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令嬢は話す。

 「  」とはあった瞬間に分かるものである。

 昔少年が読んだ書にはそんなことが書いてあった。

 曰く、それは理屈ではなく感覚の問題であり。もしそれに遭遇することがあれば、息を吸うかのようにすとんと腑に落ちるものである。

 また出会うまでは幾千の言葉で語られようが理解ができないものでもある。


 その書を読んだとき少年は鼻で笑ったものだ。これでは胡散臭い占い師の世迷言同然だと。

 そもそも言葉で理解ができないのならばこの書の存在価値とはいったい何なのか。

 幼い彼はけらけらと斜め読みし、それを部屋の隅に投げた記憶がある。


 しかし少年にはどうにもそれが何の説明だったかは思い出せなかった。

 古い幼少のころで、強烈な部分だけ覚えている記憶はどうにも虫食いが多いものだ。


 そんなどうでも良い記憶を屋敷に着いた時少年は思い出していた。

 監獄に入るというのに、不思議な気持ちで満たされていた。


 端から見れば少女と少年の出会いは何事もなく終わった。

 馬車が屋敷に着くと使用人たちが総出で彼を出迎え、奥から一人の少女が出てくる。

 黄色を基調にしたドレスに、胸元には花の形をした飾りが胸元を隠すようにあしらえられていた。

 少女は優雅に使用人たちの間をすり抜けると少年の前に現れ、ちょこんと挨拶をする。


「遥々遠路をお越しいただき、感謝の念に堪えません」

「ああ」

「わたくしの名はルゥ・フェイティアル・ルーベ・ティエリウス。養父であるマリウスから、この地ティエリウスを預かっている身です」

「態々出迎え痛み入る。その柔肌で、外の空気はきついのではないか」

「いえ、この程度の寒さ。ティエリウスに住む者にとっては、そよ風同然です」

「そうか」


 少年に湧き上がっていたのは形容しがたい気持ちだった。

 単純な高揚ではない。それでは背筋に走る怖気に説明がつかない。

 その逆もしかりだ。腹の底から湧き上がる衝動は、決して恐怖などではなかった。

 それを具体的に説明することは難しい。またなぜそれを感じてしまっているかもだ。


 そんな気分にさせた人物を、眼の前のルゥという少女を眺める。

 整った顔立ちに、明るい表情が愛らしい娘だった。基本的に色恋沙汰に興味のない少年さえも、少しばかり眼が言ったほどだ。

 可愛らしい。そう一言で表現できるのが彼女だった。

 しかし何故だか、それだけが少女の全てではないような気もしていた。

 深い水底を眺めているような、文字通り底が分からない気分に少女はさせてくる。


 すっと右手を差し出す。年頃の娘にする挨拶ではないかもしれないが、彼女に対しては、それがしっくりときた。


「ライ・エリシウム・レウン・ファルシウムだ。これから長くなるだろうが、よろしくお願いする」

「ええ、勿論ですわ。ライ様。ティエリウスにようこそ」


 少年の手に添えられた少女の右手は、雪のように冷ややかだった。

 それと少年を真っすぐに見据えるサファイアの蒼い瞳は、熱を感じさせないものであった。


 これが少年と少女の出会いだ。






 あら、これはもしや当たりかもしれないわ。

 誰かが言った。








 それでその日は終わってしまう。少年は恭しく用意されていた部屋に案内された後、旅の疲れからか泥のように眠ってしまった。余程の疲れだったのか、半日以上寝ていたことになる。

 自身の失態に気付いたのは朝日が顔を照らした時だ。


 賓客がきたその晩は、歓迎のために夕食に誘われるのが通例である。なのに自身は昨晩は起きた記憶がない。顔が少し青ざめるのも無理のないことだった。

 すぐに使用人を呼び寄せ、詫びのために主人に面会したいと告げた。

 その慌てた顔が可笑しかったのか。呼び出されたメイドの女は、慌てないでくださいまし、と少々笑い声を含めてライに告げた。


「ティエリウス様は怒ってなどいませんわ。むしろ貴方様の御健康を心配なされていました」


 そして同時に伝言を頼まれているとも言った。


「『晩餐会は非常に残念でした。なので、それの代わりに朝の茶会には参加していただけませんか? 宜しければこの屋敷のテラスにお越しください。』とのことです」

「テラス?」

「ええ。この屋敷で一番美しく、綺麗な場所でございます」


そこはどこだ、と少年は尋ねると、ではお着換えの後にご案内させていただきます、と返された。

 しばし考えた後、着替えの準備を急ぐようにと女性にお願いした。




 着替えを終えると、屋敷の案内も兼ねてか、ゆっくりと廊下を歩きながらテラスへ連れてかれる。

 先導するのは朝最初に呼び出したメイドだ。


 二人で中を歩いていくが、建物の大きさに反して使用人の数が少ない。

 尋ねるような不躾をライはしない。そも人が少ないなどティエリウスの家が廃れてきている以外に理由があるまい。

 だが奇妙なことに斜陽にある家特有の悲哀さは存在しなかった。

 誰もが丁寧に仕事をこなし、人が少ないながらも工夫して仕事を回していた。

 その勤勉さは王都にいた、彼でさえも感心するぐらいだ。


「ここの者は皆働きが良い。何故なんだ?」

「ここの主がティエリウス様だからです」

「それは一体どういう意味だ……ああ、君は」

「ミィアです。ファルシウム様。意味はそのままです。ティエリウス様の優しさと、慈愛の心に皆が惹きつけられているのです」


 なんとも上辺だけの内容だ。僕たちが使う常套文句とも言える返しに、これでは本心は聞き出すことができないかと彼はあきらめかけた。

 だがどうにも違ったらしい。納得できなかった様子の彼に、彼女は眼をしばし瞑ってから、言葉を続けた。


「ティエリウス様は可哀そうな方です。私たちはあの方以上に憐れな人を見たことがありません。だから幸せになってほしい。なので皆が必死に働くのです」

「可哀そうだと? 仮にも四公の一門、『テーベ』の娘がか」

「それならば国を統べる『レウン』に生まれた貴方に憂いはないということですね」


 鋭く切り込んだ一言だった。直接的に傷を広げてきた女に、少年は眉を顰めた。

 馬車に乗っていた時の悪感情が沸き起こり、そして無遠慮にそれを刺激した彼女を鋭く睨む。


「申し訳ございません。それでもルゥ様に対してその様な眼を向けられる方には、つい言ってしまいたくなるのです。あの方の何が分かるのか、と」


 そうして、ぽつぽつと女は主人の哀れさを語った。

 確かに涙を誘うような話だった。真実、この女性は主人であるティエリウスのことをこよなく愛し、慈しんでいるのだと思わせるような口振りだった。

 少年だって、心を動かされるには十分の内容だった。だったはずだ。


 なのに少年の心は何故だか動かなかった。

 そんな単純な感情を抱くのは、この屋敷を訪れたときに感じた気持ちが許さなかった。

 この感情は何なのだろうか。疑念が沸く。


 ミィアの話を聞くうちに屋敷の隅に着いた。廊下の先には渡り廊下に通じる扉がある。

 その扉のガラス越しに眺めると、渡り廊下の先に、ガラスで囲まれた離れが見えた。

 あれが離れなのだろう。扉の前に着くと、彼女は止まり、少年のほうを向く。


「ここから先はファルシウム様御一人でお進みください。ティエリウス様がお待ちです。茶会の準備も済んでいますので、ごゆるりとおくつろぎください」


 そう深々と、彼女は一礼すると付け加えるように、そして懇願するように少年に告げた。


「あの子を、ルゥ様をお願いします」


 温かみのある言葉のはずなのに、何故だろうか、彼にはそれが虚しく廊下に響いたように感じられた。




 ライは扉を自身で開けると、渡り廊下を歩いていく。ティエリウスの北風が少年の身体に当たった。

 肌寒い中進んでいけばすぐさま目標のテラスに着く。

 高価なガラスで一面覆われた贅のこらした空間だった。備えられている扉のドアノブを回し、開けてみると暖気が流れ込んでくる。

 テラス内の暖炉と、差し込む陽光が部屋の中を温めていた。


 身をテラスに滑り込ませる。狭い空間だった。少年が案内された部屋の四分の一ほどの大きさか。

 大きな机と椅子。暖炉と、使用人が入るくらいの空間しかなかった。


 その奥に少年の目当ての人物がいる。

 じっと伺うように青い両眼はライへと突き刺さっていた。それはそのままに、心底嬉しそうに口元だけを綻ばせて少女は彼を招き入れた。


「招きに応じていただきありがとうございます。ファルシウム様」


 ソプラノの声が少年の耳をくすぐった。








 ライが席に着くと、ルゥはすぐさま紅茶を用意した。手慣れた運びで、すぐさま少女は自身と、少年の前に紅茶を置く。そして二人は口をつけた。


 北国の茶葉は中央に比べてどうしても品質が落ちてしまうものだ。

 だがその代わりティエリウスの紅茶は、製法と淹れ方が精錬されていた。

 少年の明敏な舌はその技巧に文字通り舌を巻いた。それを少女は読んだかのように言う。


「どうです? これはティエリウスの最南端でとれた茶葉だとか。お気に召しましたか? まあ中央でとれた茶葉とは比較にもならないでしょうけど。正に『茶葉と政治は中央程良い』という格言通りでしたか?」


「これはこれで良いものだ。卑下するものではない。格言を持ち出すならこう返そう。『良い物と悪い物の違いなど違うということだけだ』それぞれの持ち味がある。茶葉も政治もな」

「あら、お上手」


 まるで中央の貴族共のような言い回しだ。

 素直に頷けばティエリウスを卑下したことになる。だから肯定はできない。

 しかも何気ない会話に政治を匂わしてくるので下手な回答もできない。どうしても少し考えてから返答しなければいけなかった。いやらしい。絶大な効果こそないが、言葉を選ばせることで精神を地味に削る。


 眼の前で少女は口元を手で押さえて笑う。朗らかで明るく、人懐っこい印象を彼に与えた。

 しかしそんな風に微笑む彼女に対し、彼は冷や汗をかく。重圧が腹部を圧迫した。

 

 眼の前の相手はただの貴族の娘のはずだ。常識的に考えて圧力を感じるはずがない。

 一般的な貴族の令嬢は学問も政治もやらない。

 だからこうして男ばりに政争染みた話に興じることなどできるはずがない。

 しかしそんな常識など一笑に付すかのように少女は、ルゥは悪魔の歌を謡うのだ。


「初めて会う婚約者に正直私、緊張していましたの。でも貴方様と会って、そのような気持ちは吹き飛んでしまいました。きっと私たち上手くやっていけますわ。ねえ? ライ・エリシウム・レウン・ファルシウム様?」


 少年はそれには答えず、目を細めてルゥを観察した。

 出会ったときに感じた、あの思いは何なのか。メイドに彼女の境遇を語られたときに起こった心境とは何物なのだろうか。気になった彼は分析するようにルゥを眺めている。


「ほらやっぱり」


 彼女の口元が開かれる。白い肌には対照的な、まるで血のような赤をした口内が垣間見えた。

 そして次に漏れ出る言葉で、少年は後者の心境が何なのかを理解する。


「こんなに、私たちって似てるもの」


 同族嫌悪だ。似ているのだ、この少女と少年は。境遇が、哀れさが、惨めさが。似通っている。

 ならば同情できないのも納得だ。自身の愚かさを見せつけられてどうして同情などと、明るい感情が出ようか。

 そしてなにより。


 もがき足掻く様には嫌悪しか抱かない。

 理解すると、乱暴に少年は背もたれに身を投げる。

 

「端からみるとなんという醜悪さだ」


 苦虫を、それこそ百万匹も嚙み潰したかのように少年の顔は歪む。

 そんな彼を前にしても少女の表情は崩れない。あらひどいと、クスリとした。


「醜悪は酷いわ。彼女たちのどこが醜悪だというの。私が、主がどのようであろうが彼らの美しさは変わらないわ。この『箱庭』の可憐さは微塵たりとも損なわれたりはしない」


 そうでしょう? ここに来るまでの間。彼女たちの輝きは、暖かさは見たでしょう?


 その少女の問いに少年はうんざりとした。

 敗れるだけに飽き足らず、こうして自身の愚かさを見せつけられるとは。

 運が悪いにも程があった。ここで生を終えなくてはいけないなどとは、考えたくもない。


「まさか人生の墓場がこんなところだとは。俺を呼んで何が望みだ、お前。こんな北国で。こんな監獄でなにを貴様はもがいている」


 そう言われた彼女はきょとんとした顔になった。

 見込み違いかしら、と言い、うーんと顔を傾ける。そしてなるほどと、何やら思いついたようだった。


 ああ、湿気た火種と同じ要領ね。なら湿気を飛ばせばよいのよ。


「望みも何も無いわ。ファルシウム様。私はただ寒いのが嫌なだけよ」


 ルゥの底から、黒い何かがせり出してきていた。

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