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その13 椿の過去

 サスケ、キリー、毬藻は、研修生の三人が入院している西新宿にあるヒルトン医科大学病院に来ていた。


 ここは世界でも珍しい、大手ホテル会社と提携している病院である。目の前にそびえ立つ全面ガラス張りのきらびやかなビルと、その建物を囲むようにして造られた緑の庭園は、誰もここが病院だとは思わないであろう。まさに高級ホテルそのものである。


 ヒルトン医科大学病院の素晴らしいのは外観だけではない。一流ホテルが持つ接客サービスのノウハウを取り入れ、『患者様は、神様です!』をモットーに世界最高の医療技術と世界最高のサービスを提供している病院である。昨年、有名タウン誌には『死んでもいいから一度は入院したい人気の病院ベスト10』に、堂々の一位に選ばれている。


 この病院に来ると、その壮観さとあまりの人の多さに大抵の人は圧倒される。毬藻もその一人だった。車の中で一人待つ毬藻が、太陽の光を浴びてキラキラと輝くその建物に目を奪われていると、迎えに行ったキリーとサスケに連れられて研修生たちがやって来た。


「毬藻さん、おっはよーございまーす!」


 元気で張りのある声が、車内に飛び込んできた。歩、みゆき、菊乃の三人は、昨日のケガの後遺症もなく、皆、元気な姿を見せていた。


 歩とみゆきは三列シートの一番後ろの座席を陣取り、菊乃は二列目の毬藻の隣にちょこんと座った。研修生が乗車すると、静かだった車内が一気に賑やかになった。


「遅れてごめんさない。ちょっと退院手続きに時間がかかってしまいました」


 最後に運転席に乗り込んできたサスケが毬藻に謝った。それに対して、怒り心頭のみゆきが声を荒げて言った。


「あの医者のおやじがいけないんですよ! もう痛くも痒くもないっていっているのに信じないし、検査と称して素っ裸にされて、うちらの玉の肌を見放題・さわり放題だったんですよ! あれは完全なドクター・ハラスメントだよ、ドクハラ! なんで高い入院費を支払ってまで裸になんなきゃいけないんだよ! あったまくるなー! ――おやじども、いい思いをしたんだから逆に金を払えってんだよ、まったく!」


 自分で入院費を払ったわけでもないのだが、それでもみゆきは許せないらしい。


「お医者様が信じられなくても、しょうがないわ。重傷患者だったあなたたちが、一日で治ってピンピンしているのですから」


 サスケは車をゆっくりと発進しながら、興奮するみゆきをなだめるように言った。それでもみゆきは気持ちが治まらないようで、車の窓を開けると目の前を横切る病院に向かって、思いつく限りの悪態をついた。それを見て、歩はゲラゲラと笑っている。


 騒がしいみゆきと歩をよそに、菊乃が真剣な面持ちで毬藻に話しかけた。


「毬藻さん、昨日は本当にすみませんでした。わたしたちのせいで椿さんに相当怒られたと聞きました。今後、ご迷惑をかけないよう気を引き締めて仕事に臨みますので、お許しください」


 菊乃は恐縮ながら、深々と頭をさげた。


「いいのよ。責任はわたしの方にあるんだから」


「でもわたしたちがいい出さなければ、こんなことにはならなかったわけですし、それに立場を悪くしてしまったのは事実ですから……すみませんでした」


 菊乃が再度謝ると、騒いでいた歩とみゆきも菊乃に倣って毬藻に謝った。


「ホントにもういいから、気にしないで」


 研修生に面と向かって謝れると、毬藻は急に恥ずかしくなった。


「それにしても昨日の椿さんは恐ろしかったぁ……いきなり凄い剣幕でバチコーンって毬藻さんのことを引っ叩くんだもんなぁ。歩なんて怖くてワーワー泣き出すしな。――サスケさん、もしかして会社に戻ったら、うちらも椿さんにどつかれるんでしょうか?」


 自分で言いながら、みゆきは昨日のことを思い出して身震いした。


「そんなことないわよ。椿さんは、根は優しい人ですから。昨日は、あなたたちの行動が彼女の琴線に触れてしまったせいで、つい感情が高まってあのような行動にでてしまったのでしょう。あんなことは滅多にないから大丈夫よ」


「そうなんだ! あー、よかったぁ! 会社に戻ったらいきなり往復ビンタをされるかと思って、ボク、ひやひやしてたんだぁ」


 サスケの言葉に、歩が安堵の表情を浮かべた。


「そういえば昨日遭遇したあの男は、どうなったのですか?」


 菊乃が“おかまデブ”のことを尋ねると、それにキリーが答えた。


「今、百の眼の姐さんが素性と足取りを調べてる。うちのメンバーにこれだけのことをしたんだ、絶対に見つけ出してこの落とし前をつけさせてやるよ」


 明るく話す口調とは裏腹に、キリーの鋭い眼は怒りに燃えているようだった。毬藻は、怒ったキリーに捕まった“おかまデブ”がどんな仕打ちを受けるかを想像して、少し同情したくなった。


 サスケの運転する車は、ヒルトン東京医科大学病院の敷地を出て新宿駅を通り過ぎると、いつもの明治通りではなく、四谷四丁目の交差点を右折してから外苑西通りを走っていた。


「サスケさん、外苑西通りだと会社まで遠回りになりますよ?」


 毬藻は新宿御苑を目の前に見えたので、サスケが道を間違えたと思った。


「ちょっと寄り道しますね。皆さんに一緒に来て欲しいところがあります」


 サスケは、バックミラー越しに後部座席の四人を覗き見て言った。


「どこに行くんですか?」


 毬藻が聞くと、キリーがサスケの代わりに答えた。


「それは行ってからのお楽しみだ」




 サスケ、キリー、毬藻と、研修生の歩、みゆき、菊乃の一行は、桜並木の遊歩道を気持良さそうに歩いている。青々と茂った桜の木々の葉が緑のトンネルを作り出し、針で刺すような太陽の強い陽射しを遮ってくれている。


 一見すると、どこにでもあるような公園の遊歩道のようだが、桜の木の奥には、大小様々な墓石が整然とならんでおり、墓石の林が通りの先の方にまで続いていた。


 ――青山墓地。二十六万㎡という都内最大面積のこの霊園は、明治五年、徳川家の家臣であった青山忠成の屋敷跡に、社寺などに帰属しない共同墓地第一号として造られた霊園である。多くの著名人が眠ることでも有名なこの場所にやって来ていた。


 ハンターズ一行は、森林浴を楽しむかのように、木々に囲まれた遊歩道をゆっくりと歩いていく。先頭を歩くサスケの隣には、歩とみゆきが手をつなぎながら一緒に歩き、その少し後にキリーと毬藻と菊乃が続いている。


 大きな白いユリの花束を抱えたサスケが、著名人の眠るお墓を指差して教えていた。


 明治維新の功臣、首相、歌人、歌舞伎役者、さらには渋谷で銅像にもなっている忠犬ハチ公の墓碑の説明を聞いて、みゆきは感心していた。歩は、お墓の説明が終るたびに、墓石に手を合わせて『南無南無南無』と拝む。その姿が妙におかしいので、後ろを歩くキリーが思わず吹き出している。


「毬藻さん、どなたかのお墓参りをされるのですか?」


 最後尾を歩いていた菊乃が、毬藻の横に並んで聞いてきた。


「わたしもここに来たのは初めてだから、誰なのかはわからないわ。――キリー先輩、どなたのお墓をお参りするんですか?」


 毬藻は、菊乃の質問をキリーにそのまま尋ねてみた。


「ああ、うちの会社の創設者だよ。俺もサスケも、その人にスカウトされてハンターになったんだ。ちょうど今日が命日になんで、うちで働くお前らも一緒に連れて行こうって思ってな。――おっ、見えてきたぞ」


 キリーの指差す左斜め前方を見ると、青山墓地の一番南端に、区画された墓地とは別に小高い丘があった。ビル三階分ほどの高さの丘で、全体が芝生で覆われており、丸太を地面に埋め込んで作った階段が、遊歩道から丘の頂上まで続いていた。


「あれ? 誰かいるみたいですよ」


 菊乃の言う通り、頂上に据えられている巨大な岩の前にひざまずいている人物が見えた。


「あっ、椿さんだ! ――椿さーん!」


 歩が丘の頂上にいるのが椿だと確認すると、手を振って大声で呼びながら丸太の階段を駆け上がっていった。それを追うように、みゆきと菊乃、そして毬藻が続いた。キリーとサスケは、後ろからゆっくりと登っていく。


「椿さん、おはようございます」


 研修生の三人は、巨大な岩の前にたたずむ椿の背中に声をかけた。椿は、チラリと研修生たちを見る素振りをしたが、向き直って墓石となっている巨大な岩に再び手を合わせた。


 一瞬、こちらを振り向いた時、毬藻は、今まで見たことのない椿の姿を見てしまった。憂いに沈んだ椿の瞳に、一筋の涙が流れているのを――


(あの気丈な椿さんが涙を流すなんて……)


 毬藻は、何か見てはいけないものを見てしまった感じがして、それ以上、椿に声をかけるのをはばかられた。


 祈る椿の足元には白いユリの花束が供えられ、線香から白糸のように燻らせる煙が、空に向かって静かに伸びていく。白檀の独特な香りが周囲に漂い流れ、この場を厳粛な雰囲気にさせていた。


 しばらくして椿は祈る手を下ろすと、ゆっくりと後ろを振り返った。もうその顔には涙のあとはなく、ただ悲しげな笑みを浮かべているだけだった。


「来てくれたのね、ありがとう。あなたたち、ケガの具合はどう?」


 椿は、愛くるしい表情で見つめる歩の頬をそっと撫でながら言った。


「昨日は、本当にご迷惑をおかけしました」


 てっきり厳しく叱責されると思っていた研修生三人組は、椿の意外な反応に呆気にとられながらも、歩たちは昨日のことを素直に謝った。


 椿は、別に怒る様子もなく、ただ頷いて『次は、危ないと思ったらすぐに逃げなさい、いいですね』と一言、優しく注意しただけだった。毬藻も椿に何かいいかけようとしたが、椿の哀愁が漂う表情を見たら何も言い出せなかった。


 椿は、登ってきたサスケとキリーに挨拶を交わすと、『先に会社に戻ります』と言って皆を残して先に帰っていった。毬藻には、階段を下りて行く椿の後姿がやけ寂しげに感じた。


「椿さん、なんか悲しそうでしたね……」


 みゆきが椿の後ろ姿を見送りながら、ポツリと呟いた。


「そりゃそうさ。ここに眠っているハンターズの創設者は、椿の母親だからな」


 キリーは、目の前にそびえる岩を見上げて言った。


 黒色の自然の岩をぶった切ったもので、高さ五メートル幅三メートル程の大きさで、ロウソクの炎のように先端が尖っている形だった。さらに刃物でスパっと切ったような岩の前面には、白い細かい石の結晶が浮き上がり、それが黒い岩に映え、真夜中にまたたく星のように見えた。自然岩には、大きな文字で名前が刻まれていた。


 神埼 百合子、ここに眠る (2003~2037)


「三十四歳の若さで亡くなられたんですね……。椿さんのお母様は、どんな方だったのですか?」


 岩にきざまれた文字を見て、菊乃はサスケに尋ねた。


 サスケは、菊乃の質問にすぐには答えず、故人と同じ名のユリの花束を墓前にそっと置いた。そして、火のついた線香の炎をそっと手で扇ぎ消し、墓前の香入れに横たえると静かに手を合わせた。メンバー全員も、自然と手を合わせて故人の冥福を祈った。


「――百合子さんは、本当に素晴らしい人でした」


 祈り終えると、サスケが静かに口を開いた。


「百合子さんは、男中心社会だった[C・H]の業界で、女性初のクリミナル・ハンターでした。彼女は、ハンターとして必要な能力である格闘技術・豊富な知識、さらにチームを統率する力を兼ね備えた有能な方でした。人間的にも勇猛果敢な一面を持つと同時に、気さくで優しく思いやりのある信頼の置ける人でした……。そんな彼女にわたしを含め、ハンターを志す多くの女性たちが憧れたものです」


 サスケは、昔を思い出すように話しをした。


「サスケさんが憧れるなんて本当に素晴らしい人だったのですね……でもなぜそんな方が、こんな早くに亡くなられてしまったのですか?」


 菊乃に尋ねられたサスケは、少し寂しそうな顔をして口をつぐんだまま答えようとはしなかった。


「それは私が話してあげよう」


 急に後ろから声をかけられ振り向くと、社長の刃無が一升瓶を片手に現れた。後ろには、サングラスをかけた百の眼が、白衣にタンクトップ・短パンにサンダル姿と昨日と同じ格好で、白いユリの花束を抱えて立っていた。


 刃無は墓前の前に立つと、一升瓶の蓋を開けて墓石にお酒を振りかけた。周囲にぷーんと日本酒独特の香りが漂う中、刃無は祈るでもなくじーっと目の前の自然岩を眺めていた。隣では、百の眼がユリの花束を墓前に置いて、静かに祈りを捧げている。


「あれは今から七年前、まだわたしが国の特殊部隊に所属していて、その任務で世界中を駆けずり回っていた頃だった……」


 刃無は、持っていた一升瓶から酒をぐいっと一口飲むと、昔の思いにひたりながらおもむろに語り出した。



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