩、わたしは強くなれますか? もし、なれるのなら、強くなる方法を教えてください!」
毬藻が真剣な眼差しで、前方に座るキリーを見据えて言った。