幽霊なんてないさ、寂しいなんて嘘さ ~彼女に死体を探してと言われたので~
イラスト 晶さん
【第三回・文章×絵企画】
http://20410.mitemin.net/i236129/
「おいっす」
僕が学校に赴くと、校門をくぐった先で待ち構えていた彼女がそう言って、なにやらポーズを決めていた。
左手の人差し指と中指をくっつけて伸ばし、親指はくっつけずに伸ばしている。他二本の指は折りたたんでいる。
指鉄砲の形。と言えばいいかもしれないけれども、あれは中指は折りたたんでいるし、そもそも声をかけるときにするポーズでもないだろう。銃口は遥か夜空を指しているし。
「チョリーッスって言ってそうなポーズ。でいいんじゃあない?」
「それだ!」
僕はぽんと、手を叩いてから笑った。
「やるには少し古いネタかもしれないけどな、これ。今どきの高校生はチョリーッスとか言うのか?」
「さあ? 長い間高校生をやっているけど、いまどきこーこーせーの流行とかは全く分からないのが私だから」
両腕を汲んで、彼女はうーん。とひとしきり唸ってから、「まあ。どうでもいいか」と開き直った。本当にどうでもよさそうに。
「丁度いいんじゃあない? この古臭さがあとで伏線になるかもしれないし」
「伏線言うな」
「靴下もルーズソックスの方が良かったかな」
「僕は黒ストッキングが好きなのでそのままにしてください」
「思わずストッキングを引き裂きたくなるぐらいの告白だったよ、やめてよ、唯一の友達が変態とか嫌なんだけど」
「類は友を呼ぶというからな、唯一の友達が変態ということは、お前自身も実は変態かもしれないな」
「なるほど、私は変態だったのか。パンツ脱いだ方がいいのかな?」
「納得するな。ぜってえ違う。まず僕は変態ではない。黒ストッキングに興奮するのは一般性癖だ」
「いや、それはどうかと思う……」
この世の大多数の男は黒ストッキングに劣情を抱く。それは間違いない。
さて。
それはそれとして。
「今日はなにをするつもりなんだ?」
「そうだねえ、今日は今まで行ったことのなかった体育館の方に行ってみようかな、と思うんだよね」
「そういえば行ったことがなかったな。どうしてだっけ?」
「やっぱり、夜の体育館ってなんか出そうじゃん?」
「夜だったらどこでもなんか幽霊でそうだろう、学校ってところは」
「『誰もいないはずなのにボールが跳ねる音がする。恐る恐る中を覗き込んでみたら、ボールがひとりでに跳ねていた。ボールは少しずつこっちに近づいている。そのボールは生首だった。背後をよく見てみると人がいて、その人には頭がなかった』みたいなそんな幽霊がいるかもしれないじゃん」
「えらく限定的だな」
しかも結構チープな幽霊だ。
他のパターンで言えば、ボールが跳ねる音がするけれども、ボールも人の姿も見当たらない。みたいなやつもあったはずだ。
「いやあ、やっぱり何十年生きていても、幽霊っていうのは恐いものだねえ」
彼女は腕を組んで悩むような仕草をしてから、はた。と気づいたように顔をあげてから、にへらと笑った。
「あ。私死んでるんだから、何十年も死んでいる。の方が正しいのか」
いやあ。失敬失敬。と彼女は恥ずかしそうな笑い声が、廃校の中で響いた。
***
多鹿小学校。
創立七十三年。
四階建ての、特筆するほどの特徴はない、普通の校舎。
小高い丘の上にあって、街を見下ろすこともできる。
背後には、表面が少しハゲた大きな山がある。校歌の一番は「かの山が見下ろす我が母校」。かの山の名前は知らない。
教室の数。四十。
使っている教室の数。一。
全校生徒。三人。
昔は、この街にも子供がたくさんいたのだ。と、朝礼で校長先生は言っていた。
でも、過疎化は進行して進行して進行して。
いつしかいつの間にか、ここに住んでいる子供は僕を含んで三人になっていた。
大きな校舎をたった三人で使えるというのは、子供ながらにとてもワクワクしたりしたのだけど、しかし、歳を重ねるにつれて、広い空間に少ない人数でいるというのがどれだけつまらなくて、気分が滅入ることなのか理解した。
小学五年生になった。
他の二人は二学年上で、中学に進級したため、学校からいなくなった。
中学校はこの街にはない。少し離れた場所にある。二人はわざわざそこを選んだ。まるで、この街にはいたくないのだと言わんばかりに。
過疎化していく街というのは、若者には、それだけで魅力がないのかもしれない。もしくは、魅力がないから過疎化していくのか。
大人は今まで住んできた年月が長いから街自体に未練があるけど、子供にはそんなものはないから、意外とあっさり出て行ってしまう。
その結果が、今の、この小学校なのだと思うと、悲しくなる。
僕が卒業すると、この学校はどうなってしまうのだろうか。取り壊しだろうか。それとも、そのまま放置されて寂れていくのだろうか。
なんにも声も音もしない廊下を歩く。僕の教室は一階の一番奥だ。使う教室が一個だけなのだから、二階とか三階にする必要はない。いつもならここら辺で、上級生の誰かが教室からひょっこりと顔を出して挨拶を交わすのだけど、今日からはもういない。
……寂しいなあ。
ふと湧きあがってきたその感情に、僕は無意識のうちに涙を流していた。
ぽとりぽとりと廊下に落ちるそれを見て、さらに気分が滅入る。
ストレートに言っていいのなら、すごく悲しかった。
教室の前にたどり着く。
扉を開くと、広い教室に一つの机が置いてあって、そこに一人の女子が座っていた。
見た目、僕よりもかなり大きい。
高校生ぐらいだろうか。
はて、高校生がこの街にいたのだろうか。
皆大体、高校は街の外が良いと言いだして、出ていくのだけれども。
もしかして新しく引っ越してきたのだろうか。
こんな街に? 良いところが何一つないから、当然のように廃れていっているこの街に?
でも、誰かが転校してくるなんて話は聞いていない。それに、転校してくるなら、机と椅子を二つ用意するはずだ。二人だけの生徒のために、わざわざ二つの教室を用意する。ということもあるまいし。あれ、でも小学生と高校生ならあり得るのか? 授業の内容も違うし。算数のことを高校生は数学というらしい。
なんて、当時の僕は小学校五年生がもてる知識を総動員して考えていた。まあ、小五の僕も分かっていたけど、それは全部間違っていた。
「ん?」
教室の入り口でぽつねんと立っている僕に気づいたのか、彼女は僕の方を向いた。
「おいっす」
「お、おいっす」
声をかけられた。右手をあげている彼女に、僕も右手をあげて返事をする。
それから、自分が泣いていることを思い出して、ごしごしと腕で拭った。
「きみは泣き虫なの?」
「違うよ。目にゴミが入ったんだ」
「ふうん。ねえ泣き虫。この席は、きみの席?」
「ああ。うん。多分」
多分というか、きっとそうなんだろうけど。
彼女がいるから、ちょっと疑わしい。
もしかしたら彼女の席かもしれない。ともすると、僕の席はどこにあるのだろう。
「ねえ、きみは転校生?」
とりあえず、尋ねてみることにした。
彼女は自分の顔を指さしてから、ふるふると首を横に振った。
「私? 違うよ。転校生じゃあない」
やっぱりか。という気持ちが強くて、それに関しては特に驚いたりはしなかった。
その代わり。
「じゃあ、誰?」
と尋ねた。彼女はにこりと笑って答えた。
「幽霊」
「うそだ」
「嘘じゃあないよ。かなり前に死んで、この学校にしがみついている幽霊だよ」
「でも、足があるじゃん」
「幽霊に足がないなんて、そんなステレオタイプ面白くない」
「すてれおたいぷ?」
「ありがちってこと」
「へー」
この時、僕の彼女に対する第一印象は「賢い人だなあ」という感じに固定された。知らないカタカナ語を使う人は大体賢いと思うのだ。
今となっては印象というかキャラ付けは「バカ」に変わっているのだが。
「その幽霊がなんの用?」
小学校五年生というものは、意外と順応性が高いらしく(というよりかは、この頃の僕はあまり人を疑わないタイプだったのかもしれない)彼女が幽霊であることを認めると、再び尋ねた。尋ねてばかりだ。分からないというのは気持ち悪いんだ。仕方ない。
「用がないといけない?」
「うん。僕の席に座っている理由も聞きたい」
「座りたかったから」
「僕が座れない」
「きみは地べたに座ればいい」
「やだよ、そこは僕の席だよ」
「思いの外正論だから言い返すことができない……物語では正論はいらないって言うじゃん?」
「別に物語じゃないし」
「えー。幽霊の女の子とふっつーの男の子が出会うお話だよ。時代が時代なら皆が飛びつく少し不思議なボーイミーツガールだよー?」
時代が時代ならな。
残念ながら僕とあいつが出会った時は、そんな時代ではなかったし、今こうして話している時も、そんな時代ではない。
「そんな時代だったら、ノンフィクションだけど本にしてどっかの賞に応募してたかもな」
「ん?」
トーン、トーン。とボールが跳ねる音が体育館の中を反響する。
それは幽霊の仕業でも亡霊の仕業でもない。僕が転がっていたボールでドリブルをしている音だ。
この学校が廃校になって久しく経つというのに、ボールの空気はそこまで抜けてない。ちょっとドリブルしづらいかもしれない。
「いや、僕とお前の話。幽霊と出会って、こうして今も話してるって、ちょっとした物語みたいだろ?」
「近頃の子供にはつまんないと思うなー。もっとこう、爆発ドカーンってするか、人が簡単に死ぬ話とか、恋愛系の話をするとかしないとー」
「僕とお前で恋愛系か?」
「似合わなーい」
けらけらけら。と舞台の端に腰かけている彼女は、足を揺らしながら、大口をあけて笑った。おもちゃの猿みたいに、ぱちぱちと両手を叩く。
僕はドリブルをやめて、彼女の方を向くと、そんな彼女に向けて、両手でボールを突き飛ばすように投げた。
びゅーん。と飛んでいったボールは彼女の顔面に向けて飛んでいったが、頭を通り抜けて、舞台の上で何回かバウンドして転がっていった。
「危ないな!」
「当たんないから大丈夫だろう」
舞台からひょいと降りた彼女は憤慨を露にしたが、僕は適当にごまかした。むう、と頬を膨らませている彼女は、少し幼い高校生って感じの見た目だ。
昔ならば年上のお姉さんだった彼女も、小学校も中学校も高校も大学も卒業して、親父から引き継いだ小さな会社(土木関係だ)を切り盛りするような歳になった僕からすると、年下も年下でいいところな感じがある。もう、さすがに、恋愛対象としては、見れない。多分。
「それで、なにか発見はあったか?」
「んーん。全然。亡霊もいないし、バスケットボールを見ても滾る心はないし。あ、でも」
「でも?」
「ものすっごいテンションが下がったから、きっと私はバスケが嫌いだったんだと思う」
「それはどいつもこいつもそうだと思う」
バスケが好きなやつなんて少数派だ。なんて偏見はともかく。
「きちんと探したか?」
「なにを?」
「お前の死体」
「こんなところにあるわけないじゃん。ずっと見つかってないんだよ?」
「……じゃあなんでここに来たんだよ」
「なんとなくぅ?」
頬に指を当てて、体をくねらせた彼女に、僕は再びバスケットボールを投げつけた。
***
「私はさ、私の死体を探してるんだよね」
ああ、確か彼女はそんなことを唐突に言い出したんだ。
幽霊ってどんな気分? 天国とか地獄とかに行ったの? 閻魔様に会った? 死ぬってどういう気分? という話をしたあとのそれである。
ちなみに、すべての質問の答えはと言えば。
「幽霊ってどんな気分?」
「生きていたときのことを覚えてないから、比べてどうとか、そういう話はできないけど……でも、ああ。私はこのセカイの住人じゃあないんだなっていう気持ちはいつもあるね。常時村八分っていうか、学校皆が私を無視してるっていうか。あはー、私いじめられっ子ー」
「天国とか地獄とかに行ったの?」
「行ってたらいまここにいないと思う」
「閻魔様に会った?」
「同上」
「死ぬってどういう気分?」
「記憶がないから以下同文。でも、覚えてないってことは、覚える必要がない程度のことだったのかもね。死ぬって」
こんな感じだった。
そして、死体の話。
ああ、死ぬと言えば死んだと言えば。
ちょっと聞きたいことがあるんだけどいい? 私からもしつもーん。と気楽な感じで言ってきたものだから、普通に頷いたけれども、その質問はかなり驚くものだった。
僕は「え゛っ」と声を漏らした。濁点つきである。
「し、死体?」
「そう、死体。私の死体、知らない?」
「そんな『私の鉛筆知らない?』みたいな気軽さで」
「この学校のどこかにあると思うんだけどさ、全然見つからなくって」
けらけらけら。と笑いごとのように言う彼女だったが、全然笑えない。
当時の僕はきっと、表情筋すべてが痙攣して、振動マッサージ機を顔面に当てられている人みたくなっていたことだろう。
「こ、こここの学校に?」
「多分ね。そんな気がする」
「自分の死体がどこにあるのか分かるの?」
「昔自分が入ってた死体だからね。精度の悪いGPSぐらいには分かる」
「じーぴーえす?」
「きみ本当に小学校五年生?」
「わかった。高速道路にタダで入れるやつ」
「それはETC。あと、別にタダじゃあないからね。えっとね、つまり、ここらへんになんとなく、ある気がするなーって感じ」
彼女は僕にでも分かるように説明してくれた。彼女に、この子は自分よりバカなのだと認識された瞬間であり、僕にとっては、最悪な瞬間であった。
ああ、くそ。GPSぐらい知っとけよ小5の僕。
「まあ、そんなわけで。私の死体は恐らくこの学校のどこかにあるんだ。私はそれを探しているんだ」
「探してどうするの?」
「ん?」
「見つけたら、きみは生き返るの?」
「あっはあ。そんなまさか。今更見つけたって、死体は腐ってるだろうし、骨になってるよ。骨に肉がこびりついてるよ。そんな姿で生き返ってもねえ」
「じゃあ、どうして探すの? 見つけて、なにか意味があるの?」
「見つけることには意味はないかなあ。でも、気になるから」
「気になる?」
「昔の自分の体がそこらへんに落ちてるんだよ? そんなの、気にならないほうがおかしいよ」
「昔の自分の体。っていう表現が妙におかしかったのを僕は覚えてる」
「きみさぁ。もしかして、私が話した内容一字一句覚えてない? 私のこと好きすぎでしょう。ストーカーかなにか?」
体育館をあとにした僕らは、校門の方に向かって移動していた。今日の探索も成果なし。ということで、僕はもう帰るのだ。時間は十時。探そうと思えばまだ探せるんだけど、明日も仕事があるのだ。
校門の手前にある桜の木は花も葉っぱもなかった。少し前に枯れてしまったのだ。枯れたのだし、引っこ抜けばいいのに。と思わないでもないが、この学校が取り壊されることなく放置されているように、破壊にもなにかしらの理由が必要なのだ。
「覚えておいたら、お前をからかえるかもしれないからな。『お前、三年前の春には桜の木の下に埋まってたらなんだかロマンチックでいいよねー。いや、そうに違いない。私が埋まってるからあの桜はあんなに綺麗に咲いてるんだ。とか言ってたくせに、次の年にその桜の木が枯れた途端、私の死体は銀杏の木の下に埋まってるに違いない! とか言い出してさー』とかな」
「だって、あれを言った途端にあの桜弱々しくなって枯れちゃったんだよ!? なんかすごく私のせいみたいじゃあない!」
「ええー、いや。あんたが埋まってたら私枯れると思うんですけどぉー」
「桜の気持ちを代弁するな! それに結局埋まってなかったじゃん!」
そうなのだ。
一度桜の木の下を掘り起こしたことがある。そこに埋まっていたのは犬の死体だった。
桜の木の下には確かに死体が埋まっていた。でも、目的のものではなかったので、そのまま埋めなおした。
「それで、お前はどうしてあのとき『昔の自分の体』なんて言ったんだ? わざわざ昔の。なんてつけたんだ?」
「昔のことだから覚えてない」
「僕は覚えてた」
「それはきみがキモいから」
「キモい言うな」
「ストーカー、痴漢で訴えてやるー」
「触れないお前にどうやって痴漢するんだよ」
「視姦とか?」
「自意識過剰」
きゃぴぃ。と両頬に指を添えて、体をくねらせる彼女に、僕は塩をまいた。
彼女はぎえっ! と奇声をあげた。幽霊には塩をまくに限る。
「幽霊には塩をまくといい。ナメクジには塩をまくといい。つまり、幽霊=ナメクジ。QED」
「QEDじゃないよまったく。成仏しちゃったらどうするんだよ」
「毎日快眠できて最高」
「きみと友達になれて本当に最高だよありがとう、ね」
ね! と語尾を強く言って、彼女は先に校門の方へと飛んでいった。
足のある幽霊にとって、飛ぶのと歩くの、どっちが楽なのだろうか。彼女の背中を眺めながら思う。
彼女の背中は半透明で、彼女の体の向こうの景色がよく見えて、まるでなんだか、すうっと消えていく人のように見える。
このままぱっ。と消えてしまいそうだ。
それが怖くて、僕は彼女に気取られないぐらいの速度で、彼女の背中を追いかけた。
彼女は、桜の木の前で立ち止まると、その根元を見るようにしゃがみ込んだ。
追いついた僕は、そこを彼女の頭越しに見た。
「『第七十四期生 卒業記念』だって。確か、七十四期生ってきみじゃあなかった?」
「ん? ああ。確かに」
七十四期生は僕である。僕だけである。
一番最後の卒業生で、僕が卒業して生徒がいなくなったこの学校はもぬけの殻となり、見事廃校へとなり果てた。
「そう言えば、桜の木を埋めたんだっけ。今考えると、次に見るやつがいないのに、桜の木を埋めるのも変な話だよな」
「先生たちもこの学校が終わってしまうのが信じられなかったんじゃあない? 校長先生も教頭先生も、きみの担任も、みんなこの学校の卒業生だったし」
「そうなのか?」
「間違いないよ。私は彼らが入学してから、学校で遊んで、卒業していくまでをずっと眺めていたんだから」
「……そう聞くと、お前がかなり昔の生徒だって分かるな」
「うん。私はこの小学校の最古参と言っても、過言ではないね」
「おばあちゃん」
「なにさね!」
きえー。と悪霊のごとく僕に向けて怒りの形相をあらわにした彼女だったが、はた。となにかに気づいたように、きょとん。とした表情を浮かべた。僕はなにか胸騒ぎを感じながら、ぼーっとしている彼女に声をかける。
「……なあ、おい。大丈夫か?」
「そうだよ。卒業だよ」
「卒業がどうかしたか? まさか、卒業式を開けば自分は成仏できるんだ。とか言うつもりはないだろうな」
「人生からの卒業式は既に済ませている」
「やかましわ」
どうやらシリアスな感じの話ではないらしい。僕はちょっとだけ胸を撫で下ろす。彼女は、嬉々とした表情を僕に向ける。それはまるで、犯人を見つけた名探偵のような――引導を渡さんとするかのような表情だった。
なにに? 僕に? 彼女に?
それとも、この関係に?
「初めから、卒業アルバムを見れば良かったんだ。卒業アルバムには卒業した生徒の名前が載ってるわけだし、もし途中で死んでも、追悼とか僕らずっと仲間だからね。忘れたりしないよ! と言わんばかりに、私の写真が載ってるはずなんだ……きみもそう思ったんでしょう?」
「……どうして僕にふるんだ?」
「きみのことだから、私の名前が載っていた卒業アルバム。捨てるなり燃やすなりしているだろうな。と思って」
「どうして」
「だって、きみは恐がりだから」
彼女は校門から外の景色を見た。
夜の街には、光がほとんどなかった。あるにはあるのだけれども、とても心もとない――あと数年もしないうちに真っ暗になってしまいそうだった。
この学校が廃校になってから十数年。
僕が大人になるまでの間も過疎はどんどん進んで、現在この街の人口は二桁。一番若いのは僕だという体たらく。
みんな僕を置いていくのだ。置いて行って、老いて逝って、いなくなる。
そんなことを言うと、じゃあお前も他の街に引っ越せばいいじゃあないかと、どっか行って、そこで新しい知り合いをつくればいいじゃあないか。と言われかねない。というか、実際言われた。
正論だと思う。正しい意見だと思う。
でも僕はこの街を出ていくことができない。
残っているジジババを捨ておくわけにはいかないし、親父から引き継いだ会社もある。
つまり僕は、外れクジを引いてしまったのだ。
もっとはやく、逃げれるときに逃げておけばよかった。そう思うときは何度もあった。
この役目を誰かに押しつけて、逃げていればどれだけ楽だったかと。
でも、僕はきっと小学校五年生のときから、こうなる運命に決まってしまったのだろう。
彼女と出会ってしまった、そのときに。
彼女を好きになって、この街から離れなくなってしまったあの時点で。
「誰かが近くにいないと不安で不安で仕方ないビビりだから」
「なんでそんなこと分かるんだよ」
「だって、初めて会ったとき、きみ泣いてたじゃあないか。誰もいないことに気づいてしまって、泣いてたじゃあないか」
「覚えてんじゃあねえよ。忘れろよ」
「やなこった。きみだって私との話なんでも覚えてる癖に」
それで。と彼女は言う。言ってしまう。最後の言葉を。終わりの言葉を。
「私の名前はなんだった? 私は誰だった?」
「…………」
「教えてよ。知ってるんだろう? きみが寂しいのは分かるけど、私だって知りたいんだからさあ……私をきみのエゴに巻き込まないでよ」
「……小野寺海」
「ほら」
彼女は笑った。笑い顔はすごく薄くなっていた。
「やっぱり知ってた」
「調べたらすぐ出てきたよ」
言い返すと、彼女の姿はなくなっていた。
彼女がこの世に残っていた理由。自分が誰なのかを知っておきたかった。が達成された証拠だった。
「……僕をこの街に縛りつけておきながら、お前もやっぱり、勝手にどっか行っちまうのかよ」
悪たれにも、返事はなかった。
***
さて。
この話をここで終わらせてしまっても良かったのだけど、残念ながら、ありがたいことに、まだ続きがある。
このままだとこの話は『人を自分のエゴに巻き込んではいけない』という説教話になってしまうからだ。説教話が悪いというわけではないけれども、お話としては面白くない。
どんな話だって、ハッピーエンドの方がいいに決まっている。特に、自分が関係しているような話はな。
彼女の死体は学校の裏にある山の中に埋まっていた。別に、なにか殺人事件があったわけではない。
裏の山は少しはげている。結構昔、七十年ぐらい前に土砂崩れがあったらしいのだ。
そのとき、運悪く土砂崩れに巻き込まれた女学生がいた。それが、彼女――小野寺海だった。
御年十六歳。高校一年生。
必死の捜索もむなしく、土砂崩れに巻き込まれた彼女の死体は見つからなかったらしい。
今でも土砂崩れに巻き込まれた人が見つからないことはよくあることだ。当時の技術だと、尚更見つからなかったことだろう。
彼女が消えてから数日後。僕は彼女の死体を掘り当てた。
親父の会社を引き継いでから取得したショベルカーの免許が役に立った。
やはり七十年近く埋まっていたからか、肉は残っておらず、僅かばかりの髪の毛と白い骨だけが残されていた。でも、それが彼女だということは僕には分かった。だって、小学校五年生からの付き合いなんだぜ? 顔を見なくても、彼女だってことぐらい分かるっての。
彼女の遺骨は、現在僕の家にある。
遺族に引き渡すのが筋だと思ったのだが、小野寺の父親母親はもう既に他界していたし、姉さんも死んでたし、妹は街を出て行ってて、今はどこにいるのか分からない状況だった。
なので僕が持っている。小指の骨だけはロケットの中にいれている。こうすれば彼女が近くにいるような気がするからだ。
「いや待ってよ。キモいよ。普通にキモいよ。返してよ私の小指の骨」
それを語ったら、彼女にドン引きされた。
ふっつーにひかれた。や、ごめん。やっぱり地獄に帰るわ。なんて言われた。
地獄に行ったのかよお前。
「知らないの? 親より先に死んだら地獄行きなんだよ?」
彼女の死体を発見した一週間後。家に帰ってみると彼女が普通にいた。
面食らって呆然としていると、自分の遺骨が入った箱の中を覗いた彼女は、前と変わらない笑顔のまま僕に向けて手を突きだした。
「おいっす」
彼女で間違いないようだった。
脱力しながら僕も「おいっす」と返した。それから、どうしてここにいるのか? と尋ねると。
「いやあ。あっちの世界に行ったのはいいけど三途の川で石積みしているだけですっごく暇だったから、逃げだしてきた。えへっ」
「逃げだしてきた。えへっ。じゃねえよ。え、なに。地獄ってそんな簡単に逃げれるの?」
「この一週間死ぬかと思ったね。ハリウッドもビックリな逃走劇だよ」
「消えてすぐ逃げ出したのかよ」
「へっへっへ。私をそう縛れると思ったら大間違いだよ」
「学校には縛られてたじゃねえか」
「それはそれ。これはこれ。私は私。小野寺海」
「名前が分かって嬉しそうですね」
「ところできみの名前はなに?」
「大ノ神栃だよ。知らなかったのかよ!」
「興味がなかった」
「てんめっ!」
「まあ、そんなわけで。地獄から鬼とか色々やってくるかもしれないけどさ、私のためによろしくね! 私に惚れたお前を呪え!」
「それをお前が言うなよ……」
いやまあ。
拒否できない自分もいるのもまた確かなわけで。
惚れた好いたは確かに弱みだ。こうしてまた一緒にいれることに、喜んでいる僕がいる。
我が物顔で部屋に寝転がっている彼女を呆れの目で見下ろしながら、それでも僕は、精一杯の抵抗をみせた。
「お前のエゴに、僕を巻き込むなよな」
「なに言ってるんだい。エゴなんて巻き込んでなんぼだよ。そういうものだよ、エゴなんて。自分のエゴに私を巻き込めなかったきみが悪いのさ」
彼女はにかりと快活に笑った。
僕は降参だと言わんばかりに、両手をあげた。
前回と引き続き、担当させていただきました。
言えることは一つです。
殺してごめんなさい。